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記事『自動記述はアニミズムにつながるのではないか』

シュルレアリスムの代名詞である「自動記述」、ここに私はアニミズム的世界を感じる。
意味を確定する意識の介在をできるだけ排除して、自分の意思とは別の場所の部分を使い、記述をしていく。脳科学者の茂木健一郎は『もともと、「意味」は、神経回路網の中のユニットの相互関係から創発的、自律的に生まれるものであり、最初から外界にあるわけではない。したがって、固定されたものとして意味の体系をとらえるのは創造的ではない』と言う。ここから考えると、世界を見ているのは、世界に意味を持たせているのは、人間の主観であり、歴史的に作られてきた意味を見ていると言えるのではないか。しかし、自然世界は人間がいなくとも端から 存在していて、そこに意味を持たせる必要がない。言葉の「意味」を作り出して意味をつけているのは人間でしかない。着飾った言葉を通して、自然を、世界を見るのが一般的である。
そこで、「自動記述」だ。これは、限りなく人間の思考を排除して描く言葉だ。山田先生の解説にもあるように「主体表現が消えて客体表現の世界、物と物の併置を中心とする『無秩序なオブジェ世界』」が出現するのだ。この世界は、モノはモノでしかなく、そこに意味はない。限りなく、本来の自然そのものの形に近くなるのではないか。そこには、人間を超越した世界=アニミズム的世界が広がっているのではないだろうか。
また、「自動記述」の中には一種の降霊術のようなものを見出せるだろう。霊能者やチャネラーが「先祖の霊をおろして喋る」ことは多くあるようだ。または、「高次元の存在」とのチャネリングなども存在している。こういった要素を文学としての「自動記述」にも少し感じるのだ。だからこそ、トランス状態に陥り自我から離れてしまうことがあるのではないか。
「自動記述」はハイデガーの言う「世界 内 存在」から外れる行為なのではないか。
しかし、「自動記述」が主流にならなかったところ から見ると、やはり人間は「世界 内 存在」
の中で生きていきたいのだろう。そして、アニミズム的世界も理解しがたい人間が多くいるのだろう。個人的にはとても好きだが、これが現代社会でもう一度認められるかと言われたら微妙であろう。

参考文献
山田兼士、2009 年、『百年のフランス詩』、澪標。
茂木健一郎 公式ブログ シュルレアリスムとオートマティスム Po wered by LINE
(lineblog.
田中正人、
2015 年、『哲学用語図鑑』、プレジデント社。

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