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音楽を司るコックピット、ピアノへの憧れ

私は鍵盤楽器をほとんど弾けないのだけれど、鍵盤楽器というものが好きでピアノやRhodesピアノ等をリビングに置いている。

元々はピアノの音が苦手で、ピアノものの音楽も殆ど聴かなかった。中学2年の時にエレキギターを手にしてからは、エレキギターにしか興味がなかったのだ。おのずからギターものの音楽ばかりを聴いてきた。

高校の時になぜかジャズが好きになり、それ以来ジャズのレコードをたくさん聴いたのだけれど、その中でもお気に入りはギターもの(バーニーケッセルだとかケニーバレル)とトランペットもの(チェットベーカー)だったりしたのでピアノトリオをじっくりと聴いたことはあまりなかった。

トランペットものを聴くようになったのは、高校時代にトランペットに憧れて、学生時代にトランペットを始めて(ほとんど練習はしなかったが)Jazz研に入り吹いていたからだ。トランペットという楽器は音がはっきりと出てくるので誤魔化しが効かなく、どこか言葉に近く好きになったのだ。

40歳を前にして、ふとしたことからピアノメーカーの日本総代理店に就職し、それ以来ピアノについて勉強せざるを得なくなりピアノ音楽を聴きあさった。ピアノ音楽といってもメインはクラシックなのだけれど、どうも勉強不足で、クラシックの作曲家の有名どころ(ショパンとかドビュッシーとか)を聴いてもどうもすぐにはその音楽を楽しめなかった。ピアノ曲を聴いていると、どうもその複雑さに圧倒されてしまい、曲が耳から素直に入ってこないのだ。

そんな中、仕事で知り合ったピアニストが、クラシックのピアノ音楽の多くはオーケストラ音楽をピアノで再現しているような曲が多いということを教えてくれた。ベートーヴェンのピアノソナタ然り、リストやショパンのようないかにもピアノ音楽の巨匠の音楽すらもピアノでオーケストラ音楽を再現するかのように書かれているということを教えてくれたのだ。

そう思いながら聴いてみると、少しづつだがピアノ音楽というものが耳から入ってくるようになってきた。

とは言っても、オーケストラ音楽はそもそもが複雑であるし、オーケストラについての知識がある程度なければそのように鑑賞することは難しい。そして、スカルラッティのように純粋に鍵盤楽器のために書かれているような曲もあるわけで、そういう鑑賞のしかたが万能なわけでもない。

しかし、そのようなことを知ったことをきっかけにピアノ音楽というものが耳から頭に届くようになってきた。それと同時にジャズのピアノトリオも意識的に鑑賞するようになったので、徐々にピアノ音楽を好きになった。

ピアノが入っている音楽を「ピアノ音楽」と呼んでしまっている時点で何だかまだピアノへの苦手意識が表れているようなきもしないわけでもないけれど、鍵盤楽器全般が登場する音楽を私は好んで聴くようになった。
自分のレコードラックにギターやトランペットが登場しない音楽のレコードも増えた。

友人がジャズドラマーで、彼のライブをよく聴きに行っていたのだけれど、彼のバンドも管楽器が入ることもあれば、ピアノトリオで演奏されることもあり、そんなこともありクラシック以外のピアノ音楽の鑑賞のしかたに何となく慣れてきたのだ。

そしてついに、自分でも鍵盤楽器を演奏してみたいという気持ちが芽生えた。

演奏と言っても、クラシック音楽を演奏することはハナから諦めているのだけれど、ポピュラー曲をピアノ伴奏で弾き語りできればどれだけ楽しいだろうと思い、ピアノが弾きたくなったのだ。ピアノを弾けるようになりたい、と何となく思うようになったのだ。

教則本の類を何冊も買い、トライするのだが、すぐに壁にぶち当たってしまう。独学では限界があるとはわかっていながらも、私は人にものを習うということが大の苦手なので(インストラクターのペースに自分を合わせようとしてしまい、教えられたことが頭に入ってこない。練習のペースもまちまちなのでなかなか先生の指導要領に合わせることができない)教則本だけが頼りである。

自分用のピアノを初めて買った時、全く何も弾けなかったのだけれど、とにかく「ピアノを手に入れた」ということが嬉しかった。この楽器さえあれば世界征服も夢ではないという勇ましい気持ちのようなものが湧いてきた。上から下まで88の鍵盤は、この世界に存在する全ての音楽を再現できるのではないかと錯覚させるだけの迫力がある。

昨日、「パノラマとラボラトリー」というバンドのライブを聴きに行って、鍵盤奏者の森田珠美さんの演奏する勇ましい姿を観ていたら、「そうか、やっぱり鍵盤楽器で世界征服することもひょっとすると可能なのではないか」というような気分にさせられた。

それは、「世界一になる」とか「最も上手いピアニストになる」とかそういうことではなく、「森羅万象を相手に、この手元の鍵盤で立ち向かうのだ」という決心のようなものに近い。

鍵盤楽器というのは、音楽を司るコックピットのようなものなのかもしれない。

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