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【24日目】空を見て憂鬱になれる権利あるそんな日々を死守したいだけ

2025年7月に世界に異変が起こる。

そんな噂が回っている。
オカルト界隈ではもう当たり前のように言われている。

それは、ノスタルダムの大予言と同じように言い伝えられている。

だから、きっと起きっこない。
所詮は、噂。都市伝説、オカルト。

怪異が大好きだからこそ、それらをよく聞くし、仕組みも理解している。
恐怖心とは、信じることで募るし、警戒心にもつながる。

わたしは、正直オカルトは好きじゃない。
陰謀論とも限りなく近いし、スピリチュアルも信じられない。

怪談も怪異も大好きなのに、何かが違う。
それは、信じてしまうからだと思う。
人より、信じやすいからだと思う。
ハマってしまう可能性が高いからこそ、警戒する。

わたしは常に軽い希死念慮に付き纏われている。
死んだ方がきっといいに違いない、死んでいたらきっと楽になっただろう、
そうやって思っている。

だけど、わたしはいちばん辛い時に死ななかった。
死ねない人間だとわかっているから、リストカットもしない。
リストカットをしてしまったら、のちの自分の人生に大きな傷をつけてしまう。
死にもできないのに、傷だけが残り、人生の難易度が上がってしまうだろう。
小学生の時から、ずっとそう思って生きてきた。

だからこそ、わたしは心の中でリストカットをした。
切ったと強く思い込むと、切ったかのように手首は痛くなる。
そして、自分の頭の中で現実よりももっと酷い状況の物語を作り出して、
演じる。その子が傷ついて、その子が死のうとしているだけ。
苦しくて仕方がないのもその子。
痛みも悲しみも、わたしよりもその子の方が酷いから、わたしは大丈夫。
そう思いながら生きてきた。
きっとそのせいで、脳はそれの依存症になっている。

死にたいと思いながら生きていても、
世界滅亡は恐怖だ。

死にたくないと思ってしまう。
怖いと思ってしまう。

なんて、わたしは弱いのだろう。

わたしの死にたいは、楽になりたいでしかない。

そんなことを以前呟いたことがあった。
すると「そんなのオカルトでしかないんだから、信じるなんて無意味だ」というようなリプライが二つも来た。

何も理解してない人だと思った。
そして、この恐怖については意外と理解がされないものなのかもしれないと思った。

予言などがオカルトでしかないことは、わたしも理解している。
ただのマウントなんだろう、マンプスレイニングだったのだろう、とは思うけれどわたしはモヤっとして仕方がなかった。無知だと思われていることが嫌だったのかもしれない。

でも、オカルトの根本は恐怖だ。
わたしの感じていることこそが、オカルトが流行る理由だろう。

怪談が人の心を離さないのは、
死を考えることができるから。

そして、死を考えるということは、生を実感することとである。

今、生きていることを思い出す。
死を思うことは、そういうものだ。

そして逆に、知っていて目を背けることは生きないということではないか。

わたしはずっと、死に魅入られている。
そして、生に魅入られている。

死ぬことは怖い。

地震が来たらどうしようと不安になる。
戦争が日本でも起こったら?と不安でいっぱいだ。
怖くて怖くて仕方がない。
あれほどいつも死にたいと思っているのに。

矛盾であり、一貫している。
何事もなく、世界が平和になりますように。

もうすでにいろんなことが起こっているけれど。

少しでも被害が少ないように。

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