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【1日目】行けないを行きたくないにすり替えて雨の日パンク台風休校

仲の良い中学生の子が、自転車で友達と夏祭りに行くと聞いた。
私の心はザワザワとして、口から溢れそうになる言葉を飲み込んだ。

「私はどこにも行かせてもらえなかった」

今、私は

どこにも行きたくないように思っている。

旅もしたくない、
どこかに出かけたいとも思わない。

買い物をするのも好きじゃない。
海にも山にも行きたいと思わない。

でも、小さい頃はそうじゃなかった。
夏休みは毎日のようにプールに行きたいと縋った。
海にも行きたいってよく言っていた。
虫取りをしに行ったり、裏山をむやみに走ったりした。

だけど、大体は叶わなかった。
プールも嫌だと言われたし、海も手で数える程度だったのかもしれない。

小学生の頃は、一人で行っていい場所は自分の住む町内だけ。
大きい駅の向こう側もダメだった。
それどころか、クラスメイトがみんな行くような
駅前の「おもちゃ箱」という名前のお店にも行かせてもらえなかった。
どこにあるのかすらわからないまま、私は周りの話を聞き流していた。
駄菓子屋さんも駅近くにあるらしいけど、ずっと知らない。

夏祭りも同じ小さい校区内で隣の町のものは言ったらダメだと言われていた気がする。行くなら、兄とじゃないとダメと。そして、兄は行きたがらない。

駅の向こう側には古本市場があったし、
隣の市のショッピングモールにも子どもだけでは行けなかった。

校則がそうなっているから、と言い聞かせられていた。
「ヤダヤダ、みんな行ってるもん」と子どもらしく駄々をこねていたけれど、
「みんなが行ってるのが校則違反なんだから」とお母さんらしく叱られて、
実行する力は得なかった。

そのころは、不満に思いながらそれでも納得して暮らしていたと思う。
母とは小さい頃からいろんなところには出かけていたし、愛されて育った。
ものも十分に買ってもらっていたし、教育的にしっかりとしてもらっていただけだった。
だけど、中学生になっても私の行動範囲は広がることがなかった。
ショッピングモールに行くこともなく、田舎なため市内には何もない。
強いて言えば図書館があるだけ。図書館は素晴らしい。

だから、私は一人で電車に乗る機会もなかった。
電車に乗ることもあまり許されていなかった気がする。
高校生になって、電車通学になった時、私はいきなり電車に乗る生活になった。
初めの頃は怖くて、不安で仕方がなかった。
しばらくはスマホも持っていなかったから、調べることもできない。
ある日、ローファーが小さくて痛くてうまく走れないまま駅にむかった。
(高校受験に失敗して私立に行った自分は、お金を使わせてしまう、だから靴を買い直してもらうのも申し訳ない、自分への罰だと思って、毎日纒足のような靴を履いて登校していた。)
するとダイアルに乱れが出ていて、乗るべき電車がわからなくなった。
泣きそうになりながら、駅にいた老人に電話を借りて、父にタブレットを持ってきてもらった。
私は何もわからない、ずっと電車も乗ってはいけなかったのに、急に電車でどこかへいけなんて、無理だ。

そう思った。

今では、当たり前のように電車にも乗るし、
新幹線で一人で東京に行くこともできる。

人間は成長するもんだと思う。

だけど、何も変わらないとも思う。

家族で話していて、兄がこんな思い出話をした。
「中学生の時、ショッピングモールまで、友達と自転車で行ったんだよなぁ、2時間ぐらいかかったんだっけなぁ。意味なくて楽しかった」

私の胸はザワザワした。

「小学生の時、矯正のために一人で電車で4駅隣の駅まで通ってたよね」

モヤモヤはいつまで経っても消えない。

兄は、自由に移動ができていた。
自転車で、友達と。電車で、一人で。
実際、兄は夜も塾に行っていたし、部活動で遠くまで練習試合に行ってたし、
私よりも社会経験が豊富だった。

だから、仕方がないのかもしれない。

だけど、やっぱり、私は格差を感じて寂しくなる。
悲しかったんだと思う。
本当はもっとどこかに行きたかったんだと思う。
小さな積み重ねのうちで、私はどこかに行きたいという思いを去勢したんだろう。

お家が好きだから、私はどこにも行かないんだ。

そういうことにすり替えたんだろう。
実際、下手に町内を出歩けば会いたくない同級生に会ってしまうし、
不登校だったから学校の人に見つかってはいけないと思ってた。
そういう理由でもどこにも行かないという選択をしたつもりでいた。

けれど、私はいまだにモヤモヤしている。

「中学生でちょっと遠い大きい祭りに行くなんてダメだろう」
「え、中学生なのに映画に友達と行くなんていいの」
「ネットに自分の顔出しダンス動画をあげるなんてダメでしょ」

私のモヤモヤは不寛容に変化して渦巻いている。
この本質は「いいなぁ、私もそうしたかった」だ。
見誤ってはいけない、と脳で理解しているけれど、心の奥から湧き出る黒い感情は消えることがない。

母親の教育は間違っていない。

今思うと、女児が一人で移動することはとても危険である。
ショッピングモールでは女児がトイレに入った一瞬で強姦され殺害された事件もある。殺害までいかなくとも、そういった事件は大量に起こっており、警察が認知していない事案もまだまだあるだろう。そもそも、被害を受けた子どもも何をされたかわかっておらず、伝えることもできていない、なんてことも往々にしてあるだろう。

それに、駄菓子屋さんでお菓子を買うことで揉め事が起きたりするのも想像に容易い。問題の多い学校であったから、危機感を持つのも正しい。

私がいつか親になった時も、きっとそういうふうに育てるだろう。
だって、最も愛おしくて大事で命のような存在が危険な目に遭うなんて恐ろしいから。

わかってる、わかってるんだ。

なのに、私はいまだに呪いをかけてしまっている。

別に旅行にいきたいとは思わない。
日本が好きだし、観光地は好きじゃない。
もっと映えなくて、当たり前だとされて無視されているような毎日の一部を
愛でることのほうが好きだから。

修学旅行も小学校以外行かなかった。
中学も高校もはなからキャンセルしたし、大学はそんな案も出なかった。

母と北海道に行こう、沖縄行こう、台湾行きたい、なんて話すけど、
「行ってきたらいいよ」と思う。
なんとなく、私なんかと行くよりも母と兄だけで行ったほうが楽しいと思う。

なんとなく。

なんとなく、を言語化しないようにしている。
それを言葉にしてしまったら、何かが崩れてしまいそうだから。
怖いんだろう。
喉の奥がビクビクと小さく振動している実感がある。
なんとなく、ってことにしておきたい。

だけど、もうそろそろ向き合わなきゃいけない。
大量の棘と傷を修復するべき時が来た。

自分の思考の全てを可視化して、理由を見つけてしまわなきゃいけないと思う。

思い出話を少しずつ、noteに書いていこうと思う。
できたら毎日投稿をしたいと思う。

よかったら、見守っていただけたら幸いです。

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