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音楽×食の価値を考えてみよう

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note連載Day:59です。
睡眠時間22:55〜6:30 実質睡眠 6h44min. 睡眠スコア79
悟りを開きたい。
22時から5時で眠るために邪念を払いたい。
私はなぜ深夜にYouTubeを見てしまうのか。
情報のお砂糖を断ちたい。

さて、本日から急展開です。
音楽制作は続けていきますけども、
そもそも、なぜに音楽を作るのかということについて哲学してみます。

昨日、
"ジャック・アタリ 著 / 食の歴史 人類はこれまで何を食べてきたのか"
を読み終えました。

書評はぜひInstagramを見てほしいところですが、
この本を読んで、改めて食について考えを巡らせました。

ジャック・アタリ氏はフランス出身の方なので、
フランスの食文化に対して、特に思い入れがあるのが受け取れます。
なかでも、『ポジティブな料理』を標榜して、
"会話の弾む食卓という喜びを見出す"ことが、
これからの未来の食事で採るべき行動だと提唱しています。

私が住む日本においても、
現代食の問題点は論うまでもなく表出化しているものの、
『わかっちゃいるけどやめられない』が延々と続いています。

”食は娯楽よりも地位の低い、あるいは娯楽と結び付いた付随的な行為になっていく。"

(ジャック・アタリ 著 / 食の歴史 P.301 プレジデント社 2020)

この言葉が示す通り、自分自身もまた、食べたものをInstagramに投稿したり、
人気のある飲食店での様子を撮ることが目的化しているようなときもありました。
若かりし頃は、注目を集めることが大切!(人気者になりたい!)と思っていた節もあり、時間があれば、足しげく有名店や人気店におもむいてはブログなどに投稿していました。
おそらく、いまの多くの人々も同じように、食事は大切なことだと思いながらも、
本質的な健康や幸福のためではなく、別の目的に付随した行為になっているのではないだろうか?と思う節があります。

多くの人はどこかで(健康を害するなどして)食の大切さに気づくときがあるかと思いますが、"Point of no return"な事になってからでは残念では済まされません。
とはいえ、"食育"と称して、小煩く喧伝しても、響かないものは響かない。
どうすれば、未来の食文化がほんとうの意味で豊かになるのか?
ジャック・アタリ氏の著書を読んで、まだ朧げながら応えが見えてきました。

"会話の弾む食卓という喜びを見出す"ためにはどうすればいいだろう?
食と娯楽が結び付くのであれば、会話の弾む食卓も娯楽にできるのではないだろうか?
"食卓"をもっと広義なものにして、会食でもいいし、パーティでもいい。
でも、ジャンクな快楽的なものではなくて、
もっとポジティブで楽しく、豊かなもの、エンターテイメントな事柄になれば良いのではないか?と思ったのです。

そこで、ようやく本題に突入します。
"食事に際しての音楽は、豊かな時間を育むための最高のツールなのではないか?
音楽×食で、食卓の価値をアップデートすることはできないだろうか?"
という仮説を立て、応えを提唱していきたいと思います。

私自身も、ジャンクな情報にさらされながら食事をしていることが多々あり、
ほんとうに大切な食卓の時間を見直したいと思います。
そして、その解法になるかもしれない、音楽と食のシナジー効果を立証できるような研究をしていきたいと思います。

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