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『プアン/友だちと呼ばせて』 カーステレオから音楽が流れDJが語りかける深遠なひととき

これは、かつてNYで親友どうしだったウードとボス、二人の物語である。

その後、バンコクに帰ったウードはガンを宣告され、NYでバーを営むボスに電話で「いますぐ逢いに来てくれないか?」と頼む。命あるうちにかつての恋人たちに会って、思い出の品を手渡したい。そんなウードたっての願いを叶えるため二人は車を走らせる。

カーステレオからはカセットテープに録り溜めた深夜ラジオの音源。初老のDJが、夢とか希望とか、そんなこそばゆくなりそうなテーマについて穏やかな口調で語りかけ、自ら選んだ往年の名曲を添える。その響きが車窓を過ぎゆくタイの街並みや風景に時に切なく、時にゴージャスに重なっていくーーー。

『バッド・ジーニアス』でタイ映画の新時代を切り開いたバズ・プーンピリヤ監督が、製作総指揮にウォン・カーウァイを迎えて贈る最新作。上記のような叙情的スタイルを構築した時点でもう作品として完成ではないかと思うのだが、この映画の狙いはそこだけではない。そもそも二人の来訪を受ける側の女性たちの中には、歓迎してくれる人もいれば、逆に困惑した表情を浮かべる人もいる。それぞれに人生があり、誰もが過去に折り合いをつけてなんとか今を必死に生きようとしているからだ。

過去の記憶の扉を開けるということは、少なからず痛みを伴うもの。前半の恋人たちとの再会でそれをやんわりと意識させつつ、しかし例えそうであっても、ウードは死ぬ前にどうしてもボスに伝えなければならない秘密を抱えもっている。果たしてこれを打ち明けても、二人は変わらぬ親友どうしであり続けることができるのか。

現在と過去(のフラッシュバック)を行き来しながら描かれる本作ではあるものの、決して「あの時、こうしていれば」というifの概念で語られることはない。彼らは時に間違ったり、時に激しく人を傷つけたり、自ら傷付いたりしながら、過去を取り戻すのではなく、一つの運命として全て受け入れ、その上で未来をよりよくしようと努めているかのようだ。哀しさや苦しさを併せ持ちつつ、空が抜けるように青い理由はそこにありそうな気がする。

ちなみに、私はこの映画に登場するDJを見て、なぜか今年1月に亡くなった一人の伝説的な深夜放送DJ(であり名物アナウンサー)のことを思い出さずにいられなかった。どことなく雰囲気が似ているような気がして。


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