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【4日目】人のこと信じるってなんですか?ホントにあなたの血は赤ですか?

皆さんは、恩師という存在はいますか?

わたしは、いないと思う。

だけど、恩師となりそうだった人はいた。
そのかたが先日若くして亡くなった。

その先生とは、大学3回生になり
現代詩演習で短歌を履修した時に知り合った。
わたしが一発目に出した短歌を読んで、才能があるといってくれた。
9月には歌壇賞の応募を導いてくれたし、
zoomの歌会にも何度か招待してくれた。
短歌会にも誘っていただいた。
わたしが一度、ながらみ書房さまの『短歌往来』に新人の部で掲載していただけたのも、この先生のおかげだった。

三年生の間は実にお世話になった。

だけど、4回生になり、聴講をしようと思っていたのに
必修科目の真裏でしか授業がなく、お話をする機会すらも無くなってしまった。
先生も体調を崩していたようであったし、
わたしも卒制と就活等々で慌ただしい日々を過ごしていたため、
積極的に何かをできなかった。

それと同時にどこか恐怖を感じていたのだと思う。

その先生が、というわけではないが、
「求められていることに答えれないかもしれない」
「コントロールしようとしているのでは」
「なんでそこまでしてくれるのかわからなくて怖い」
と思ってしまっていた。

とてつもなく失礼なことだとはわかっている。
だけど、どうしても怖くて、心の底から信用をできなかった。
きっとオーストラリアに誘われた時について行っていたら、
わたしの人生は大きく変わっていたのかもしれない。
短歌界の重鎮とされそうな人たちと繋がることができていたかもしれない。

だけど、わたしは飛び込めなかった。
就職活動ですり減っていて、わけがわからなくなっていた。
不安でいっぱいで怖くて仕方がなかった。

ずっと、恩師が欲しかった。

小学生の時から、担任との相性が著しく悪く、
というよりまともな教師があまりにも少なく当たったことがなかった。
パワハラ、暴力、無関心、責任転嫁、そういったタイプの教師が
たくさんいた。
わたしたちの学年は特にハズレだとされていて、
お互いにそういうふうに思っていたんだろう。

恩師に出会って、卒業しても連絡するような関係を築きたいと思っていた。

だけど、わたしは恩師となりうる大切で素晴らしい存在を前にして、
怖気付いてしまった。

人を信用できない。

それがいちばんの傷なのではないか?

どうせ、裏切られて傷つけられてしまう
どうせ、全部嘘なんでしょう
どうせ、今だけの言葉で困った時には見捨てるんでしょ
どうせ、どうせ、どうせ、

そう思うようになったきっかけは、どれだったのだろう。

小学校入学前から、兄の同級生の妹たちと仲良くなった。
わたしとAとB。
もちろん同い年で、兄たちが遊ぶ時について行って仲良くなった、そういうよくあるやつだ。

一年生になって、同じクラスになった。
家も近いから、3人グループで生きてきた。
当然すぎる流れだった。

だけど、どこかのタイミングで、
二人だけが仲良く過ごすようになり、
わたしだけが外れている時間が増えていった。
そして、悪口を言っているのが聞こえてくるようになる。

ああ、あの二人はわたしの悪口をダシに二人の仲を深めることにしたんだな。
ああ、あの二人はわたしを選ばなかったんだな。

それでも、よかった。
二人だけで先に帰っているのも、仕方ないと思っていた。

ある日、突然二人がわたしに擦り寄り始めた。
二人の仲がいい感じになったから、わたしはメンツに復帰していいことになった。
わたしはそれを受け入れる。

また、しばらくして、悪口を言われハブられる時期が来る。
そしてまた、仲良くしよのモードに入る。
それをエンドレスで繰り返す。ぐるぐるぐるぐる、同じことを何度も何度も繰り返す。
わたしはそのたび、許して、なかったことにして、仲良くしていた。

多分、全国各地津々浦々、どこでもかしこでも
女子はやっている通過点であろうと思う。
みんなやってたし、わたしもそうしてた。
当たり前のことだから、傷つく必要もなかった。

でも、実際はどうだったのだろう。
わたしは思っていたより傷ついていたのではないか?
なかったことにすることで、真にそのことと向き合っていなかった。
そのせいで、その傷はキズパワーパッドを貼ってもらえず、傷跡が残ってしまったのではないだろうか。

小学五年生ごろだったか、
毎日仲良くして、「とかげがいちばん!」なんて言ってた友達が、
突然わたしの悪口を周りに吹聴し始めて、
ありもしないことをでっち上げて、
「睨んだ!」「悪口言ってる!」などと騒ぎ始めたことがあった。

おやおやおや、
そう思ってその時通っていたスクールカウンセラーに話してみたところ、
「あー、もうすぐバレンタインだからですね」
と言われた。

確かに、2月に入ってから急激にピリピリし始めたと思い出す。
その子の好きな男子がわたしの保育園からの幼馴染だったため、
突然「ライバル」認定をされたのだった。
そして、バレンタインが終わると一瞬で全てなかったかのように
「マジ仲良し☆」というスタンスになって戻ってきた。

女子って怖いな、と思った。
あの頃からわたしは、女子が嫌いで、恋愛する人が嫌いで仕方なくなった。

中学一年生の時、
教師の中で「今までは2年生だけで形成してきた生徒会に一年生を入れて、次の年の引き継ぎを楽にしよう」という計画が進められていた。

そこで、白羽の矢が立ったのがわたしだった。

「お願いだから、立候補してくれ」
「生徒会立候補するなら小柳だろ」
「ちゃんとサポートするから頑張ってくれ」

なんて、教師たちは言った。
でもこの会話も全て、人の使わない階段で、ちょっと暗い人気のない場所で行われた。担任、学年主任、生徒会の担当の先生、それぞれから口説き落とそうとして、話をされた。

そしてわたしは、
前代未聞の謀反者に仕立て上げられた。

立候補した途端、
わたしは「わたしの意思で勝手にイキって立候補したやばい、生意気な一年」と成り果てた。

先生たちは、自分たちの思惑を一切、他の生徒には伝えなかった。
わたしは謀反者となり、
全生徒から悪口を言われるようになった。

2年生とはそもそも仲が悪かった。
なぜなら、わたしの家の隣が2年の中でいちばん不良で中心的な権力を持った人だったから。小学生の頃は集団登校でそいつを連れて行かなければならない担当だったから、母子両方から「うざいやつ」とされていた。その結果、その周辺の人間から嫌われていた。
そして、兄が中学でも伝説的な優秀な人物だったことも目をつけられる大きなきっかけだった。兄は四つ上なので、その時にはとっくに卒業していて、味方をしてくれる人はいなかった。

謀反者のわたしは、登校をするだけでヤジを飛ばされた。
下校の道でも後ろから大きい声で怒鳴られた。ついて来て、罵声を飛ばされた。

そう言ったことを相談しても、教師は知らんぷりだった。

わたしは生贄だったのかもしれない。
全ての悪意をわたしに向けることが、教師の計画だったのではないか?

そう思うほどの襲い来る悪意の塊は、
同級生の中にも当然広がっている。

同級生は「〇〇ちゃんも立候補したかったのにできなかった、小柳だけずるい、悪い」というような流れができていた。
全員が敵とはこのことだなぁ、と思った。

全校生徒が投票する形式の選挙は無事行われ、
わたしには数票しか入らなかったそうだ。

教師は、
「数票しか入ってないけど、生徒会の人数足りてないから当選することできるけど、当選でいい?」と聞いてきた。

これでもし、わたしだけが落ちたってことになったら?
今よりも酷い民意になってわたしが悪役になるのではないか?
震える声で、「はい」と答えた。
答える以外なかった。

その後、中学2年生の5月ごろまでは頑張っていた。
その間も、
あいさつ活動中は誰もわたしには挨拶を返さない、
毎日のようにヤジが飛ぶ、
クラスでもはみ出しもの、
生徒会でも仕事をするとより浮いてしまう、
そんな中だった。

あいさつ活動は、登校時間よりも前に行って外で立って行っていた。
中学校は、とてもとても長い坂の上にあった。
心臓破りの坂と名付けられて、自転車の競技もできそうなほどの坂は、
地獄に向かう針の山と同じだと思うに十分すぎるものだった。

体が重く、動かない。
今にも倒れそうな体を必死で動かして、泣きながら校門の前まで行って、
門をくぐるときには涙を消し去って挨拶をする。
誰よりも先に行かなければならないから、頑張って頑張って、倒れた。

その結果、わたしは学校に通えなくなった。
それでも、
生徒会だけはやらなくちゃ、
やるって言ったんだからやらなくちゃ。

そう思ったわたしは、生徒会のある日の水曜日に授業は出られないけど、と
別室登校をさせてもらった。

特別支援教室で待たせてもらうと入ったら、そこに隣の家のヤンキーがいた。
え、え、だめじゃん。
そして、掃除の時間になった。わたし以外は誰もいなくなった。
廊下から騒ぐ男子の声がする。この持ち場は一つ上の学年の持ち場だ。
騒ぎ方がわたしをヤジしていた時の声、テンションに聞こえて怖くなった。
アイツはわたしがいたことを知っている。
ということは、他のヤツらにそれを伝えてるかもしれない。

ドアが開いた。

正面にあるドアが、一瞬開いて、男たちがこちらをみたのと目が合った。
奇声のような声をあげている人間たちと目が合ってしまった。

手は震え始め、心臓は体を抜けて飛んで行ったのではないかと思うほど、力が抜けているような入っているようなそんな状態になっていた。

何度かドアが開けられる。

わたしの背後にはベランダというのだろうか、校庭に繋がる大きなドアがあった。
そこから逃げれば、すぐに職員室だ。
ドアが閉まっている瞬間に出れば、気付かれることなく逃げれる。

そう思って動いた。
背後のドアを開けて、その瞬間に、正面のドアは開かれた。
そのときにはもう男は走り出していた。
逃げるわたしを捕まえようとしている。
これは、命の危機だ。

白い靴下のまま、外を走る。土にまみれた掃除のされないようなコンクリートを走った。
わたしは、最後の力を振り絞って、職員室の窓を叩く。
それと同時に男はわたしに追いついた。
職員室には珍しく保健室の先生がおり、「どうしたの?」を発している途中で気がついた。

「帰りなさい!」

わたしにではなく、その後ろから来た男に向かって、怒鳴りつけてくれた。

わたしはその場で力が抜けて、座り込んだ。
死ぬと思った。そのまま保健室に連れて行かれて、わたしは嗚咽を出しながら泣くしかなかった。感情が追いついておらず、恐怖が口から溢れていた。

そんなところに、その男の担任は、その男とともに謝罪に来た。
今思うと、その謝罪も暴力の一部ではないか。
許せないし、顔も見たくない。

怖くて苦しくて震えているわたしに、
学年主任が話に来た。

「学校に来れないなら、生徒会の活動もさせれない」

まるでわたしが生徒会の活動をしたくてたまらないかのように、
そして、登校できないわたしへの罰かのように、
言った。

ああ、もうわたしは学校には通えない。

そう確信した。
正直、男への怒りよりもその発言への方が憤りを感じ始めていた。

お前らがわたしを地獄に導いたのだから、
せめて、仏の糸ぐらいは一本でもいいから垂らすべきなのではないか?

そんなこと関係ない。
むしろ、小柳が勝手にやったことだ。
小柳が勝手にやったことを手伝ってやったのに、こんな仕打ち許せない。
そう思っているかのような対応ばかりだった。

ああ、大人は信用できない。
ああ、人間は嘘ばかりだ。
ああ、人間は全部都合のいいところしか考えてない。
損切りされるのはわたしだ。

そう、わたしの脳は、心は学習してしまったのだろう。

だから、人が優しく近づいてくると怖い。
わたしは簡単に信じてしまう。
わたしは簡単に許してしまう。

だからこそ、切られることが怖くて、人のことを信じることができない。

わたしはもっと人を信じたい、
そしてその人に乗って、飛べるところまで飛んでみたい。
その人のことを使い捨てるようなことはしたくない。
ちゃんと、人として向き合って、より良いところに向かいたい。

本当はそう思っている。

だけど、まだ、人と深く関係を築くことができない。

「どうせいなくなるし」
と思う。

DMもLINEも返すのにハードルを感じるし、
人を遊びに誘うのも難しい。
誘われると嬉しいけれど、同時に疲労も感じる。
ものすごく嬉しいのに、
人に求められたいのに、
切られることを思うと
自分からの好意なんてなかったし、と
思えるように適当に距離を取る。

誰かの一番になりたいと思い続けているけれど、
そもそも誰かの一番になれるような振る舞いができない。

人と遊びに行くことも気を使いすぎて疲れてしまうから、
そもそもあまりしてこなかった。

わたしは、心を守ろうとしているんだろう。
変化が怖い、変化の先には闇がありわたしだけが傷つく道があるような気がしているから。
でも、きっとみんなも傷ついている。
わたしも傷つけている。
それもとても怖い。人を傷つけてしまうのも怖い。

わがままだ。
わたしはひどくわがままだ。

だからこそ、

許さないために、わたしは文章を書く。
怒っているために、言葉にする。
悲しさを理解するために、言語化する。

思いは何度でも言葉にしていこう。



短歌に導いてくれた先生へ
あなたのおかげで、今わたしは短歌を続けています。
あなたのおかげで、新しい短歌の才能を認めてくれる人に出会いました。
あなたにきちんと感謝を伝えることはできなかったけれど、
あなたに力を込めて作った作品を見せることはできなかったけれど、
あなたとの時間があの一年だけでもあったことは、
わたしにとっての救いへの道だったと断言できます。
うまく期待に応えられなくてごめんなさい。
あなたの想いに応えられるように、
短歌で結果を出しますので、
みていてもらえたら嬉しいです。
ありがとうございます。
ありがとうございました。

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