"ヘルマン・ヘッセと音楽"を読んで【後編】
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note連載Day:68です。
睡眠時間22:13〜5:06 実質睡眠 6h12min. 睡眠スコア84
きちんと決まった時間に眠れるスキルこそ
これから求められる人材である!
ありそうな文言を断言できる人になりたい。
新しい戦いのさなか、過酷な未来の途中、
ヘッセの詩世界や思想に感じ入り、
なぜか長野県上田市の"長谷寺"という場所に訪れました。
ここには、真田幸隆公と恭雲院、昌幸公の墓所があります。
いつ訪れても自然に囲まれた厳かな雰囲気があり、
訪れたこのときもまた、杉や松などに残るはだれ雪が、
きらきらと銀雪に解かれていく様が幻想的でした。
そんな自然に対する畏敬の思いとともに、
はかない人が遺せるものとはなんなのかと思い馳せていました。
ヘッセの本を読んで思ったことがあります。
『欲しい未来を手繰り寄せるのは自分なんだ』ということ。
『信じたい未来を築くのは私たちの行動次第なんだ』ということ。
"音楽のないわれらの人生など考えられるだろうか!"
ヘルマン・ヘッセと音楽 P.54 / (スイス誌 1915年3月号)
ヘッセは"われら"と投げかけていました。
"音楽を愛する人々"との共有意識を投げかけていた。
孤高の人でありながら、仏教的で、重々帝網的で、
決して孤立しようとする存在ではなかったのです。
私も、お寺に訪れて、
雪の状態を鑑みて、誰も足を踏み入れていない墓所に訪れたとき、
たった一人でありながら、苔生した暮石の前で、
多くの人々や生命の歴史に想いを馳せていました。
この神聖的な感慨が、人類の発展を促し、苦悩させ、生きる意味を与えている。
芸術は理屈にしようとすると、とたんにきらめきを失います。
ただ、そこへ少しでも近づこうとする意志のある芸術は、磨かれ、鈍色の輝きを放つ。それもまた美しいと思うのです。
だから私も、
鈍色の輝きがもたらされるような意志に突き動かされていこう。
ほんとうにそこに歴史に名を残す人が埋葬されているかどうかも定かではない墓地に訪れて、そんな祈りに近い感慨にひたっていました。
言葉にするには難しい。でも諦めずにやっていこうと思います。
では、この本の詩で響いたものを最後に紹介します。
三声の音楽
一つの声が 夜 歌う。
声は夜におののき
己が不安を、己が勇気を歌う。
やがて歌が 夜を克服する。
歌は良きものだ。
第二の声が起こり ともに進む
先の声に歩調を合わせて。
先の声の問いに答え 笑みかける、
だって 夜 二つの声で歌うのは
一つより 嬉しいから。
第三の声が加わり
輪舞を踊り 進む
一緒に夜の中を。そして三つの声は
星の輝きとなり
魅惑となる。
互いに捕らえ合い、また放し合い、
逃げ回り、また抱き合う、
だって夜 歌うのは
愛を目覚ませ、喜びをもたらすから。
魔法で星空を呼び出し、
その星空で互いに支え合い、
姿を見せ合い、隠れ合い、
慰め合い、ふざけ合う・・・・・・
この世は夜となり、不安に満ちるだろう
もし君がいなかったら、僕がいなかったら、君がいなかったら。
ヘルマン・ヘッセと音楽 P55~56 (1934年7月21日 新チューリヒ新聞)
この詩を読んでから、
音楽を作りたいという衝動の意味が、
少しずつ解かれていっているような気がしています。
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