見出し画像

映画感想:「君たちはどう生きるのか」

 私は、この映画を観る前、この映画が、何か生き方みたいなのを提示してくれるんだと思っていた。

 しかし、映画自体はそんな感じではなく、とても良かったんだけど、いまいち掴めない。

 気になる部分が多くて、あれはどういう意味?とか、あれはなんだ?とか、あれはあの作品のオマージュかな?とか、疑問におもっている間に映画が終わっていたというのが正直な感想。いまだに、謎は解けないまま、、、。

 ただ、映画を観た後に、幾つかのyoutubeの解説動画を見て、そこから得た気づきも非常に面白かったし、漫画版の「君たちはどう生きるか」を読むなど、映画以外の部分でも楽しませて頂いたと思う。

 それで、せっかくですので、感想を書きたいと思いました!


アオサギのキャラ変のインパクト

 登場時のアオサギは、けっこう不気味。

 主人公の眞人君を悪い世界に誘うホラーな案内役みたいな感じで、鳥のリアルな感じも不気味さを倍増させていたと思う。

 眞人君が木刀で立ち向かった時も、猛スピードで突進してきて、木刀をへし折っちゃうし、アオサギに共鳴して、池の鯉やカエルまでも、不気味なハーモニーを奏で始める。

 しまいには、亡き母親そっくりの人形?を作り出し、主人公本人の目の前で溶かしてしまうなど、卑劣極まりない。

 にもかかわらず、そのあとから徐々に、滑稽なキャラに変化していく。容姿も、リアルなアオザギのシュットしたシェイプではなく、ハンプティーダンプティーみたいなぽっちゃりな風貌に変わるし、別世界に行った後では、主人公に振り回されながらも、しっかりとサポートするジブリらしいキャラクターになっていく。

 ここまでのキャラチェンジは、現実世界と別の世界を違うものとして書くために、あえて演出したんでしょうか。

 いずれにせよ、このキャラのインパクトが一番印象に残りました。

 他にも、今回、登場キャラは鳥のオンパレードでしたが、インコもかわいい。

 眞人君を食べたくてしかたないインコ。

 特に、手錠で繋がれている眞人君の横で、ウキウキで刃物を研いでいるシーンなんかは、昔のディズニーキャラかな?って思ってしまうくらい、コメディーな雰囲気を感じました。

ヒミはお母さんだったのか。

 まず、あいみょんが声優とは思わなかった。声が、すごくキャラに合っていたし、ハキハキしたしっかりした少女らしい良い声。

 まさか、眞人君の若いころのお母さんだったとは。

 しかも、別の世界で起こっていることとは言え、自分の息子を食卓で囲まれたインコ達から救出し、おいしいトーストをふるまって、最後に、あなたを産めるなら今の人生で良いと、病院の火事で命を落とす現実になんの迷いもなく戻っていく。

 なんか、こんな全肯定モードの母親像を描けるなんて、なんか良いなぁと思った。

主人公の周りの女性達に違和感を感じなかった。

 主人公の眞人君は、映画の初めから色々な登場人物に助けてもらって、すごく至れり尽くせり。

 設定上、裕福な家庭のお坊ちゃんだし、世話役のおばあちゃん達もいるし、当たり前なのかもしれないですが、別世界にいっても、キリコさんや若き日のお母さんにも、助けてもらえる。

 もちろん、眞人君自身もたくましいところはある。序盤のアオサギに立ち向かったり、危険な塔に入っていったり、息絶えたペリカンを埋葬したり、強さも感じる。

 ただ、出会う女性達に無条件に助けてもらえる主人公の境遇に、違和感を感じずに映画を観ていた私自身も、心の中では、そういうものを求めてるんだろうかと?なんか思うところがあった。

アーティストって、すごいな。

 正直、自分の内側の深くにあるものを表現していくって、しんどい作業だなと。

 世間体的なものもあるし、自分の願望にしろ甘えにしろ、世間には自分はノーマルだって思われたい。

 特に、葛藤もなければ、悩みもない、とがったところなんてないですとみせたい。

 あと、偏った考えとか、願望をもっていると、家庭環境とかに問題があったんじゃないかと思われるのがイヤで、自分の中のアブノーマルな部分って、やはり私は隠したい。

 それでも、アーティストの方々は、自分を隠さず、しかも何かしらの形にして、世間に投げつけている。 
 その作業をこなしていくアーティストに改めて尊敬を感じた。 

アートって素晴らしいんだな。

 この作品は、映画というよりアートなんだという意見が多かったし、私も納得する。自分で解釈する余地が多いし、久々にアートに向き合えたと思う。

 私は昔から、文学作品を読んでこなかった。全部空想の世界の話と思っていたので、読んでも面白くないなと思っていました。

 しかし、作品の物語が空想でっても、その裏にある出来事や人間の葛藤が作者の体験だったりするのであれば、そういうものに触れることで、自分の内面を見直す機会にもなるし、自分が恥ずかしいと思っている心理的な偏りも、似たようなものを表現している人がいると思うと、自分も自分を出すことを怖がらなくて良いんじゃないかと思えて、心の器が広がった気がする。 

 社会には、歴史に残る作品を作る人た達が自分の深い情緒だったりを表現している。

 しかし、小さい私は、自分を表現することが怖くて、恥ずかしなんていうところで立ち止まっている。

 なんか、人生がもったいないじゃないかと思った。

 私は、どう生きるか?という点では、正直、良く分からないけれど、こうやってアートを理解していく過程で、自分の器が広がっていくのが楽しいし、もっとアートや人間の深さに興味を持って生きていきたいと感じました!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?