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笑恋

「こうんは、良い人がいたら結婚するのか?」

ある日、父がいきなりこう聞いてきました。

普段父とはそういう話を全くしないので、面食らった私は、どぎまぎしながら辛うじてこう答えました。

「…え?…うん、まぁ‥良い人がいれば‥ね。」
「そうか…寂しくなるな…。」

いや、今のところ良い人いないけどね?笑




ずっと結婚のことを考えていた

考えてみると私は、
物心ついたときからずっと、
結婚のことを考えていたように思います。

長女で男兄弟はいないので、
婿をもらわなければいけないと思っていました。
だから、「お嫁さん」になる
という考えはありませんでした。

幼稚園や小学校で好きな人ができたら、考えるのは結婚後のこと。

中学校や高校でも、
好きな人ができたら想像するのは、
必ずと言っていいほど、
一つの家族になった後のこと。
結婚するまでの日常は、
すっぽり抜け落ちているのです。

そして、大学に入った頃、
気付きました。

いつも男子や男性を結婚相手の候補としてばかり見ていて、
一人の人間として、対等に、
フェアに接することができない。
自分らしくいられない。

恋愛よりも結婚よりも、
もっと大切なことがあるはずなのに!
と、もどかしさを感じるようになりました。


一番共感できるのは

「鬼滅の刃」で一番共感できる登場人物は、甘露寺蜜璃ちゃんです。


男子を前にすると頬を赤らめ、
その一挙手一投足にときめく(というか惚れる)。

それ、私。(ええカッこしいなので、頬は赤らめないけど)


男子と見受けられる人、
全員、旦那候補!

それ、私。


私って、ずっと結婚相手探ししてたんだーーーー!!
と気付いてしまいました‥
蜜璃ちゃんのおかげで‥😂

私にとっては、恋愛=結婚で、
周りの全ての男子が結婚相手候補。
刹那的にでも惚れる対象でした。


やっかいごと

そんな、惚れやすく、脳内結婚人間の私には、困ったことがありました。

「恋愛=結婚」という極端な考え方をしてしまうせいか、
自己肯定感の低さのせいか、

私は人に「好かれたり、一目置かれたりする」のがとても苦手でした。


その傾向が強く現れ始めたのは、中学生の頃です。

〝優等生〟の私を特別扱いする先生。
あからさまにでも、なんとなくでも、好意を向けてくる異性の子たち。
「こうんは頭良いよね」と線を引いてくる同性の子たち。

有り難いことに勉強が好きだったし、負けず嫌いだっただけなんだけどね。
その年代であればよくあることなのかもしれないのにね。
ただそのとき話が合わなかっただけなのにね。
当時は「特別扱い」のように感じていました。

大勢の中で目立つことはそんなに嫌じゃないはずなのに、
個人間や小さい集団の中で、「特別」扱いされるのは、小っ恥ずかしくて、気持ち悪くて、時には普通の生活が送れなくなる程しんどいことでした。

9年くらい習っていたクラシックバレエでは、先生に見てもらいたくて仕方がなかったのにね。
まあでも、そのときも、いざ先生が手厚く指導してくれるようになると、「私なんかを見てていいのかな‥」と、居心地の悪さを感じていたな。
見てもらいたいけど、見てもらいたくない、みたいな、相反する気持ちがありました。


この、「特別扱い恐怖症」みたいな症状が顕著だったのが、同年代の異性間での関係。
好きなはずなのに、
普段気になっているはずなのに、
いざ相手からの好意を感じると、
鳥肌が立ってしまう(←失礼)。

世の人はこれを、蛙化現象というらしい。
なんか腹立つよね。
好きでこうなった訳じゃないのに。
(今、「わけ」って打ったら予測変換で「理由」が先に出てきてびっくり!」

つまり、
両思いになることは、
できない。
永遠に。笑
積んでたな…あの頃から…


あほ

そんなやっかいごとを抱えた私でも、
両思いになれたことが一度だけありました。

でも、その貴重な縁も、
私は大切にすることができなかった。

あほかな。
〈当時の私にはそれが精一杯だったんだよね。仕方ない‥〉
と思いながらも、
やっぱりあほかな。


成功したオタク

去年、きっかけがあって、全く連絡を取っていなかった小中の頃の同級生たちとたくさん繋がることができました。

縁あった人たちには、
実際に再会することもできて!

その中には、私が幼稚園生や小学生の頃に気になっていた、あるいは好きだった人たちもいました。

今で言う、「推し」に近い感覚だったと思います。

「小さい頃の推しに、十数年ぶりに会って、話をすることができた。
私って、成功したオタクじゃね?」
と思いました。

※ちなみに、韓国のマンガで「成功したオタク (성공한 덕후)」という実在する作品があります。面白くておすすめです👍


こじらせ

「私は成功したオタクだ!」
などの一連の話を友人にしたら、

「なんか、こじらせてる感あるね」
と言われました(笑)

なるほど!
これが、こじらせてる大人か!!
私、拗れてるのかー!!!
ちょっとショックでしたが笑、
妙に納得できました。


痛みを癒す

そんな拗らせ女も、
(いや、拗らせているからこそか?)
人を好きになったり、
裏切られた気持ちになったり、
アドレナリンがドクドク出たり、
傷心になったりしています。

同年代が次々と結婚・出産していくのを見て、焦らない訳でもありません。

この焦りやモヤモヤ、
悲しさ、美化し過ぎた思い出を、
面白可笑しく書いてみたいと思い、
「笑恋(わらこい)」と名付けました。

大河ドラマ『光る君へ』で、
蜻蛉日記の作者である藤原道綱母が、このように言っていました。

日記をしたため、
世に公開することで、
妾(しょう)の痛みを癒したのだと。

noteを書くことで、
救われる気持ちがあるのなら、
書いてみようかなと思った次第。


ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
また遊びに来てね。

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