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「コロナしんどい」とカウンセリング

児童支援の仕事をしている同職種の友人と話していて、この新型コロナで休校になり外出自粛が呼びかけられてから、子どもの虐待の相談件数が増えているとのことでした。

今朝、ネット記事でロックダウンの措置が取られている海外の都市ではDVの相談件数も増加しているともあり、外との交流の閉ざされて密室化した家庭やパートナーシップの中で、疲弊されている方も増えているのだと思います。

「外出自体は自粛しなければならなけど…」と言いながらもご相談に来られる方の中にも、「話しに来ないと本当に息が詰まってしまう、どうかしてしまいそうだ」ということをため込んだ息をいっぺんに吐き出すようにおっしゃる方もいらっしゃいます。

一方で、不登校のお子さんのお母さんからは、学校が休みで子どもが落ち着いて過ごせていて安心する、ということ、横について勉強を丁寧に見ているから子どもの成績上がった!ということやパートナーがリモートワークになって満員電車に乗って仕事に出かけなくてもいいのでホッしているということも聞きます。

何事も良い面と悪い面があるものですが(どちらかだけが語られる時はありますが)現状の状況そのものは個人がコントロールできるものではなく、「自分だけではどうにもできない」という感覚を持ちやすく、カウンセリングの場面でも普段よりも漠然と落ちつかない不安感を訴えられる方が増えている印象です。

台風や地震などもそうですが、「予想しなかった災難」に見舞われると人は「自分で自分のことがなんとかできる」という自己コントロール感を失い無力感に陥りやすくなります。そして「悪いことが起こらずに平和に明日もやってくるに違いない」という身の回りの世界への信頼感が揺らいでしまいます。

「悪いことが起こらないとなんとなく信用できない、そして悪いことが起こっても自分ではどうすることもできないかもしれない」

自分がまっすぐ立っているか確信や自信が持てず、地面も揺らいでいるようなそんなたよりなさ…

それを今多くの人が感じているように思います。

「コロナ・パニック」と呼ばれるような混乱、マスクの買い占めや、感染者への非難の言葉。

そのようなものも、おぼつかない自分をとりあえずの行動や、他者を攻撃するという言動で必死に自己コントロール感を取り戻そうとする悲鳴のようにも思えます。

新型コロナに関するストレスの相談の中で「話してみて"自分が不安に支配されいる”ということに気がつきました」というようなことをおっしゃった方がいました。

あなたの主は不安でなく、あなた自身です。

「不安だ」と言えること。

「しんどい」と言葉にできること。

それは「不安・しんどい」があなたそのものになって同化してしまっているのではなく、それを発する「あなた」の存在が「不安・しんどい」から離れてきちんとそこにいるからこそできることでしょう。

「話す」ことは「離す」ことだと言われています。

まず「不安・しんどい」を我が身から「話して」「離して」みましょう。

追記:お相手はおともだちでも、恋人でもご家族でも誰だっていいんですけど、とくに今、ちょうどよいお相手が見当たらない方はこちらもどうぞ。
https://note.com/counseling_lab/n/n19f98a5b9938





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