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【音楽×珈琲 鑑賞録】3月10日~ピョートル・チャイコフスキー 『交響曲』第6番「悲愴」 × 丸山珈琲 ムバンガ ナチュラル 深煎り

音楽観を鍛える鑑賞録。
それにあう珈琲をそえて。
3月10日のテーマは【謎】

とりあげる作品は、
ピョートル・チャイコフスキー /
『交響曲』第6番「悲愴」

×
丸山珈琲 /
ムバンガ ナチュラル 深煎り

チャイコフスキーの名言
"…You see, my dear friend, I am made up of contradictions, and I have reached a very mature age without resting upon anything positive, without having calmed my restless spirit either by religion or philosophy. Undoubtedly I should have gone mad but for music. Music is indeed the most beautiful of all Heaven's gifts to humanity wandering in the darkness. Alone it calms, enlightens, and stills our souls. It is not the straw to which the drowning man clings; but a true friend, refuge, and comforter, for whose sake life is worth living."
「……えっと、親愛なる友よ、私は矛盾を抱えていますよね。宗教や哲学で精神を落ち着かせることもなく、前向きなことにも頼らないまま、とても成熟した年齢になってしまいました。音楽。音楽はたしかに暗闇のなかをさまようわたしたちへの天国からの贈り物であり、最も美しいものです。それだけでわたしたちの魂をなだめ、啓発し、静めます。それは溺れる者がしがみつく藁ではなく、真の友、避難場所、掛け布団のようなものです。人生はこのために生きる価値がある。」

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
露: Пётр Ильич Чайковский
英: PyotrあるいはPeter Ilyich Tchaikovsky
1840年5月7日(ユリウス暦では4月25日) - 1893年11月6日(ユリウス暦10月25日)
ロシアの作曲家。

今回とりあげる楽曲は、チャイコフスキーの遺作、
交響曲第6番ロ短調 作品74(Symphony No. 6, Pathétique, Op. 74 in B Minor: I. Adagio, allegro non troppo)
チャイコフスキー自身にして、初演後に「この曲は、私の全ての作品の中で最高の出来栄えだ」と語るほどの自信作。
ロシアの交響曲のなかでも最高峰の到達点ということもあるし、チャイコフスキーの数奇な人生がこの楽曲の初演9日後で途絶えてしまう逸話もあることで、さまざまな洞察があります。
この楽曲だけで何十時間と深掘りできそうなところですが、ここでは副題にある「悲愴」について考えてみたいと思います。

「悲愴」(仏: Pathétique)は、まずベートーヴェンのピアノ・ソナタにあてられた副題が代表的ですが、チャイコフスキーももちろんベートーヴェンの「悲愴」を想起していました。
チャイコフスキーがスコアの表紙に書き込んだ副題は、ロシア語で「情熱的」「熱情」などを意味する "патетическая"(パテティーチェスカヤ)だそうで、「悲愴」というにはニュアンスが違う。
ただ、本人の手紙でのやりとりでは、"Pathétique"という副題を用いていたこともあり、ベートーヴェンと同様の「悲愴」なニュアンスは混在していたと思われます。

で、実はこの"патетическая"、"Pathétique"という言葉は、「悲愴」とも「悲壮」ともいえないらしい。ロシア語やフランス語にある「熱情」をも含んだ日本語訳には、それに適した言葉がなく邦訳が難しいためだそう。
逆によく当てはめたな、と感心してしまいますが、この言葉からユーラシア大陸と島国の感覚の違いというのも感じられます。

"Pathétique"の語源であるギリシャ語の "Pathos"は、喜怒哀楽の感情がそれぞれ独立しておらず、渾然一体の思想です。この「悲しみ」と「熱情」が一体化している感覚は、にわかに理解しがたいことに気づく。
つまり、わたしにとって喜怒哀楽の感情はそれぞれ別人格な感覚があります。
なんとなく、アルファベット26文字内の組み合わせで感情を表現する文化と、漢字のような1文字で区分する文化の違いから生ずるものだからでしょうか。

内在する分人の輪郭が違う。
「悲愴」と聴いて同じ感覚を抱かないのはそこにも所以がありそうです。

たとえば冒頭のレクイエム的な部分も、ネガティブな感情を想起させますが、それが人によっては大いに滾るものであるかもしれません。
悲しみが大いなる創作への活力源である。
その矛盾。しかしまさしくアート的衝動。
音楽は言葉を超越して、人間の違いをまざまざと教えてくれます。そんな人間理解においても重要な役割をもつものだと確信できます。

小難しく考えてしまいましたが、言葉が感情をつくっていることが窺い知れるエピソードであり、noteという文章を綴ることにフォーカスした場所だからこそ、書きたくなりなした。

音楽にあう珈琲を考えてみる

このチャイコフスキーの音楽を受けて、淹れる珈琲も思考してみましょう。
今回は丸山珈琲 小諸店に訪れました。

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上質なマイクロロットのシングルオリジンを扱う丸山珈琲があることは、長野県の東信地区での珈琲文化発展に大いに寄与するところがあります。
今回いただいたコーヒーは、ムバンガ・ナチュラル 深煎り
ブルンディ共和国のブルボン種ナチュラル製法で500g2268円はたいへんお買い得価格。
今年は30周年記念年ということもあり、お買い得商品が多く、イベント要素も盛りだくさんで相変わらず壮気にあふれています。

フレンチプレスで淹れたコーヒーと軽井沢「ラ・ティエ」のチョコレートケーキを合わせていただきました。
素晴らしいマリアージュで、幾重にも拡がるフレーバーとテクスチャーの重奏感。口に運ぶたび幸福をいただくような思い。惜しむらくは、あっという間に食べ終え飲み終えてしまうので、ゆっくりと作業をするには向かないところ。
第一楽章を聴き終えるころには無くなっていましたからね。そのあとはまさに悲愴感を味わいながらこの記事を書き連ねております。
儚さを思いながら、日々を大切に生きていこうと思ったところで今日は締めたいと思います。

伺ったお店の情報です。
丸山珈琲 小諸店
長野県小諸市平原1152−1
営業: 9:00~20:00
定休: 無

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