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少女の孤独に共鳴する16歳の尾崎豊

1982年秋、当時16歳の尾崎豊は自身が作詞作曲を行った『ダンスホール』をオーディションで生披露しプロのシンガーソングライターとしてデビューを果たした。10年間のプロ人生のすべてはこの曲から始まった。

オーディションで披露した『ダンスホール』という楽曲は、当時世間を大きく騒がせた、ある事件をモチーフに作られた。

―新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件

1982年6月、14歳の少女2人がディスコで若い男に声を掛けられ、ともに飲食した後に男の車に乗り殺害され、犯人が捕まらないまま時効を迎えた未解決事件。

この衝撃的な事件をモチーフに、
16歳の尾崎豊はこんな詞を歌った。

安いダンスホールは たくさんの人だかり
陽気な色と音楽と煙草の煙にまかれてた
ギュウギュウ詰めのダンスホール
しゃれた小さなステップ
はしゃいで踊りつづけてる おまえを見つけた
あくせくする毎日に 疲れたんだね
俺の胸で眠るがいい
そうさおまえは 孤独なダンサー

ディスコで踊る少女たちの孤独にそっと寄り添い、静かに包み込もうとする優しさがそこにはある。

彼はなぜここまで彼女たちに関心を寄せ、
この曲を作ったのか?

悲惨な事件に巻き込まれた少女たちを守りたかったという、切ない気持ちから歌ったのか。いや、この楽曲は16歳の尾崎豊が彼女たちの孤独と自身の孤独を共鳴させるように歌い上げた、等身大の叫びのように私は感じた。

あたいグレはじめたのは ほんの些細なことなの
彼がいかれていたし でも本当はあたいの性分ね

10代のまだアイデンティティを確立できていない、脆く流されやすい性質。誰かの影響ひとつで、簡単に酒やたばこに手を出してしまう弱さ。
一方で、こんな自分になってしまったのは環境のせいではない、紛れもない自身の弱さだとも気付いてしまっている切なさ。

幼いころから両親の愛情を受けながらも、どこか満たされず大人や社会への不満を抱いていた中高時代。たばこ、酒をたしなみ、ギターを弾き、それでいて学業優秀という、どこかちぐはぐに見えて必死に世の中を生きようとしていた尾崎豊。

この事件に関しても、被害者となった少女たちが身を置く環境や感情を自身の孤独と重ね、歌にした。当時の尾崎は、この歌詞のように優しく包み込んでくれる何者かを求め、歌にして叫んでいたのかもしれない。

若さというものは至極危うく、とてつもなく美しい。彼のような表現者であれば、その若さゆえの苦しみや葛藤を音に乗せて世の中に叫ぶことができる。

しかし多くの10代の若者は、それを表現し世の中を振り向かす手段を持ち合わせていない。
そして、人知れずその孤独を1人で抱えている。

誰しもが通るはずの10代のもどかしい青春時代。
24歳の私でさえ、当時の感情を鮮明に思い出すことがもうできなくなっている。

16歳でプロの表現者となり26歳でこの世を去った尾崎豊は、この10年で数々の等身大の叫びを世に放っていった。
彼の作品こそ、全ての10代の孤独と葛藤を、色あせることなく記録してくれている、最高の若者の史書だと私は思う。

尾崎豊と同じ時代を生きたことがない私が、なぜこんなにも彼の歌で心が震えるのか。今日も私は彼の声により、忘れたくなかった10代の記憶と感情を思い出している。



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