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記事『SNS主軸の社会』

【メディア論のレポート】
 SNSの利用によりメディア環境が大きく変化する近年。その中での体験をもとに、SNSがこれからの社会にどのような影響を与えていくと思うか。

『SNS主軸の社会』

 SNSがなければ、大学で友人を作ることは出来なかっただろう。私はTwitterで同級生たちと知り合い、仲を深め、事前学習に挑んだ。そうすることで孤立感はなくなり、大学に行くのが楽しくなった。しかし、このように作った友人は関わらなくなった人が多い。これはつながりの薄さゆえか、現実で会わないことゆえか、そのように言われるがネットだけで関わるほうが圧倒的に人の中身を見ることが出来るように考えられる。Twitterの使い方として、出来るだけ飾らず、どろどろとした汚い部分もツイートし、コミュニケーションをとり、趣味について語り合うことが出来る。Instagramはきれいなところを見せて、飾る。SNSによって利用の方向性に傾向があり、私たちはその両方から他者のことを見て認知していく。

 また、コロナにより大学生活が延期された。しかし、履修登録は何の情報もなく決行された。本来ならば、フレッシュマンキャンプなどで先輩方からの情報が得られるはずだが、今年の新入生は自らの力のみで登録をしろと言い渡された。ここで大きく役に立ったのが、SNSの存在だ。ここで先輩とつながり、授業内容や教科書のこと、履修登録のやり方を教わった。そして、SNSで同期とつながっていなかった人で履修登録を間違ったという人も少なくなかった。ここで、情報弱者が生まれる。いや、情報強者が生まれるのだ。

 このようにSNSの利用は、日々の暮らしに響いてくる時代だ。十代のテレビの視聴時間は他の世代と比べ圧倒的に少なく、全ての情報をSNSで得ていると言っても過言ではない。ニュースはTwitterのトレンドやAbemaTV、勉強がわからなかったらYouTube、このようにSNSアプリケーションを変えて情報を得る。また、テレビ側も「ハッシュタグをつけて感想質問を!」とSNSの利用を促し、迎合している。

 これから先の社会は、SNSを主軸に動いていくだろう。しかし、そのSNSが安全なのかということを考えなれけばならない時代が来るだろう。

 今年の一月の終わり、様々なSNSで『Clubhouse』という新たなSNSが出来たと話題になっている。現在進行形で、ある種の旋風を巻き起こしている。『Clubhouse』は完全招待制の音声SNSである。招待をされないとSNSを始めることが出来ないのだ。しかも、いまだ日本語の対応はしていなく、全編英語である。なのに、急激に巷を騒がせる存在となった。これはなぜか。招待制というのは、過去にはmixiというSNSでも行われていた。これは口コミで広がったけれど、『Clubhouse』はSNSでSNSの招待が拡散されるという不思議な事態が起こっているのだ。著名な方が「○○さんに招待してもらった」と投稿をすることで、そのフォロワーがその「『Clubhouse』とやらに参加しないと」と思い、「招待してください」とツイートで出回る。また、別の感情として「誰かの二人の枠に選ばれた」という事実に感動を覚えるのだろう。選ばれたいという思いから来るものであり、そのサークル内に入らないと、という一種の強迫観念に近いのではないか。そして、その「招待してください」の投稿を見て主流はそちらにうつるのだ、と感じるため疎外されないように新しいものに乗っかろうとする。

 もともとこれはシリコンバレーで流行っていたものであり、アメリカで開発されたものだ。招待制であるから、親密な中の人、安心できる人だけで形成される濃いコミュニティを作りたいという思いからできたのではないかと想定される。アメリカは音声での会話に重きを置いているため、こういうものが主流となったのだろう。

 しかし、日本においては「流行っているものに乗っかる」という思いが強い。だからこそ、その流行りものが安全なものなのかはあまり考えないのだ。「あの有名な人がやってるし」と他者を基準にし安心を得たつもりになる。また新たなSNSが出来たとき、それが安全なものかはわからない。むしろ、GoogleやFacebookなどは利用者の投稿や個人情報を多く得て利用している。現実で人と喋った内容までも聞いていて、広告などに反映してくる。すでにこのようなものを安全として使っているのだから、私たちはいずれSNSに使われるようになるだろう。いや、すでに使われているといっても過言ではない。今までもテレビやラジオ、新聞に踊らされ、使われてきたのだから、情報メディアに主導権を握られるのは常なのだと思い、しっかりと使われているという自覚を持つことが大事なのだ。そこの自覚を持つ社会と持たない社会では大きく異なるだろう。使っていると思ってSNSを利用していたら、偏り続け、いずれは破滅へとつながる。私たちは出来るだけ多くの情報を得て、その中で取捨選択をするのは己と心得てこれからの社会を生き抜かねばならないだろう。

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