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【6日目】「ざまあみろ」叫びたかった出来事はカラーボールで二度と落ちない

わたしは多分、小説も短歌もそんなに好きじゃない。
物語の木も生えていないし、
湧き上がる泉もない。

だけど、作家になりたい。
作家になるために、ずっと作品を書き続けている。
何者かになりたいから、
短歌もショートショートも写真もカラータイツも
考えてやっている。

だけどやっぱり、本を読むのも得意じゃないし、短歌を読むのも上手くない。

わたしはいつから、作家になりたいと思ったのだろう。

始まりはそう、小学四年生の不登校の時に
『氷菓』に出会ったからだ。

京都アニメーションが作ったアニメ『氷菓』は美しく、共感し、憧れた。

図書館で、アニメ特別ワイド帯の状態の『古典部シリーズ』に出会い、
言葉による物語と出会った。
それまで、識字障害があったため、
教科書の文字などは一行が重なって見えて読むのも苦痛だった。
絵本は好きだったけれど、
『ハリーポッター』はもちろん、『黒魔女さんが通る!』なども読むことはできなかった。
『おばけマンション』『名探偵シリーズ』だけをとても時間をかけて、読んでいた。

そんなわたしが、小説と出会い、
児童書でない本なら文字が重なって見えないと知り、
「ああ、世界はまだまだ広いんだ」
「学校だけが世界じゃないな」
「おんなじような悩みとか見え方をしている人がいるんだ」
「味方がどこかにいるはずだ」
そう思えた。

自殺も考えていたわたしは、死ねない自分を許して、
わたしみたいな人に物語を届けたいと思った。
世界を他人として擬似体験する小説は、
思考も見える世界もトレースするようで
「自分」じゃないのが気持ちよかった。

しかし、それと同時に、
「自分の物語」として読む楽しさがあった。
学校の描写も、自分の通っている学校として頭の中で再生する。
わたしも考えていることを言葉にしてもらっている、
その嬉しさを知った。

だから、小説家になって、
わたしもそんな物語を作って、子どもの狭さを広げたい、
なんて小学五年生ぐらいで傲慢に思っていた。

今はそういうものでもない。

ただただ、有名になりたい。
何かを成し遂げたい。
成果を出したい。

それがわたしにとって、文章だっただけだ。
というよりも、
言葉、ぐらいしかなかった。
体育会系でも無い、音楽もできない、面白くもない、頭も良くない。
わたしが扱える武器は、言葉しかなかった。

ただの名誉欲だ。
それに短歌などを利用しているだけだ。
そこには本当の愛などないのだろう。
ただただ、何かを作って「すごい」と言われたい。
認められたい。

作家がそんなにいいものじゃないってことも、
もうわかっている。
だけど、作家になって承認されたいという思いが強くあり続ける。

なぜ、わたしはそんなにも名誉欲に取り憑かれているのだろう?

それは、
わたしのことを馬鹿にした、いじめた、除け者にした、
あいつらを見返したいからではないか。

わたしは、誰のことも許せていない。

学校に行かないことを選んだ。
それは逃げではない。
正常な人間であるために、学校に通わないことにした。
賢い選択だったと思う。

だけど、それでもまだ、後悔してしまっているのだろう。
あんなことがなければ、と。

そしてそれと同時に
「不登校だと馬鹿にされているかも」と不安に思っている。

高校では、馬鹿な学校だったけれど、そのおかげで二年間成績一位を取り続けた。
大学にも行った。

恥じることなんて何にもない。

だけど、
大学は芸術大学だし、頭が悪い、逃げてる、弱者、と思われているのではないか?
就職して一ヶ月で退職するなんて、人間として不適合者なのではないか?
そういう不安がずっとある。

芸術大学まで行ったのなら、作家になっておかなければ、
無駄金を使わせた才能のない人間、となってしまうのではないか。


作家にでもなって、有名になって、すごい作品を世間に出さなければ、
わたしの人生は無駄だったということになってしまうじゃないか。


わたしはそう思っているのではないか。

過去の苦しさ、生きてきた後悔を、
わたしは帳消しにしたい。
いや、
その過去があってよかったんだよね、って思いたい。

だからわたしは、ずっとわたしを描いている。

SNSも短歌もみんな、
過去を描き、自分の人生を描い、考えを描き、
ありのままのわたしを作品として出してきた。

多分、それぐらい消費しないと、
わたしは人生を癒せない。

これは消費だ。

痛くて、嫌いで、殺したくて、死にたくて、許せない過去を
あの時の感情を描くことで、昇華しようとしている。

名誉欲に取り憑かれているのではなくて、
わたしが人生に取り憑いているのではないか?

お前らがわたしに与えたあの苦痛すらも、
わたしには肥料でしかないんだよ。

そう言いたいんじゃないか?
そう言いたいということは、
わたしはまだそう思えていないということだ。

やっぱり、今の自分の現状をわたしは胸を張って自信を持ってはいられない。
馬鹿にされる人生を送っていると怯えている。
怖くて仕方がない。
何か成果を出さなければ、一生ずっとこのままだと、震えている。

逆転したい。

悪くない人生を歩んできたと思っているつもりだ。
なのに、逆転したいと思うということは、
わたしはいま自分を負けていると思っているということだ。

どのシーンでも、最善の一手を選んできた。
できる限りの最善の人生を、わたしは選び取ってきたはずなのだ。

なのに、どうしてこんなにも、
過去の中に生きているのだろう。

わたしは、過去に復讐をするために作家になる。
なんて、不純な動機だろう。
そんなことだから、いまだに何の芽も出ていないのかもしれない。

でも、やっぱり、わたしはこの復讐心を胸に生きていかないといけない。

最近、短歌を上手く書けない。
小説も全く動き出さなくなった。

それが本当に苦しい。
才能のなさを感じて苦しくて仕方がない。

だけどさ、そもそも創作をしてるなんて変だ。
普通の人はこんな大変で、報われなくて、意味のわからない創作を
生活の中心になんてしない。
異常事態だ。

創作なんてしない方がまともなのかもしれない。

だが、辞めることはできない。
こんなに苦しくて、嫌で、自己嫌悪に至るのに、
辞めて足を洗うことはできない。

でも、その思いすらも執着なのかもしれないな。
今までずっとやってきたから、
そして他の趣味もないから、
何者かになりたいから。

馬鹿野郎、クソ野郎、わたしを倒したつもりだろうがな、
全然そんなことないんだぞ!
わたしに優しくしなかったことを後悔しろ!

やっぱりそこがわたしの根幹なのかもしれない。なんて性格の悪い人間なのだろう。
破滅するタイプの思考だとも理解している。

だけど、もう止まれない。
作家になりたい。
そして、もう過去を切ないものじゃなくしたい。同期とたまたま会った時に自信を持って笑える自分になりたい。

なんて馬鹿なんだろう。幸せになろうな。

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