【23日目】夢だから知ることできた真実は現実に反映されるだろうか
父が突然怒り出した。
わたしと母に向かって、「お前らは怠けすぎだ、何もしてない。お前らは本当にダメだ」って。
父は怒る人ではなかった。
だから衝撃だった。
だけど、わたしは言い返す。
「わたしのこと大事だと思ったことあった?愛してる?素直に言ってよ」
ずっと聞いたことのなかったこと。
「……愛したことはない」
そう答える。
わかっていた。ずっと知っていた。
だけど、喉から苦く熱いものが込み上げてくる。
「やっぱりね。兄のことは愛してるの?」
「愛してる」
「それは、頭がいいから?かしこいから?わたしは賢くないから愛されなかったの?」
そう言っている夢を見た。
そう、これは夢の話。
こんな衝撃的なことは起きない。
まともな会話はほとんどしてこなかった。
父はわたしたち家族に関心がない。
そう、関心がないのだ。
それでよかった。
干渉もされないし、文句も言われない。
お金も自由に使わせてもらっているし、経済的にも問題がない。
退職についても「はや」とは言われたものの、「そう言う奴らのところにはいないほうがいいしな」と言ってくれた。
別にひどい父ではないんだろうと最近思う。
だけど、わたしは昨日こんな夢を見てしまった。
なぜだろうか。
何となく、この二日間、父の言動に棘があるように感じたからだろう。
何年前からか、わたしたちは家庭内別居をしている。
元々、父方の祖母と二世帯住宅の形で同居していた。
その始まりは、わたしが4歳の頃だった。
祖母の認知症が始まり、
父の実家である家を解体し、新しい家を建てた。
三分の一のサイズに祖母が住んでおり、その境目にはドアがついており、そこから出入りはできるのだが、基本的に閉じるようになった。
祖母の認知症は次第にひどくなっていった。
毎日のように怒鳴るようになり、小さな物音でドアをガンガン叩いて
「女のくせに!うるさい!黙れ!許さない」と罵られる。
父は朝早くに出ていき、夜の12時を超えて帰ってくることが多かった。
それは、わたしたちが生まれたときからだった。
新潟から単身でやってきた母は完全なワンオペでわたしたち兄妹を育て上げてくれた。
兄は心臓病、2人揃ってひどいアトピー。
そんな厄介な2人をうまく育ててくれたと思う。
父のことを嫌いだと思ってはいなかったはずだった。
ワンオペであったと言うことも成長するまで知らなかったから。
だけど、認知症の祖母と生活するにあたって、父は何もしなかった。
仕事だからと構うこともなく、わたしたちの苦痛に寄り添うこともせず、
夜中まで帰ってくることはなかった。
父は三兄弟であったのに、他の兄弟に助けを求めることもなく、お金をもらうこともなく、全ての責任と苦労をわたしたちに押し付けていた。
押し付けているという自覚もなかっただろう。
罵声が飛び続ける生活で、わたしと母は精神と身体に異常をきたし始めていく。
しかし、それでも父は何とも思っていなかった。
気づくことすらなかった。
兄は祖母に好かれていたから、毎日ご飯を付き合ってあげていた。
一緒にテレビを見ては、1時間ぐらい過ごしてあげる。
本当に優しくできた兄だった。
一方、わたしは顔を見せるだけで怒鳴られる。そう言う日々だった。
父はアルコール依存症の一歩手前だった。
暴れることはないけれど、飲みにいくと必ず泥酔になり、家に帰ってくることすらできない。風呂に入れば何時間も入って死ぬのではないかと心配になる。
母が兄を身籠もっていた時も、泥酔の末、血だらけになっていたという。
そう言う人だった。
注意しても、治ることはなかった。
絶対に飲みません、そう何度も誓った。
それでも、酔っ払って帰ってくる。
わたしが不登校になっている時に、父はPTA会長になった。
わたしは学校に行かないのに、父は学校に行く。
不登校になる原因のことなど、聞きもしなかったのに。
解決しようとすらしなかったのに。
父はPTA会長として、入学式や卒業式の来賓、挨拶などをしていたことだろう。
人間の心というものがないのだと思った。
わたしに一切の関心がないのだと思った。
それでも、小さい頃は父とゲームセンターでメダルゲームをしにいった。
父とわたし、母と兄のセットだった。
遊びに行ってくれるのが父だったから、というのと、
わたしが父と遊ばないと寂しいだろうと思ったから。
父は町内会や会社の部活?に精力を注いでいた。
それについていったことも多いし、思い出でもあった。
だけど、わたしたちの間には大きな溝ができてしまった。
言っても、言っても、治してもらえない。
言っても、言っても、助けてくれない。
言っても、言っても、解決を探そうとしてくれない。
そういう態度にわたしたちは疲れてしまった。
もう無理だと思った。
小学6年生ごろだったか、離婚の話が出たこともあった。
父は治すからと言い、やっと祖母のことについての解決に動き始めた。
それでも、アルコールは飲み酔い潰れて風呂に入る。
わたしは深夜まで何度も何度も声をかけて、上がれといった。
上がってと。
中学生のわたしが1時まで起きて、何度も訴えて、やっと上がってきた時には、
下半身を隠すことなく、カーテンに隠れているわたしをわざわざ覗きにきた。
びちょびちょな状態で。下半身丸出しで。
わたしの中でも父に対する嫌悪がMAXになった。
もう無理だと思った。
そうして、今まで別居を続けている。
風呂も洗濯も夜ご飯も用意するけれど、それ以外は基本関わらない。
「お風呂どうぞ」とご飯を持っていくことはわたしの仕事だった。
ずっと。
感謝はしている。
私立に通わせてもらったし、今就職に失敗したわたしを扶養に戻す手続きもやってくれた。小言も言わない。
でも、わたしたちの会話は実にぎこちなく、軽く喋っている風を演出している。
そんな中で、わたしはあんな夢を見た。
「愛している?」
わたしは聞いたことがなかった。
聞いてみたいと最近思い始めていた。
本当に聞いてみたかったのだろう。
そして、答えは『NO』だと思っているのだ。
悲しかった。
そのことを悲しいと涙するのだと驚いた。
それだけでなく、
「賢くないから愛されないのだ」と思っていたことこそがいちばんの衝撃だった。
そんなことを思っていたのかと。
わたしはずっと、賢くない自分を失敗作だと思っていたのだろう。
兄は賢く出来がいい成功であり、
わたしは失敗作だから愛されない。
大事にされない。
だから失敗をし続ける。
迷惑をかけてしまう。
だからより、愛されない。
父にとって、わたしは眼中にないのではないか、と思っている。
そんなことないはずなのに。
兄よりも父に優しく関わっていると思うし、全ての連絡をわたしが担っている。
わたしがいないともうこの家は成り立たない、とそう思っている。
なのに、わたしは深層心理で確信している。
なぜなのだろう。
なぜなんだろう。
怖かった、悲しかった。
でも、悲しいと思うこともびっくりだった。
わたしは、自分を愛せない。
祖母の罵倒と不登校の経験、そして前職のモラハラで、わたしの自己肯定感は完全に壊れてしまった。
何もできないと思う。
何もできないからこそ、何かを成し遂げなくちゃと焦っている。
真っ当な努力や社会生活はできないのではないか。
それでも、頑張って生きなくちゃいけない。
わたしはいつか、父に聞くことが出来るのだろか。愛してるのって。
そんなことはできない気がする。
結婚式にも呼べるだろうか。
わからない、本当にわからない。
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