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「気」と「氣」の違いとは?

我々日本人は、時に触れ折りに触れ、文章を書き綴る時、日常的にひとつ以上は漢字を常用する人が多いのでは?と思います。

そんな時に、たびたび表現の中で比較的多用される文字として「気」の文字が多いようにも思います。

「元気?」「気がつけば…」「気楽に」「気が重い」などなど…

この「気」の文字、皆さんは無意識のうちに、文字の中心部分は「〆(閉め)」と書いている人が多いのではないでしょうか?

まぁ、、ネット上や街中で漢字を見かけると、そのほとんどが「気」と記されているので、皆さんが文字を書かれる時に、普通に「気」の文字を使っていたとして、特段そのことに違和感を感じなくても何ら不思議ではありません。

しかしながら、改めて見方を変えてみると、同じ意味なのに画数の異なる文字がなぜ2つ存在するのか?が、それこそ気(氣)になる方もいらっしゃるのではないでしょうか?

「それは、戦後常用漢字を再編したときに、画数の少ない略字のほうが書きやすいと判断されたのでは?」と、正当なる?理由を述べる方もいらっしゃるかとは思います。

…がしかし、これには一般的には知らされていない、本当の理由が存在するのです。

それは何か?
それは、実は占領アメリカ軍が大きく関わっていたのです。

第二次世界大戦後、日本を暫定統治したのがアメリカのGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)であることは、すでに皆さんの知るところであるとは思います。

この時、現在施行されている日本国憲法の草案を策定したのと同時に、日本人が今後使用していくであろう漢字についても、細かく選定がなされていたということを知る人は、殆どいないであろうと推察します。

GHQ主導で、日本人が戦前まで普通に使っていた幾つかの常用漢字がピックアップされ、アメリカ側の意図で改変させられました。

その中の一つに「氣」の文字があったのです。

この「氣」の文字には東洋思想に基づいた、日本人が古来より大切にしてきた想いが込められています。

それは、「氣」の文字の中心部分にある「米」の文字です。

この「米」は、中心から四方八方にエネルギーが外側に向けて発せられる、力強い様子を象形文字化したもので、古代中国発祥のエネルギーという非物質の実態を表す概念の「氣」という、人体内にチャージ(蓄えられ)され、身体を動かす原資になるだけでなく、思考する際にもその源(みなもと)になる、重要なエネルギーが発せられる様を現しているのです。

GHQは、ここに着目しました。
国力の面で遥かに劣っている小国日本が、なぜ大国アメリカに戦争を仕掛けてきたのか?

約80年前の当時、アメリカと日本の国力の差は約200対1と、圧倒的なチカラの差が厳然としてありました。

普通の感覚で言えば、国力にこれほどの差がある場合、勝敗結果は分かりきっているので、基本的に争わないのが賢明な判断でしょう。

地球上のどこの国も、国力にあまりにも差がある場合は戦おうとするより、どうしたら戦争を回避出来るのか?を最優先で考えるのが賢明な思考であると思います。

もしも、この状況でゴリ押しして戦争に突入したとしたら…
ほぼ間違いなく国が滅びてしまうでしょう…

しかし、日本はその常識を覆してハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、アメリカに対して宣戦布告をしたのです。

当時のアメリカ人は、大変に面食らいました。
当時の日本人の行動は、アメリカ人の理解を遥かに超えていたのです。

そして、その理解を超えた日本人の行動は、大戦末期に「神風特別攻撃隊(通称・特攻隊)」という、人間一人の命で、戦艦や空母にダメージを与えたり沈没させたりするという、非現実的かつ非人道的作戦として姿を現し、アメリカ人の理解をさらに超えて、恐怖させました。

アメリカ人は、このことが後々までトラウマとして、深く心の傷となって残り続けるのです。

戦後、多方面からの分析の結果、そのような世界の常識に反して特殊とも言える日本人の行動の原資は「氣」の文字にあるのだとの結論に至りました。(もちろん、この結論には大きな誤解と偏見があったことは後年判明しますが…)

そして、日本がアメリカに今後二度と牙をむいてかかって来れないように、精神的去勢を図る計画を内々に策定し、既にアメリカ傘下の傀儡政府であった日本政府に対し、常用漢字の簡略化を同意させこれを施行させました。

…時は流れ、現代に入り大多数の国民は、日常的に何の違和感もなく簡略化された、それこそ氣の抜けた「気」の字を、違和感なく使用しています。

街中で、ごくたまに旧字体の「氣」を見かけることがありますが、正直に言ってそこには力強さというよりも、むしろ戦前の日本文化の「古さ」を感じてしまいます。

戦後の、GHQ主導の政策がもたらした多くのものに疑問を呈する筆者当人ですら、本来の漢字の持つパワーを感じないほどに、GHQの施策に感化されてしまっていることに愕然としたりもしますが、たとえ再び「氣」の文字が広く普及することがなく、時が流れ未来に軸を移して行ったとしても、少なくとも日本国民の一人が「言霊」として、本来の文字の持つチカラを確信しながら使い続けることが、「氣」の文字を日本の文化から消滅させない手立てになるものと信じて、今日もまた機会あるごとに、自己体内から発する氣のエネルギーを込めながら《氣》という文字を意識的に書き綴っていこうと思っている次第です。



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