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瀋陽、丹東、大連と旅順

(65番)  2015年   3月

瀋陽、丹東、大連と旅順へ行ってきました。中国は8回目の訪問です。
今回の参加者は男性6名、女性4名の計10名でした。

今回のルート

1日目 3月28日
✈ 10:15 発 成田:ANA (737-700)
  12:45 着 瀋陽(遼寧省の省都)

今回は添乗員がつかないツアーなので、出口でガイドさんが待っていた。

🚌 瀋陽市内の観光へ

満州国とは現在の中国東北地方(遼寧省、吉林省、黒竜江省、内モンゴル、熱河省)のこと。日本が満州事変によって作り上げた傀儡国家である。

旧 奉天駅
1905年日露戦争の終結によるポーツマス条約で日本は長春(満州国の首都)と旅順間とその支線の利権を得た。これにより、設立されたのが南満州鉄道(満鉄)である。1911年には丹東と北朝鮮を結ぶ鴨緑江鉄橋も完成した。

1910年に満鉄の駅として東京駅の設計をした辰野金吾氏のお弟子さん達が設計。
赤いレンガ色の壁と青いドーム型の屋根が素敵で中に入ると東京駅にどこか似ている。

旧 奉天郵便局
1915年に松室重光氏によって建設され、丁度今年が100周年記念となる。
こちらも赤レンガの壁で、2階建てとなっており、現在も郵便局として使われている。ポストは緑色。

旧 藤田洋行 奉天支店
1923年竣工の貿易会社を営んでいた会社が所有する建物

中山(ちゅうざん)広場
直径90mの円形広場で周囲には旧ヤマトホテルや金融関係のビルが並んでいて中央には毛沢東の銅像が立っている。

旧 ヤマトホテル
1929年竣工で横井謙介氏の設計。ほとんどが当時のまま残されており、現在は遼寧賓館として営業もされている。旧ヤマトホテルと呼ばれるホテルは中国には5か所あるとか。

グループの一人の人が言っていたが、その方のご友人がここに入っている店で「ロレックス」の時計を購入して騙されたことがあるとか。
あまり言いたくはないが、こんな場所でそんな高級ブランドを本物と思うなんて・・・

繁華街(中街)散策
大型デパートや中小さまざまな店舗がひしめき合っており、歩行者天国にもなっている。
あるお店でマフラーやスカーフを見てみるとデザインは「シャネル」だが、品質表示のタグを見ると「Made in Italy」となっていて「あれ?」状態。😓
値段もピンキリで、質の良さそうな物(例えばカシミア)はそれなりの値段がしていた。

夕食:老辺餃子(清朝中頃1829年に辺福老人が作り、皇帝にも献上したことがある。とっても美味しかった)

🛏 瀋陽泊

2日目 3月29日
🚌 午前中は残りの瀋陽市内観光

瀋陽故宮
1625年建築で後金時代の二人の皇帝(ヌルハチとホンタイジ)の皇居。
全体に70以上の建物や楼閣が並んでいる。
2004年に世界遺産として登録をされていて、現在は故宮博物院として公開されている。広さは北京の故宮の六分の一。

表紙の写真が大政殿
正面の2本の柱には黄金に輝く龍が巻き付いている
龍は皇帝の象徴
満州族の衣装がレンタルできる

歴史の説明
1616年に中国の北方に女真族(じょしんぞく)による新しい国家「後金」が誕生した。建国したのはヌルハチ(在位1616年から1626年)という人物であった。女真族は良くない名前であるらしく現在は満州族と呼ばれている。
南方には漢民族の国である「明」があった。
12世紀に北宋や南宋を圧迫した女真族による国家「金」が既にあった為にこの名前になった。
ヌルハチは後金と明の間にあった「万里の長城」を越えて明に攻め入り、大勝利を収めたものの2回目の侵攻では明軍のイギリス式の大砲によって大敗を帰した。
ヌルハチの後をついだ息子のホンタイジ(在位1626年から1643年)は明への侵攻を本格化させた。
その当時の明は統制が取れておらず「李自成(りじせい)の乱」が起きて
1644年には明は滅ぼされた。しかし、「後金」に協力をした呉三桂(ごさんけい)が李自成を倒し、農民から皇帝になったわずか40日で北京から追いだした。
と同時に国名を「後金」から「清」と改称した。

ガイドさんによると「明」というのは太陽という意味で金はそれによって溶けてしまうので「清」という名前に変更したのだとか。
へ~知らなかったが、面白い話だ。

あと、興味深い話として「kylin」という想像上の動物が、普段は天にいて世の中が平和だと地上には降りてこないが、ひとたび世の中が荒れると降りてくるという伝説があるとか。

後記:NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」が2020年に放送されました。正にこういう事だったのかと納得です。

ヌルハチの陵墓
1629年に建てられた。イェヘナラ皇后と共にここに眠っておられる。

昼食: 郷土料理

4時間かけて北朝鮮との国境の町丹東へ向かう。

夕食: 朝鮮料理(珍しい「つりがね草」を煮たものが出た。全体的に美味しかった)

🛏 丹東泊

3日目 3月30日 (7.2度)
🚌 丹東市内観光

お店にはハングル文字が書かれていて北朝鮮との交流が多い事がわかる。

鴨緑江 断橋(おうりょくこう だんきょう)
中国と北朝鮮の国境にある鴨緑江にかけられた鉄道橋で跳ね橋となっている。前述通り、造ったのは日本で1911年のこと。
朝鮮戦争中の1950年にアメリカ軍のB29によって攻撃され、北朝鮮側の半分が崩落をした。
「ほ~、これが、ニュースなどでよく目にすることがある橋か・・・」と
感無量。

鴨緑江断橋(この先半分はない)

鴨緑江 遊覧
往復1時間ほどの遊覧で乗船客は現地の中国人達も一緒である。
川の左側は北朝鮮で最初は単なる川岸の光景だったが、徐々に兵士達が警備をしている様子が目に入ってきた。均等な間隔で深緑色の制服を着て立っている。

見張り塔のような小さな小屋があって船が近づくと、そこにいた数人が
何と何と我々に向かって石を投げてきたのである
驚いたのなんのって・・・🫢 その態度はまるきり子供だ。
もちろん、遠すぎるので当たることはないが。
わざと近づいたのではなく、自然と船が進んでいっただけ。

道中には、いつの間にか北朝鮮側から小舟が近づいてきて、お土産売りを始めた。例えば、朝鮮人参酒やキムチとか。我々のグループの人達も我先にと言わんばかりに買っていた。
見つかったら大変なことになる事は想像できるが、そのやり取りは見ているぶんには結構楽しかった。

虎山長城(こざんちょうじょう)
万里の長城の最東端とされる。
明に対して勢力を強めた後金と海上からの外敵の侵入を防ぐ目的で築城された。
1984年に最初の中国訪問時に行った北京郊外にある八達嶺と比べると
規模は小さいが綺麗に修復がされている。あの時は勾配のきつい箇所を上っていったために、翌日筋肉痛になったほど。
ここもかなりの勾配で登っていくと北朝鮮の農村風景が見渡せた。
緑色の田畑が広がっていてとてものどかである。

下に降りて付近を歩いていると小川があり、その向こう側は北朝鮮との事。
渡ろうと思えば一跨ぎで簡単に渡れるが、どこで見張られているか分からないので、それは止めておいた。

昼食後また4時間かけて大連

夕食: 海鮮料理

🛏 大連泊

4日目 3月31日
🚌 大連市内観光

星海公園(せいかいこうえん)
日本租借地時代には星ヶ浦と呼ばれた海浜公園で広い海水浴場がある。
名前の由来はこの地に隕石が落ちた事。

星海公園

旧 日本橋の勝利橋
1905年、日露戦争勃発後にロシアが造った橋が壊されて1907年に
日本が造り直して日本橋と名付けた。鉄筋構造のアーチ橋で第二次世界大戦後は勝利橋と呼ばれるようになった。
装飾などが素晴らしくて重厚さを感じる橋だった。

旧 日本人街
日本統治時代の1910年から1920年にかけて多くの日本家屋があって高級住宅地だった場所。

中山(ちゅうざん)広場
1898年に帝政ロシアが清朝から大連を租借した時に、パリの街並みに似せて作った。
円形となっていて道路が放射状にのびている。
周りには旧ヤマトホテル、旧横浜正金銀行などの建物が残っている。
この辺りは本当にヨーロッパと言っても過言ではないくらい素敵な場所で
地下街もあってお店がたくさん入っている。

中山広場
旧 ヤマトホテル

大連港
1898年に帝政ロシアの租借とともに建造された港。
不凍港なので冬も凍らず、深さもあって大型船も入って来られる。
日本租借時代には日本と大連の間を多くの日本人が利用した。

昼食後1時間で旅順

東鶏冠山北堡塁(とうけいかんざん きたほるい)
日露戦争の激戦地の一つでロシア側防御要塞跡である。
1904年8月から12月の攻撃でここを占領するまでの間に日本軍は
8千名の死亡者を出した。2.3トンのダイナマイトで爆破した花崗岩岩壁も無残な姿で残っている。

203高地
1904年2月から1905年9月までの日露戦争における最大の激戦地。
標高が203mあることからこう呼ばれたが、日本軍の猛攻撃により標高は10m以上も低くなってしまったらしい・・・ありゃりゃ😓
この周辺は現在森林公園になっていて慰霊の為に日本から贈られた桜の木
3,700株が4月下旬には満開を迎える。

203高地の頂上に立つ「爾霊山」の記念碑

水師営会見所
「水師」とは清の時代の水軍のことで、「営」とは軍の駐屯地のこと。
日露戦争における旅順での戦いはロシア側が降伏し、1905年1月、乃木希典将軍とロシアのステッセル将軍が旅順解放の交渉を行った場所。
建物は当時の資料を基に復元され、中には貴重な資料などが展示されている。李香蘭や川島芳子のポスターもあった。

白玉山塔(はくぎょくさんとう)
1909年に東郷平八郎と乃木希典によって戦没者追悼の為に忠魂塔として建立。
高さは66.8mで標高130mの場所にあり、ロープウェイで昇ることができる。旅順港が一望できて景色が良い。

また、1時間かけて大連へ戻る。

夕食: しゃぶしゃぶ

🛏 大連泊

5日目 4月1日
路面電車 乗車体験
市民の重要な足となっていて、一区間1元(約17円)。
真っ赤な車体で乗っているとなかなか風情があって良かった。

路面電車

✈ 13:10 発 大連: ANA (767-300)
  17:05 着 成田

今回は歴史の勉強になって行って本当に良かったです。
中国には米系の「Walmart」や仏系の「家楽福 カルフール」があって、品揃えが豊富で観光の合間に行くのは個人的に楽しいです。

写真は海外旅行50回目くらいでやめたので、旅行会社さんのパンフレットを引用させて頂きました。お礼申し上げます。

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