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『ジュラシック・ワールド 新たなる支配者』を観ながら感じた5つのこと

30年近いシリーズの歴史に幕を下ろす壮大なフィナーレということで、公開日の朝から気合を入れて近所のシネコンへ行ってきました。観終わって思ったのは、やはり恐竜の姿は大きなスクリーンで仰ぐように見るに限るな、と。この映画も何か月か後には早々に動画配信サービスなどで見られるようになるだろうけれど、しかし映画館でこの恐竜を見納めした記憶と体験は、ずっと僕の中で刻まれ続けるのだろうなと思った。あと、懐かしい面々が集うのを久々に拝めたのも嬉しかった。もっというと、真ん中のブロックの最前列の席で、半袖半ズボンの男の子が身を乗り出しながら見ていたのも劇場ならではの光景で、胸打たれた。

で、鑑賞中、折に触れて思ったのは、スピルバーグが『ジュラシック・パーク』を手掛けた頃、まだ黎明期のCGは決して万能ではなく、可能/不可能の境界線はまだ確実に存在したなあ、ということ。今やすっかり、どんな恐竜のどんなアクションも簡単に描けてしまう時代になった。その点、本シリーズは「遺伝子技術」の進化によって絶滅した恐竜を蘇らせてしまう物語ではあるけれど、それはそのまま、「CG」という伝家の宝刀にも通じるわけで、すなわち「気をつけよ。さもなくば暴走が起きる」という一言に尽きる。

今回のフィナーレ作、前述の通り、僕のスタンスとしては鑑賞できただけですでに大満足。しかし、鑑賞時にツラツラと走り書きするノートを後から見返してみると、自分でも無意識のうちに僕は5つの気づきを書き残していたようだ。こうやってツッコミながら観るのも含めて、一つの楽しい映画体験だよなと、つくづく感じた次第。

1、広大な敷地内にもかかわらず、「偶然」による出会いや遭遇が、看過できないほど多い。転がった先にみんながいる、あるいはピンチになると誰かが偶然通りかかる。

2、アクション場面において、恐竜が単なる追っかけ役の悪者になってしまってはいけない。あらゆるアクションは、恐竜メインで丁寧に膨らませたものであってほしい。

3、人間の登場人物がやたら多すぎ。しかも若手の脇キャラの描き方が雑すぎて、全然良さが引き出せていない。コリン・トレヴォロウ監督はこういうところ、うまかったはずなのに。

4、これまでにもさんざん研究所や森の中を描いてきたわけだから、そこに新しいものはなし。今回は徹底的に「都市と恐竜」を描き尽くしてみてもよかったのでは?ニューヨークとか、ロンドンとか。

5、たしか序盤では恐竜を「保護」していたはずなのに、自分や仲間がいざ襲われると、生き延びるためとはいえ、「保護」の観点はどこかへすっ飛ぶ。


以上、鑑賞者の戯言である。ファンの方は笑って許容してほしい。これでフィナーレと言っても、恐竜の人気はずっと不滅だから、きっと10年後、20年後、再びリニューアルして同じことをやるに違いない。そのとき今回の教訓が少しでも生きてくれればと願わずにいられない。人間は過ちを繰り返すものだから。

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