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【短編小説】世紀末のクリスマス


1999年12月24日、
昭久は東京の夜空を飛んだ。
サンタクロースがトナカイの引くソリに乗って
ふわふわと上へ登っていくように、
昭久はふわふわと地上へ降りて行った。
目の前に広がっていた街のネオン達は、
戦後日本が20世紀に作り上げてきたもの、
まさしく文明の賜物であった。

10歳の類もまた、凍てつくイブの夜空を一人、
祈るように見つめていた。
少年のまだ細く小さな指は、
結露した窓にあるプログラミングコードを綴った。

<EM></EM>
『サンタさん、僕はここにいるよ』

世紀末の混沌の中、
内閣総理大臣を始めとする有識者会議にて
『21世紀日本の構想』と称して
こんな課題提起がなされていた。

「日本のフロンティアはいま、日本の中にある。
21世紀を拓くにあたって、
日本および日本人の潜在力を引き出すことを
最優先の課題としなければならない」

当時、日常にもインターネットが普及し始め、
21世紀には個人が以前とは
比べ物にならない情報力を持ち、
活動範囲を広げていくことが予想された。
様々なネットワークを通じ
個人の力がみなぎる時代は必ず来ると
新世紀に対する希望的な見解も多くみられた。


しかし一方で目下の日本社会は悲惨なものだった。
完全失業率は当時史上最悪の4.9%、
景気の低迷と共に興るカルト教団やテロ事件、
挙句の果てには1999年に人類が滅亡するなどという
オカルト話まで流行してしまう始末だった。

そして何より、世紀末の日本国民を騒然とさせたのが
『2000年問題』の存在だった。
この騒動はつまり、日付の年部分を
2桁の数字で管理しているシステムにおいて、
「01/01/00」と記録された
2000年1月1日を1900年1月1日と
コンピュータが誤って解釈すれば、
最悪の場合人命にも関わるような
重大なシステムエラーが起こりかねない、
という問題だ。

新世紀を迎えるまでに、エラーの可能性を
できる限り0にせよというお達しのもと
酷使されたのがプログラマー達だった。
デスクの上に積み上がった
プリントアウトされたコードの山の中から、
日付関連の処理をしている個所を探し出し
ひたすらチェックするという途方もない膨大な作業を、
90年代後半から数年がかりのプロジェクトとして
昼夜問わず行っていたという。


この騒動の渦中にいたのが、
当時まだそう多くはないプログラマーだった
類の父、昭久だった。

類にとって昭久の存在は正義のヒーローのようだった。
寡黙で勤勉な父は、
あまり器用に子供と遊ぶことはしなかったが、
類が聞けばプログラマーの仕事について
誇らしく話してくれた。

「ねえ、パパは何を作ってるお仕事なの?」
「パパの仕事はね、目には直接見えないけれど、
たくさんの人や物を守ったり繋げたりする仕事なんだよ。
これから先、必ず必要とされるお仕事なんだ」
「へぇ、やっぱパパはすごいんだ!
僕もパパみたいなぷろぐらまーになりたい!」
「お、頼もしいな。じゃあ類に一つ、
簡単なプログラミングコードを教えてあげよう」

類が目を輝かしてパソコンを覗き込むと、
黒字の画面に白いアルファベットと
記号が映し出された。

<EM></EM> 
「emphasis」の略で、強調を表すコードだ。

「これどういう意味?」
「強く示す、みたいな意味だよ。
なぁ類、声が上手く出せなくても
恐がることはないんだぞ。
自分の気持ちを強く示す方法は、
声以外にもいくらでもあるんだ」

類は生まれつき発語に問題があり、
吃音症と診断されていた。
リラックスすれば何ら問題もなくスムーズに話せるが、
緊張すると言葉が喉をつかえて出なくなる。
小学校でもこのせいでよくからかわれていた。

それでもこうして昭久は、
類の吃音を個性として肯定し、
類の可能性をどこまでも信じてくれていた。


1999年の年が明けた頃から、
そんな昭久の心と身体は、
例の『2000年問題』に対処するための
過度な労働により着実に蝕まれていった。

食欲はなく顔に生気がない。
黒縁メガネの奥の優しい瞳は常に虚ろ。
会社から夏のボーナスと称して、
自宅用のパソコンと椅子が送られてきてからは、
帰宅後の深夜2時3時まで
平気で仕事をするようになっていった。
妻に「もう疲れてしまった、苦しい」
そう漏らすことも増えていった。

そんな疲れ果てた昭久の背中からも、
類は父のプログラマーとしての
意地や誇りのようなものを感じていた。
どんなに姿が変わり果てていようが、
昭久は類のヒーローに変わりはなく、
父はこの世紀末の日本を
必ず救うのだと信じ続けていた。

そして世紀末のイブの夜、
東京の空に雪は降らなかった。
時計の針が0時を指しても、類の枕元には
サンタクロースも昭久も来ることはなかった。

類は眠れず一人、窓越しの夜空を眺めていた。
父に教わったプログラミングコードを窓に書いてみた。

<EM></EM>
『サンタさん、僕はここにいるよ』

自分はここにいるのだと、
強く示す手段を持たなければ
この孤独なイブの夜は越えられない気がした。


少し眠れた類は翌朝目を覚ますと、
窓の外は少しオレンジ色になっていた。
テーブルの上には置手紙と
大きな四角いプレゼントが置いてある。

置手紙は類の母からだった。
『お父さんが夜中、病院に運ばれたので行ってくるね』
乱れた筆跡から、彼女の焦りようがよく分かった。

類は状況がいまいち理解できず、
深く考えることをやめ、隣の大きな包みを開けてみた。

中からは、分厚い液晶とキーボードが出てきた。
電源を入れてみると、
デスクトップにフォルダが一つあった。

フォルダの名前は
<STRONG></STRONG> 
以前教わったコードより強い強調を示すコードだった。

フォルダの中には昭久から類へのメッセージがあった。

『メリークリスマス。
側にいられなくてごめんな。
類。強く、もっと強く声を上げろ。
21世紀を強く生き抜け。
父さんにはできなかったこと、
類ならきっとできる』

時は流れ、21世紀の日本では
リモートワークが主流となった。
多くの人たちがステイホームで孤独を抱える中
人と人とを繋いだのがネットワークだった。

システムを正常に稼働させ続けるため
プログラマーたちはこの時代も尚、
厳しい労働を強いられていた。
30歳の類も同様に疲れ果てていた。

結局あの『2000年問題』は
社会インフラに影響を及ぼすような
重大なエラーは発生せず
世間が警戒心を解いた頃には
メディアの論調は変わっていた。
「結局なにも起こらなかったじゃないか、
あの騒動はなんだったんだ」
類はこんな記事を読んでは
世間への憤りと虚しさを感じていた。

それでも、『2000年問題』による
トラブルを未然に防ぎきった
20世紀のプログラマーたちの誇りにかけて
21世紀も人と人の繋がりを絶やすまいと、
今日も類はコードを打ち続けている。


<STRONG></STRONG> 
”21世紀を強く生き抜け”

『父さん、僕は強く、ここにいるよ』



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