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【18日目】導きに従うままに雲があり天使の梯子は外されていく

演劇が好きになったのは、物心がつくと同時だった。

5歳の時から、わたしはラーメンズを見ていた。
毎日、ラーメンズの公演DVDを見ながら、ギジジンの真似をする。

周りが、クレオンしんちゃんやポケモン、ドラえもんを見ている中で、
わたしはラーメンズとアニマル横丁とドレミちゃんを見て育った。

その頃から、同世代と話は合わない曲者感が養われていたのだろう。

小学生になるにつれて、片桐仁がおかしくて面白いと思っていたから、
小林賢太郎の凄さに気づき始める。
お笑いが好きだった。
演劇が好きだった。

ちゃんとした演劇を見にいったのは、
KOKAMI@networkの『イントレランスの祭』だっただろう。
あの時の衝撃は今でも忘れられないし、あれを超えることはないかもしれないと思う。それぐらい、頭を殴られた。

中三の年に、小林賢太郎の『KAJALLA』が始まった。
家族と共に見にいった憧れの舞台は、軽々と気持ちの良いテンポで会話が進む。
心地よさだけでなく、ドキドキとドッと笑う展開。
楽しそうだと思った。

高校生になった時に#2があり、
わたしは家族ともいった後に1人でも見にいくことにした。
学生価格があったから、もう一度みたかったのを叶えることにした。
入学してからの憂鬱を吹き飛ばすように、大人の階段を一歩上がり、二階席の一番後ろの席に座った。

舞台上に皆が釘付けになる。
暗くなっては現れる。
新しい物語が始まる。

そこで買ったボールペンはクリップのところが、金色でとてもカッコよかった。
敵ばかりだと思う高校で、制服のポケットにそれを刺す。
するととても大人びて、おしゃれで強い気がした。
これでわたしは守られる、そう思うことにした。


その一週間後ぐらいに、新入生歓迎会があった。
わたしは、弓道部に入るつもりで高校を選んでいた。
弓道はカッコよかったし、なにもわからないけどみんな高校から始めるだろうから、きっと大丈夫だと思っていた。

でも、新歓で演劇部が現れた。
正直上滑りしてた気もする。
演劇部とはそう言うものだし、新歓というのはそういうものだ。
ちょっとボケて、ちょっと突っ込んで。
しょうもないようで、それでも何かわたしの中の何かと共通するものを感じた。

その時仲良くなっていたクラスメイトと一緒に
演劇部の体験入部に参加した。

「すいませ〜ん、見学来ました」

バトミントン部、バトン部、ダンス部と騒がしい中、
講堂の舞台の上で練習をする部員たちに近づいていく。

1人がダッダッダッとわたしに駆け寄ってきた。
なになになに。

「え、その胸のペンってKAJALLAじゃない?」

心臓が大暴れをするように激しく動いた。
何かが起こった。
それはわたしにとってより良いことだ。

わたしの守護神は、守護だけじゃなく、縁結びの力もあった。

「うちも行ったよ!ラーメンズ大好きなんだ!○日に行った!」

「え、わたしも同じ日に1人で行きました!」

運命の流れがやっとわたしに追いついた。
少しぐらいいいことがあってもいいじゃないか。

当時、3年生は3人、2年生が3人の小さい部活だった。

その3年生全員で同じ日に公演を見に行っていたという。
同じ公演をわたしたちは共に見ていた。
きっと、ものすごく近い席にいたことだろう。
そんな出来事を「運命」と呼ばずして、何と呼ぶのだろう。

先輩たちは皆、優しくて、わたしは当然のように入ることになった。

一緒に行った子Xも、入ることにした。

弓道部の見学には行かなかった。
弓道場が少し遠くて、見学に行くハードルがどうにも高かった。
あの時、弓道部に入っていたら、わたしはどんな人になっていたのだろう。
きつくてすぐに辞めていただろうか?
それとも、武道を極めることが楽しくなっていたのだろうか。

写真同好会や軽音部も見に行った。
それでも、わたしは演劇部しかないと思ってしまった。
『運命』を感じてしまったから。

わたしは、役者にはならなかった。
Xは、役者になった。
たった、2人だけの新入部員だった。

文化祭の脚本は、ラーメンズが好きな先輩が書く。
カートゥーンやディズニーが好きな彼女が書く物語は、POPでとてもファンタジーだった。

わたしは裏方として、進行や照明を勉強していく。
大した部活ではなかった。

大会には出ることができなかった。

顧問に掛け合ってみても、絶対にダメだと言われた。
その余地はない、と。

本当に最低限度のライトしかなく、マイクもない。
小道具もあまり作れない。
顧問は演劇などなにも興味がない生徒指導の強面の先生だった。
入部届けには「先輩の言うことをきく、先生の指導は絶対」みたいなとても体育会系な言葉が並んでいた。
怖くなった。
このまま入っていいのかと思うほど、脅しのような誓約書を書いた気持ちだった。

でも、実態は違う。
とてもゆるくて、ゆるくて、先生は興味すら持っていない。
指導はなにもない。
見に来てもくれない。

副顧問として、社会の若い女の先生がついてくれた。
彼女は演劇をやっていたそうで、大会にも出てたこともあり、
ちゃんと見ようとはしてくれた。
でも、忙しい上に顧問との上下関係もあり、大きくは関わってくれなかった。

故に、自由にできたとも言える。

高校一年生の10月、定期公演というものが行われた。
先輩方が脚本を書き、短編を色々と上演する。

その中にぎりぎりに滑り込んで書いたのが、
『さえずりも聞こえない』という1人劇だった。

誰もいない舞台で、わたしが演じる作品。
ライトも演出も全部自分でやって(当日のオンオフだけお願いして)、自分で演じる。

考えついたのは、休憩時間に舞台の上で1人で歩いている時だった。
ラーメンズの『採集』を思い出し、「ここは田舎だ、超ど田舎だ。来たけど彼女はちょうどいなかった」と動いてみる。
大きく大袈裟に振り返ってみる。
「きゃー」と叫んで倒れるふりをしてみる。
何か見てはいけないものを見てしまったとして、腰を抜かして、後ずさる。

もくもくとわたしの中で何かが芽吹いていく感覚があった。

「あーもう、ここ、どこなのよ!」

口から溢れていく言葉をそのまま発して動いてみる。

「ずっと歩いているのに、山しかないんだもん!」

倒れ込んでみる。

「目を覚ますと毒虫になっていた、なんてな〜。毒虫どころか何もないんだよ」

「道祖神?何でこんなところに道祖神が?!」

言葉は物語を編んでいく。
勝手に編まれていくストーリーは、進んでいき、オチが見えた。

ああ、これがわたしの舞台だ。

そう思った。
帰り道、電車の中であの衝動を文字にしていく。
完成した脚本をもとに、わたしは1人で動きをつけていく。

1人しかいない舞台。
道祖神しかない舞台。

空間を埋めるようにわたしは動く。
でも、動くためではなく、キャラクターの感情として動く。
動く動く動く。

空間を詰めるように。

なにもない舞台にわたしが1人。
それでも飽きさせない緩急と、展開。
衝撃を作る。

ハッとさせるために、大きい声を出す前は小さくしていく。

それらを覚えたのは、教習本ではなく、
全て、ラーメンズだった。

衝動の表現の仕方を習ったことはなかった。
滑舌だって良くない。
演技を習ったこともない。

それでもわたしは、1人で舞台に立った。

他の短編は、数人ずつでやっている中で、わたしは1人。
見劣りしないように、
全力を出し切った。

中学でほとんど着なかったセーラー服を身にまとい、狂っていく。

そして、わたしは舞台上で、
倒れる。終わり。

拍手が起こった。
それは、1秒の無音、静寂の後だった。

幕が閉じて、わたしは立ち上がり、すぐに裏方としての仕事をする。

アンケートを読むと1人劇がすごかったという意見がたくさんあった。
仲のいい母の友達の子供も見に来てくれたが、
「とかげが怖かった」
と言っていた。
それでも、目を離せなかったと。

わたしは、演劇にハマった。

表現の面白さ。
舞台じゃないとできない面白さ。

舞台だからこそできる表現。
制限されるからこそ、自由がある、その制約を掻い潜るのが楽しかった。

あの頃は楽しかった。
また、新たな波乱が生まれるまでは。

一年ぐらいは余地がある。
その一年の話はまたいつかしよう。

わたしは演劇がしたかった。
まだ、したいのかもしれない。

きっと、まだしたい。

でも、できなかったのは何故だろう。

劇団『高気圧』

それはわたしが大学で作ろうと思っていた劇団だった。
不登校支援と共に舞台や作品作りをやりたかった。
コロナでバラバラになった仲間は、アートサイエンス、写真、演劇、小説と幅広く、伸びやかに何かを作ろうとしていた。

けれど、もういない。

今からでも、なにかできるだろうか?

わたしと、劇団『高気圧』として何かをやってくれる人はいるだろうか?

わたしはまだ、したいのだろうか。
それもわからない。

だけど、劇団高気圧という言葉はわたしの中に大きく引っ掛かりとして残っている。

消えない傷になるかどうかはわたしの今後にかかっている。

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