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食卓にふさわしい音楽を考えてみる②【理想編】

3/11
note連載Day:61です。
睡眠時間22:41〜5:49 実質睡眠 6h20min. 睡眠スコア79
記事制作をいかにして決めた時間内に仕上げるか。
平日と休日、時間の使いかたの平準化が定まらない。
ましてや、こんな日々のなかでは。

さて、本日も食卓にふさわしい音楽について模索してみます。
とはいえ、"ふさわしい”というとやけに上から目線な言葉で如何なものかと思うので、もっとフラットでナチュラルな感じ。"♭♭(ダブルフラット)"なモノにブレイクダウンしたい。
ここでは便宜的に”なじみやすい"としていきます。
食卓になじみやすい音楽とはどのようなものでしょうか?

再び、"泉谷閑示 著 / 本物の思考力を磨くための音楽学"から、
思考を派生させていきましょう。

"芸術があることによって、私たちは普段注意を向けないでいるものに注意を向けることになり、そこに人類共通の「型(パターン)」や「形(フォーム)」を見出すことになる。そして、そこに共鳴や共振が起こり、それが感動を生むわけです。"

(泉谷閑示 著 / 本物の思考力を磨くための音楽学 P.74 ヤマハミュージックメディア 2019)

音楽の最大の効用は、"感動"にあるものだと思っていました。
音楽で"感動"が生まれたことは一度や二度ではありませんので、
共鳴や共振、つまり"共感"が起こることによって、感動が引き起こされることは確かに納得感があります。
そして、そういった共感から感動を呼び起こす音楽を良曲として認識している気もします。そういった音楽が生き生きとした人生の彩りを与えてくれるし、豊かな精神を育むものではないかと思います。
とはいえ、食卓での音楽に感動をもたらしてしまえば、食や対話への関心が薄れてしまう。感動をもたらせばもたらすほど、音楽側に傾倒してしまい、相対的に対話の価値は減っていく。
対話を促す、程よく聴こえの良い音楽とは中庸をいくものであり、人々に感動を与えたいミュージシャンにとっては相反する音楽性になってしまう。
音楽自体が感動を与えるのではなく、音楽が対話のトリガーになって、そこから交わされる事柄が感動になる。
それを情操教育というと仰々しいですが、食卓の場が大切な人々との対話を促すチャンスでもあります。そんな最中に、ジャンクな情報にさらされて無思考に陥る方向性を是正するために、食×音楽という解法は豊かさにつながる可能性を思わせてくれます。

この狭き門をいくような音楽はないものか?と模索してみました。

分かりやすい音楽性としては、アンビエント・ミュージックやラウンジ・ミュージックでしょう。匿名性が高く、質のよい楽曲も多い。生活になじみやすいという点ではもっとも選択肢にあがるジャンルです。
ですが、対話を"促す"というには少し弱い気がする。食卓にかかる音楽が楽しみになるようでなければ、その他の娯楽にかんたんにとって替わられてしまいます。
なので、理想を言えば、食卓でかけられる音楽にはストーリーがあり、好奇心をもって聴ける、対話を促せるレベルであることが望まれます。

注文が多いな!
と自分でも思いますが、外食など現状流れているBGMを聴くと、ただそれっぽい音楽を流せばいいという感じで、食事中に流す音楽をもっとアップデートしてもいいんじゃないか、と思うことが多々あります。
家庭ならばもっとフレキシブルにストーリーを持った音楽を流すことができるはず。

例えば、私がよく伺う雑貨屋さんで"pace around"というお店があります。

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こちらはセンスの良い調度品もさることながら、
流れている音楽のセンスも良い。
Ólafur Arnalds(オーラヴル・アルナルズ)やHelios(ヘリオス)など、
ここに訪れなければ聴くことはなかったかもしれません。

ここで聴いた音楽を、
ここで手にしたヴィンテージのカトラリーを使いながら、
その日の様々な思い出を語らう。

豊かな対話を促す食卓での音楽
とても難しそうな命題に思えましたが、
いま上記の音楽を聴いていて、活路はありそうな気がしてきました。



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