「薄着」で「リラックス」してコワーキングを楽しもう
こんにちは。
コワーキングスペース茅場町 Co-Edoの田中弘治です。
この記事はコミュニティマネージャー Advent Calendar 2019の10日目(12/10)の記事です。
昨日はBacklogのコミュニティ「JBUG」のコミュニティマネージャーMeggyさんのユーザーさんと一緒に「コミュニティの立ち上げ」を経験して学んだ3つのことでした。
毎年恒例のコワーキングスペースのアドベントカレンダーがありましたが、今年はいろんな立場の人を巻き込みたいなあということを思っていたら、福岡は天神のコワーキングスペース DIAGONAL RUN FUKUOKA や BOOK&CO. でコミュニティマネージャーを務める山下陽子ちゃんがコミュニティマネージャーというくくりで作成してくれました。
その後コワーキングスペース運営者向けのアドベントカレンダーも立ち上がったようですので、ネタができたらそちらにも(Co-Edo 公式ブログにて)参加しようと思っています(いまのところまだネタが降ってきてなく…)(追記:ネタが降ってきたので書きますが、公式ブログでは書きづらい内容なので、やっぱり note で書きます → 書きました「リピート購入者が急増した回数券の価格改定のお話」)
例年のアドベントカレンダーの記事へのリンク一覧
「雑談OK」から考えるコワーキング文化の変遷(2018年)
第4世代型をはじめとするコワーキングスペース業界の状況(2017年)
「1日店長」イベント(2016年)
コワーキングスペース利用が初めての方向けの話(2015年)
無料のコワーキングスペース(2015年)
コワーキングスペースの世代論(2014年)
コワーキングスペースの物件選び(2013年)
コワーキングスペースでの飲み会(2012年)
というわけで例年と趣向を変えて、外部サイトであるnoteで、気楽に書いていこうかななんて思います。(今年はnoteの利用者多いですね。ぜひフォローしてください)
「薄着」で「リラックス」してコワーキングを楽しもう
今年は『「薄着」で「リラックス」してコワーキングを楽しもう』という話をしていきます。
(タピオカミルクティーを飲みながら行った「アフターヌーン☕LT(エルティ)会」で、『空気を読んで 自由に生きる』と題した話の続きのテーマでしたが、コミュニティに関連するのでアドベントカレンダーの記事のテーマに使ってみました)
個人的に、コワーキングスペースをコミュニティの発展したものと捉えています。(そもそもコミュニティってなんだという話になるのですが、ここでは広く「多文化のひとが自主的に寄り合う場」くらいをイメージしてもらえると嬉しいです)
コミュニティ+(固定された)場所とでも言いましょうか、そんなイメージ。コワーキングスペースもコミュニティである以上、(職位がついているかどうかは別として)コミュニティマネージャーの存在が重要になります。
ひとの集まるコワーキングスペースはどこも、コミュニティマネージャーの役割をもったひとが日々利用者についてあれこれ考えているのではないでしょうか。
この記事はコミュニティマネージャーについてのアドベントカレンダーということで、つぎの方々をおもに対象として書いています。
1. コミュニティではなんとなく余所行きの自分になってしまうなあという方
2. コミュニティマネージャーとして、どのような環境をつくっていこうか日々考えている方
楽しめない場と楽しめる場の差は「自由」
コワーキングスペースなんぞというものを運営していると、どのコミュニティに行っても馴染めると思われがちですが、(実際以前と比べるとできるようになっていますが)それでも名刺交換会とか異業種交流会のような場だととても緊張してしまいます。
どこに差があるのかと考えたとき、個人的には、そこに「自由」があるかないかだと思っています。
「名刺交換を(半ば強制的に)求められる場」であったり、「(全員に)交流することが求められる場」であったりすると、途端に居心地が悪くなってしまうのです。
もちろん、何もしなくても、誰からも責められたりしないのですが、「こういう場では社交的に振る舞わないとな」と自分でプレッシャーをかけてしまい、結果としてできない自分に対する罪悪感が原因でもやっとした気分が募っていくという感じです。
わたしの場合、そのあたりが、とくに共通認識として「やってもいいし、やらなくてもいい」という雰囲気だと、わりとすんなり楽しめます。
一方で、やることが決まっていると楽という考え方もあります。
勉強会の冒頭、アイスブレイクを目的として、周りの人と話をする時間を設けたりすることもありますが、そういう時間があることで、無理なく話をすることができて、その後の交流がしやすくなったりもするのです。
実際にCo-Edoで行われる勉強会でも複数のコミュニティでそのような時間があります。
先の例との違いは、勉強会の主目的として交流があるというわけではなく、また、アイスブレイクの時間も短時間というのがあるかもしれません。
まずは、このように、楽しめない場があり、楽しめる場がある、ということを認識し、コミュニティマネージャーの立場であれば、そういう環境づくりが必要といえそうです。
しかし、楽しめるか楽しめないかは、最終的にはそこに参加するひとが、どう感じるかという話です。
つまり、とりもなおさず本人のマインドの話ということがいえるでしょう。
「薄着」で楽しむという話
ひとつめのポイントは「薄着で」という点です。
「薄着」というのはもちろん比喩でして、実際になかやまきんに君のような格好になろうという話ではありません。
(たとえが分かりづらくて申し訳ない。いちおう丁寧に画像検索のリンクをつけておきました 笑)
わたしたちは普段から、自分を取り繕って生活していると思っています。
「ひとからどう見られているか」を気にして、ひとと違うことをやって恥ずかしい思いをしたり、何かの機器の使い方を失敗して気まずい思いをしたりします。
また、なるべく目立たないように振る舞うことで、お店の中などで居合わせたひとの印象に残らないようにしたり、反対に他の人のことを意識しないようにしたり。
これらは、今日のように、多くの人と接する機会の多い現代人の習性だと思っていて、なるべく素の自分を見せないように生活しようと(無意識に)努力しているのだと思います。
その、ひとつひとつの「素の自分を隠そうとしている行為や意識」を、わたしは「服」に例えていて、みんな何十枚と厚着をし、外出しているというイメージを持っています。
この「素の自分を隠そうとしている行為や意識」は社会性といっても良いかもしれません。
多くの人が一箇所に集う機会の増えた現代では、みな、なるべく社会性という服をまとって(重ね着して)自分をなるべく出さないように生きているのです。
一方で、気心の知れた友人などと会うときは、それが外出先であっても、混雑した飲食店のなかであっても、目の前の人に対しては薄着になります。
感情を隠すことなく笑い、自分の失敗談すらオープンにし、関係の薄い人には絶対にしないような悪口だって言うかもしれません。
ほかにも、新しい会社に入ったときはみんな、はじめはなるべく厚着をしていようと考えます。
たとえばそれは「丁寧な言葉づかい」であったり、「初日しか着ることのないかちっとしたスーツの着用」だったり、「謙虚な姿勢」だったり、「殊勝な態度」だったり、感情を隠した表情だったり。
その後、徐々に慣れ親しんでいくと、少しずつ、薄着になっていくのです。
「仲の良さからくるくだけた言葉づかい」であり、「普段づかいのシャツの着用」であり、「普段どおりの」「自然な態度」であり、感情を表に出した豊かな表情などです。
もちろんひとによって、時間が経っても変わらず「固いなあ」というひともいると思いますが、それでもそのひとなりに「薄着」になります。
ですが、いずれにせよ、時間が経ったほうが、初日と比べれば、薄着になっているのは確かです。
そして、コワーキングスペースのような「会社でも自宅でもない場」においては、はじめから「薄着でいられるどうか」が、そのひとがコミュニティに馴染めるかどうかを決めるのではないかと考えます。
コミュニティにおける「薄着」の具体例
コミュニティにおいて、素の自分を出すことを躊躇ってしまうと、とたんにそのコミュニティでの居心地は悪くなっていきます。
反対の立場で想像してみてください。
相手が「自分の名前も語らず」「距離をおいた言葉遣いをし」「どんなことを考えているのか表情から一切読み取れず」「個人的なことを一切しゃべらない」とすると、そのひととの距離は縮まらないですね。
(会社においても、時間がたてば社会性で厚着をする必要がないのと同様に)コミュニティにおいては、初めてその場に足を踏み入れるときから、社会性の厚着で自分を過剰に隠す必要はないのです。
その場に居合わせたということは、なんらか自分と同じ価値観をもっています。
目的も、自分とまったく一緒かもしれないのです。
それであれば、意識して、勇気を持って、その上着を脱ぎましょう。
わたしはよくCo-Edoに来た方に「お住いはどちらのほうですか?」という話をしたりします。
ひとによって「駅」を答えたり「沿線」を答えたりとさまざまですが、まったく答えない(一切隠す)というのは、あまりおすすめできません。
(不要なトラブルを警戒する意図がある場合であっても、「地域」で答えたりすることは可能です)
それよりは、会話をきっかけに共通の話題ができるほうが、はるかにお互いの距離感を測れます。
コミュニティに気軽に馴染もうとするなら、かしこまった態度も不要です。
言葉遣いも、丁寧さは必要ですが、相手と距離をとるような慇懃無礼なものではいけません。
それは相手に「拒絶」や「警戒」の意思として伝わります。
もしこのあたり、苦手なんだよなあというひとは、ぜひ「意識して」厚着している上着をとっていきましょう。
また、コミュニティマネージャーであれば、「仲良くなろうとしているようにみえる」のに、一方で「着ぶくれ」しちゃって会話しているひとを見かけたときは、ぜひ間に入って、フレンドリーに話してみてください。ふたりよりも3人のほうが上着を脱ぎやすいはずです。
薄着とは薄着のこと
コミュニティにいるときは、薄着でいると良いでしょう。
つまり、可能な限り、素の自分でいるということです。(裸はだめです。裸というのは何ら社会性のない状態ですので、誰かの行為にいらっときたとき、何も考えず殴りかかるような状態です。そんなひとがいたら真っ先に追い出されるでしょう)
とはいっても、ついつい、固くなってしまう、かしこまってしまう、というひとはいるでしょう。
そういうひとは次のように考えてみてはいかがでしょうか?
真面目になろうとしない
ついつい固くなってしまうひとというのは、往々にして「真面目」なひとです。
無論、真面目なことは良いことですが、わたしたちが普段口にする「真面目」とは、真面目そのものではありません。
わたしたちの頭の中にある真面目さとは、実は「つまらないひとの真面目さ」なのです。
礼儀正しく、常識的な行動をし、相手を不快にすることなく、印象に残らないひと、です。
「無難」というのが早いかもしれません。
真面目な人のイメージを思い浮かべてください。
「社会性の上着」を何枚も重ね着しているひとを思い浮かべませんでしたか?
真面目になろうとすると、無意識に、無難になろうとします。
そうやって育ってきたのですから仕方ありません。
では、具体的にどうしたら良いのでしょう?
真面目じゃなければ、ふざければいい?
いえいえ、実はそれも誤解を生みます。
わたしたちの考える「ふざける」とは、大抵の場合「いたずらをする」ということです。
そうではなく、あくまで「素の自分を出す」という話ですので、普段無意識に着込んでいる上着を、意識して脱いでいくことです。
もし自分のことだと難しいという場合は、コミュニティ内のふたりを比べてみると良いかもしれません。
ひとりができていて、ひとりができていないことは何なのか。それは自分もできていることなのか。
少しずつ、薄着になっていけると良いですね。
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「リラックス」して楽しむという話
コミュニティを楽しむためのもうひとつの要素は「リラックス」した状態でいることです。
リラックスした状態というのも漠然としているのですが、リラックスの反対の状態は、緊張です。
緊張というと心臓がどきどきしていることをイメージしますが、もちろんそれはそのとおりですが、そのほかにも、「身体のいろんな場所に力が入っている」状態でもあります。
どこに力が入るかはひとによって違います。
肩・首・背中の筋肉・顔の筋肉・眼・歯・脚・腕などなど、こればっかりは自分でしか分かりませんので、緊張したときにどこに力が入るかは、いちど確認しておくと役立ちます。
緊張していることに気づいたら、意識して、その部分から力を抜きます。
すこし動かしてみて、血流を流すイメージでしょうか。
すべての緊張している箇所を確認できたら、次は深呼吸すると良いですね。
まあその場でやるとという場合は、一時的に席をたつか、単に呼吸の速度を少し遅くするかということになるかもしれませんが。
おすすめは、ドリンクを飲むことです。
わたしはよく(打ち合わせの相手の呼吸が早いときなどは)フリードリンクマシンを指して、「ドリンクあるので、どれでもどうぞ」と、多少強引にでも飲み物を取りに行ってもらいます。
飲み物を飲めば呼吸も整うこともありますが、いったん椅子から立つことで筋肉が動きますし、飲み物が注がれるあいだの時間も生まれます。
また、飲み物をきっかけとしてアイスブレイク的な会話を楽しむことだってできます。
緊張した状態が続くと、体や脳内が疲れてしまいますので、そういうひとを何人も見てきた経験からは、早い段階でひと呼吸おくというのはとてもおすすめです。
リラックスしているときの気持ちをしっておく
リラックスした状態というのはどういう状態でしょうか。
誰しも、自宅ではリラックスしていると思います。(ホテルでくつろげないとか、配偶者の実家ではくつろげないというひとは、それと比較すると分かりやすいかもしれません)
ひとりでいるところを想像してもしょうがないので、誰かといて、かつリラックスしている状態はどういう状態でしょうか。
自宅で、気の合う友人と一緒というときはどうでしょう?
もしくは、恋人やパートナーと一緒のときは。
誰かと一緒にいるときに、普段の自分でいられる(自宅でひとりでいるときと同じ状態でいられる)というのであれば、それは、リラックスした状態といえます。
あなたがコミュニティにおいてリラックスした状態でいるというのは、究極的にはその状態になるということです。
気のおけないひとと一緒にいる自分が、一瞬にしてコミュニティの場にテレポートしたような状況です。
あなたがリラックスできる場所で写っている写真の、背景だけが一瞬にして切り替わったような状態です。
はい、難しいですね(笑)
もうひとつのリラックス方法
もうひとつは、そのときに「やること」に意識を向けるというもの。
そのとき、誰かと会話しているのであれば、その会話の内容(たとえば相手の興味のあるものについて聞いているのであれば、その詳しい中身)にだけ意識を集中します。
自分のことを説明しているのであれば、その説明の内容を、頭の中で具体的にイメージしたり、相手がきちんと理解しているかどうかを表情などから確認し、脳に伝えることだけに集中します。
そうすると、その場がどこかということから意識がそれますので、自然と緊張感から開放されていきます。
あなたがコミュニティマネージャーということであれば、相手があなたやほかのひとの話をしっかり聞けているかどうかを意識し、もしそのひとが自分のやろうとしていること(たとえばはやく席について自分の荷物を置きたがってるなど)があればそれを優先してもらうというのもおすすめです。
コミュニティにおいて大事なことは「新規のひとを受け入れる」気持ち
以前の記事で「あなたのコワーキングスペースを良いコミュニティにするために良いメンバーを大事にすることよりも大切なこと」を書きました。(有料記事ですみません)
そのなかで「新規のひとを受け入れる」気持ちについて触れましたが、コミュニティマネージャーはもとより、コミュニティ内のメンバーであっても「新規のひとを受け入れる」気持ちがないという場所が、わたしは好きではありません。
新規のひとのなかには、薄着になれず、リラックスできない、という方もいるでしょう。
そういうときに「そのひとが薄着でリラックスした状態で」コミュニティ内にいられるようにできるのは、周囲の方しだいでもあります。
たとえまだ日が浅くても、そのひとの魅力がコミュニティ内で見られないのはとても悲しいことです。
周囲のひとが寛容的な態度で、そのひとが自由でいられる場所。
そんなコミュニティが増えていったら嬉しいです。
というわけで、ぜひみなさん「薄着」で「リラックス」してコワーキングを楽しもうを合言葉に、これからもどうぞCo-Edoやその他のコワーキングスペース・コミュニティを楽しんでいってくださいね!
明日(12/11)は山下陽子さんです。
🍵 🍵 🍵 🍵 🍵
コミュニティマネージャー向けのおまけの話
読んでいて気づいたひともいるかもしれませんが、「薄着」で「リラックス」というのは、目にする機会も増えてきた心理的安全性の話と繋がりますよね。
ひとは恥ずかしい思いをしたくないし嫌われたくないと思っているので、そのための社会性と言えなくはありません。
心理的安全性の話と、その難しさの話
Googleのリサーチチームが「チームの効果性に影響する因子」のひとつとして「心理的安全性(psychological safety)」があることを発見したのは有名な話です。
心理的安全性とは、対人関係においてリスクある行動を取ったときの結果に対する個人の認知の仕方、つまり、「無知、無能、ネガティブ、邪魔だと思われる可能性のある行動をしても、このチームなら大丈夫だ」と信じられるかどうかを意味します。(「効果的なチームとは何か」を知るより)
簡単にいうと「こんなことを言ったら恥ずかしい」というのがなく、「こんなことを言っても嫌われない」という、そんなチームで課題に対処する状態です。
前者は、無知な質問をしても馬鹿にされないとか、稚拙なアイディアを披露しても恥ずかしくない、というようなことで、後者は、相手の意見を否定してもムッとされないとか、リーダーが評価の悪さを正直にメンバーに伝えても関係が悪化しない、というようなことが代表的です。
「心理的安全性」も突き詰めると、素の自分を出せるということですから、同じようなことは、コミュニティにおいてはずっと以前から重要性が知られていました。
(昨今は会社がコミュニティ化してきたともいえるため、心理的安全性が重要になってきたのでしょう)
さて、心理的安全性について追求したとき、一旦うまくいったとしても、その後いくつかの問題が発生します。
• 能力の高い人の発言の機会が増えすぎ、結果として口を閉ざすひとがでてきてしまう
• 多様な価値観を認め、寛容的になればなるほど、相手に遠慮をし何かを頼みづらくなってしまう
• いい人になろうという意識が働き、結果として何もしないようになってしまう
• コミュニケーションの発信側か受信側の片方だけが努力しても限界がある
心理的安全性の先には、相互の信頼が必要になりますが、どうやってそれを実現し継続していくのかということについては、誰もが試行錯誤しているのだと思います。
NVC(非暴力コミュニケーション)に注目している
MicrosoftのCEOサティア・ナデラが就任時にひとを出し抜くような競争文化を変えるために経営幹部全員に薦めたり、書籍『ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』でもティール組織における具体的な手法の事例として記載があったりと、あらためて注目されているのがNVC(非暴力コミュニケーション)です。
日本では共感的コミュニケーションとか協働コミュニケーションとも呼ばれ、わたしもつい最近その存在を知り、提唱者のマーシャル・ローゼンバーグやYoram Mosenzonを始めとしたトレーナーの動画を見たり、書籍『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法 新版』を読んでみて、すっかりはまってしまいました。
NVCとは「関係性を大切にしながらコミュニケーションをとりたい」と思ったときに役に立つものなのですが、一切の誇張なく、全人類が持ち合わせたい考え方であり手法だと思いました。
1970年代に体系化された(いわゆる枯れた、完成された)メソッドであるにも関わらず、昨今注目度が高まっているのは、多様性が重視される今日において、それを認めうことの必要性に多くの人が気づいてきているからだと思います。
組織やコミュニティ内の心理的安全性を高めるにあたっても、とても効果的な手法です。(NVCを意識するのがチーム全体である必要はなく、リーダーひとりでも、もっといえばメンバーひとりであっても有効です)
わたしはNVCというワードをまったく聞いたことがありませんでしたし、同じようにいまはじめて目にしたという方も少なくないでしょう。
どんなコミュニティにすると良いかは分かっても、それを実現する手段は明確ではありません。
NVCはその点もロジカルに(本当にシンプルに)解き明かしてくれます。
なぜ争いがおきるのか。どうして好きだった人を嫌いになるのか。
(誤解してほしくないのですが、「非暴力」という言葉は決して「暴力」のみを指していません。相手の間違いを正そうとして諍いになったり、ちょっとしたことにいらっとしたり、相手のマウントをとって黙らせたり、支配的なものはすべて暴力的なのです)
コミュニティを運営していれば、少なからず、誰かに嫌われてしまったりしませんか?
どんなに正しいことを、誠心誠意伝えても、分かってもらえなくて困ったことはありませんか?
こちらの記事で具体例がまとまっていますので、ぜひ読んでみてください。
ネガティブな評価をより建設的に伝えるためのポイントとは? - GIGAZINE
あくまでNVCを活用した1事例ですが、NVCの良さが端的に伝わってきます。
少しでも感じるところがあったひとは、時間のあるときに提唱者のマーシャル・ローゼンバーグによるセミナー動画(4編・通訳付き)を見てみてください。
間違いなく衝撃を受けます。
わたしは視聴している間、ずっと「俄に信じられない。本当かな?これ」という思いが頭から離れませんでした。(見終わって、書籍等を読んだ今は、すべてのことが繋がってとてもすっきりしています。そしてなぜパペットを使って伝えているのかも分かりました)
いやほんとパラダイムシフトとはこういうことを言うのだろうと思います。
コミュニケーション手法の大半が、使う機会を選んだりするものなのに、NVCは、コミュニケーションの際のすべてのシーンで活用可能です。
そして、それでいて、不完全な状態で使っていても問題ないし、チームで自分だけしか知らない状態でも有効に作用します。
なぜNVCの話を追記したかというと、わたしも2ヶ月前に知ったばかりで、その効果は日々実感しているものの、ひとつ問題があるからです。
それは、もっとはやく習慣化し、自然に使えるようにしたいという個人的な欲求があるのに、仲間が少ないという問題です。(自然に使えていなくても効果は変わらないのですが、できれば知っている人同士で実践しはやく習慣化したい)
もし同じように興味を持った方(興味を持っている方)がいましたら、ぜひ、オンライン・オフライン問わず、実践しあえると嬉しいです。
わたしはCo-Edoのスタッフ等に話をするにあたり、「これからNVCを積極的に使っていく」宣言を、まず、しました。
おかげで何人か(自ら)NVCを始めてくれています。
2020年は、NVCをライフワークとして使っていこうと思います。
(Co-Edoでイベント等をやると思いますが、それとは別にライフワークとして今後死ぬまで続けていきます)
動画を見て「使いこなすのが難しそうだよね?」とか「正しい・正しくないはないっていうけどNVCが正しいって言ってない?」とか「銀の弾丸なの?」とか「どうして普及してないのよ?」とか「非暴力という言い方は誤解しそう」とか「資本主義の競争社会でも有効なのか」とかいろんな疑問が思い浮かんだ方、ぜひ、Co-EdoでNVCについて語らいましょう。(このあたりについても大切だと思うので)
コミュニティをはじめパートナーとの関係など、人間関係が豊かになり親密になり愛にあふれ信頼しあう関係になってほしいと思っています。
一緒にNVCをやりたいという方、ぜひメッセージくださいませ(たとえこの記事を読むのが半年後でも1年後でも)
【追記】NVCのイベントをCo-Edoでやります!12月23日(月)15時半〜/17時半〜
こちらもあわせてどうぞ(コワーキングスペース運営者たちの Advent Calendar 2019の記事です)