「バーテンダーってモテるんでしょ?」という質問に答えるつもりはない

「バーテンダーってモテるんでしょ?」

10年以上この仕事を続けていると、もうこの質問に対して答えるのがめんどうになる。それくらい聞かれる質問のひとつだ。

この質問の答えがYESかNOかは今回のエピソードには関係ないので答えるつもりはない。ただ僕が昔働いていたお店の店長は確かにモテていた。見た目も悪くはないがよくはない。(失礼ながら)バーテンダーとして特別に優れた技術もなかったし、トーク力も普通だった。結婚していて2歳の娘もいた。当時20才そこそこで若かった僕は「なぜこの人がこんなにモテるんだろう」と不思議に思っていた。結局2年ほど一緒に働いて僕はその店を去ったのだが、最後までその理由は分からなかった。しかしひとつだけ分かったことは、バーテンダーはモテてもロクなことにならないということだ。

その店長が言い寄られる相手は手放しに好意を寄せられたことを喜べる人ではなかった。人妻、自傷癖のある人、口に出してはいけないような裏の世界と繋がっているという噂のある人。彼はいつも嫌そうに自分のモテ話をしていて、若かった僕は「言い寄られるだけいいじゃないですか」という感じで話を聞いていた。しかしある夜に事件は起きた。

その日、僕は日が変わる前に仕事をあがった。雨の日の日曜日だったと思う。ようは店は暇だった。時刻は閉店時間を回っていたそうだ。そこに現れたのがとあるひとりの女性客だった。このゲストが店長と僕にある種の教訓を残すことになる。

話しを聞いてみるとその女性は店長が昔働いてたお店の頃からの知り合いらしい。当時からずいぶんと好かれていたようで、具体的に告白めいたこともされていたらしいが店長はその好意を受けとることはなかったそうだ。

しかしバーテンダーという立場上、それでも飲みに来るその女性を断ることはできない。しだいに女性の行動はエスカレートして、平日の閉店間際のもう誰もお客さんがいないだろうという時間にやってきてはとうとうと自分が彼をどれだけ思っているかについて話したという。さらにある時には「あなたの後ろには悪い霊がついている」と話し「このまま放っておくとまずい。私は霊媒師の末裔だからウチにきたら祓ってあげる」とまで言い出した。さすがに不気味に感じた彼はお店に事情を話して早番にずらしてもらったそうなのだが、それでも仕事をあがって店を後にしようとすると道路の向かい側に彼女の影を感じることがあったという。

結果的にそれからすぐに遠くの職場に異動したため数年間は彼女に会うことはなかったそうなのだが、さらにしばらくして再び以前働いていたお店があったエリアの別のお店に勤めることになった。そう、当時僕がいたお店だ。

バーやバーテンダーはお店のあるエリアと密接に結びつくコミュニティ色の強い商売だ。ひとたび六本木で働けば、同業者はもちろん六本木のバーで飲むお客さんたちにまでバーテンダーの存在は認識される。認識されていなければそれは商売として成り立っていないケースも多い。逆にいえばどこそこのバーテンダーが変わったらしいなどという情報は数日あればすぐに知れ渡ってしまう。

それは店長も例外ではない。「どこそこで働いていたアイツが数年ぶりにこの街のあのバーへ戻ってきた」という話は瞬く間にその街のバーテンダーやバー好きなお客様の間に広がっていた。おそらく店長を好きだった彼女もその噂をどこかのバーで仕入れてきたのかもしれない。そして驚くべきことにその想いは全く色あせていなかったのだ。

例の夜、彼女は「私、来月結婚することになりました。」と言ったそうだ。その指には確かに結婚指輪が光っていたという。店長が安堵したのも束の間、彼女はばっと来ていたコートを脱いだ。なかは丈の短い薄手のワンピース。その下にはなにも着ていなかったという。「今日が最後の夜だと決めて来たんです。」

僕はここまで話を聞いたのに、店長がこれに対してどう答えてどういう対応をしたのか、教えてもらえなかった。ただ歯切れが悪そうに「お前も気をつけろよ」とだけ告げられてこの話はお開きになった。ちなみにその女性はそれから僕が知る限り、店長の前には現れていない。

この話がどこまで本当なのか、直接話を聞いた僕ですら疑問に思ったことだが、店長は冗談や嘘を言って盛り上げるタイプの人間ではないということだけはわかっていた。そして僕は悟った。バーテンダーは(店で)モテてもロクなことがない、と。そしてこの教訓は意外にも多くの同業者が同意してくれるものなのだ。

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