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【21日目】刑場は運動場でいくつものわたしの首が転がり腐る

みなさんは、『全体遊び』を好きでしたか?

わたしは、大嫌いでした。
きっと、多くの人がそうでしょう。

わたしは、あの苦痛を忘れない。

わたしが通っていた小学校では、昼休みである25分休みで
班ごとで遊ぶ『班遊び』とクラス全員で遊ぶ『全体遊び』があった。
平日の5日間は交互にそれを繰り返す。

給食を食べ終わったら、みんなで校庭に出る。
ご飯が食べ終わらない子はぐちぐちと文句を言われる。
確か、『全体遊び係』というのがあって、彼らが一か月の遊びの予定を立てていた。

ドッチボール、鬼ごっこ、増え鬼、氷鬼、ケイドロ、色鬼。

いろんな遊びがあった。
暑くて、汗だくになっていたと思うけれど、
今の夏ほどは暑くなかった。
外で遊ぶことがかろうじてできていた。

それでも、20分以上の時間を走り続けなければならないことは苦悶な時間だった。


氷鬼をした時があった。
わたしが少し遅れていくとジャッチメントの時間が終わっていた。

お前が鬼な、よーいドン!

チリチリに逃げていく彼らは笑っていた。
ゲラゲラと、キャッキャと散っていく。
校舎の階段の前でそれを見届けている。
ポツンと、地獄の宣告を体の内側に入れていく。
ズトンと、体が重くなり、蔦が絡み付いたような足を無理やり動かさなければと、脳から指令を出すけれどうまくつながらない。

それでも死体のような体を動かす。

わたしだけが鬼で、みんなは逃げる側。
わたしVS全員だった。氷鬼は、鬼が変わらない。凍るだけだから、仲間にタッチされたら解けてまた逃げることができる。

終わらない。
終わるわけがない。
必死で走って、走って、苦痛が止まることはない。

走るのをやめる。

その瞬間に
「おい、サボんなよ」
と罵声が飛ぶ。

ずっと見張られていて、遠くから煽る声が聞こえてくる。
わたしを見て嘲笑っている。

タッチした瞬間に解除される氷。

凍らすのは時間がかかるというのに、
解凍は一瞬だ。

タッチをすることも「キモい、触んな」って逃げられる。なかったことにされる。

ああ、これが地獄だ。

わたしは、きっと何かの罪を犯して、
氷鬼地獄に閉じ込められたのだ。
喉がちぎれるように血の味で満ちる。
最後には足が血だらけになり、四肢もバラバラになって、それでも鬼ごっこを強制させられる。

きっと、殺人でも犯したのだろう。
人を深く傷つけたのだろう。

そうでなきゃ、この拷問に遭う理由がわからない。
これは拷問。
地獄として、わたしは走り続けなければならない。

目の端で、クラスメイトが座って爆笑をしているのが見える。
遠いところで、ブランコを漕いでいるのがわかる。
もうわたしにも興味すらない。

そもそも、わたしをこの刑に処しているのは一部の人間で、
他の人は全体遊びなんてしたくないから、サボれるこの時間を謳歌してるだけだ。
わたしの苦痛なんて興味ない。
そもそも、わたしが辛いことにも気づいていない。

あと、3分。2分、1分と終わることが嬉しかった。

チャイムがなって懲役が終わる。
クラスに戻る廊下で、わたしに聞こえるように
「小柳がサボってたから、何も楽しくなかったよな。最悪」
と言う声。

ああ、まだ終わっていなかった。
わたしの処刑はずっと続く。

ドッチボールは、あえて強くあてることを選ぶ人がいる。
必要以上に痛ぶるために。
ターゲットはもっと弱い子。

何も楽しくない時間を生み出す全体遊びは、
加害欲を満たすためのものだったのかもしれない。
家でうまく行かない子のための加虐時間。
そして、そこで発散させて授業中に暴れさせないようにするため。

そう言う意図があったのかもしれないな。

5年生になると『全体遊び』は消滅して、
自由にみんなで遊ぶようになる。
そうなるといい空気で遊べるようになった。

『全体遊び』という強制があることによって、
人は歪んだ感情に支配されてしまうのだろう。

本来、仲間はずれを作らないように考えられたはずの『全体遊び』が全く逆の効果をもたらすと言うのはなんたる皮肉だろうか。

だけど、自然な流れなのだろう。

人間は醜い。
下を作らないと心を安定させることができない。

今の子達はどうなっているのだろうか。
わたしはとても嫌いだったけれど、
コロナ禍で入学した子どもたちは、遊ぶことも制限されていた。
いまだに流行ってはいるけれど、解除されたふうの学校では、
もう自由があるだろう。

その時、みんなと遊ぶことは楽しさにつながっているだろうか。
わたしはもう当事者にはなれない。
わからない。

それでも、地獄が少しでも生み出されていなければいいと願う。

あまり暑くなかったあの頃の小学生として。

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