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【エッセイ】小粋なバイバイ


週末、彼の家へ向かう道すがら
思い立ってケーキ屋に立ち寄った。
ショーケースの中には
宝石のように輝くケーキ達が並んでいた。

「ショートケーキ、2つ下さい」

真っ赤な苺が乗ったのを選んだ。
とびきり苦い別れ話には、
とびきり甘いショートケーキを添えてやる
小粋な女を演じてみたかったのだ。


深呼吸してからチャイムを押すと
ドアの隙間から伸びてきたのは
白くてすらりと長い腕だった。
ドアの向こうには
少し気まずそうな彼が猫背で立っている。

「ショートケーキ、食べる?」

右手に提げていた
小さな箱を少し持ち上げた私を見て
彼の表情は心なしか明るくなり
少し微笑んで頷いた。

「ちょっと入って待ってて。
今ブロッコリー切ってるとこだから」

彼はキッチンに広げた食材を
丁寧にカットして小分けしながら
成人男性1人分の1週間の食料を
用意している最中だった。

しばらくしてから
私の斜め前に腰かけた彼は
2本のフォークのうち
1本を私に差し出してくれた。
二人は真っ赤な苺が一つ乗った
ショートケーキを食べ始めた。

私が一番に苺を頬張ろうとした時、
彼は苺から一番遠いスポンジの先っちょを
丁寧にフォークで崩しながら言った。

「このケーキふわふわだね。
これならなんか、罪悪感も少ないね」

私はフォークに刺さった苺を
一度お皿の上に戻すことにした。

彼らしいなぁと思った。
ショートケーキを食べる時も
カロリーのことはちゃんと頭にあって
お楽しみの苺は一番最後に残しておいて。

ずぼらで気分屋で直感派で
美味しそうなもの、
楽しそうなものには
思わずすぐに飛びついてしまう私は
彼の理想的な女の子ではなかっただろう。

前はもちろん、後ろ姿もいつも綺麗で
爪先まで手入れが行き届いていて
お風呂上りのすっぴんでも可愛い、
眠っている顔だって可愛い。
そんな24時間360度の「可愛い」を
彼は私に求めていたようだ。

だけどあいにく私は
そんな完璧な女の子にはなれなくて
それを求める彼の隣にいると
いつも緊張して手汗が止まらなかった。


口にこそ出していなかったものの、
今日が二人の別れの日になることは
お互いなんとなく察していた。
だから別れ話だって、すんなり成立した。


ショートケーキを食べ終えて
「恋人」というタイトルを
そっと下ろした途端に二人は
ぽつりぽつりと、素直な自分の胸の内や
辛かった過去の話なんかを話し始めた。

そういえば、
マッチングアプリで出会った私たち二人は
お互いの関係性の中に
「恋人」というタイトルしか持ち合わせず
その物語を始めることばかりを考えて
丁寧にお互いを「知り合う」ことを
どうやら忘れてしまっていたようだ。

ひとしきり互いの過去の話をし終えた時、
彼がしみじみとこう言った。

「小雨ちゃんの話の登場人物には
悪役が一人も出てこないね」

私は彼の言葉にハッとなって考えてみた。
確かに彼の言う通りだと思った。

「確かにそうかもね。
私ってたぶんお人好しだからさ、
人の弱い部分を見るほどに
その人のこと愛おしく感じちゃうんだよ」

彼は私の目を見てこう言ってくれた。
「それすごいことだよ。
小雨ちゃんの才能だと思う」

そんな宝石みたいな言葉をもらって、
私は素直に嬉しく思った。
その瞬間、本当の意味で初めて
彼という人間を愛おしいと思った。
人生のほんのひと時でも、
彼と過ごせて良かったと思えた。

それから彼の部屋に置いていた
少しの荷物と心残りを整理した私は
玄関先で靴を履いて彼へ振り返った。

「ありがとね」
「こちらこそ、ありがとう。
これからも、文章書くの頑張ってね」

頷く私に、少しおどけて彼は続けた。
「いつか俺も小雨ちゃんの小説に出てくる?」
「うーん、どうかな」
「その時はとびきりの悪役にしてよ。
そんで、俺のことずっと忘れないでよ」
「いや、君に悪役は無理だろうな。
せいぜいモブの、イイ奴止まりかな」
彼は笑っていた。
「じゃあね、バイバイ」
私も笑ってドアを閉めた。

最後の最後まで
小粋な女を演じてはみたものの、
帰り道に車から見えた
湖の水面を照らす夕陽があまりに綺麗で
気付けば私は
ぼろぼろ涙を流しながら運転していた。


大好きな苺を一番に頬張れない
そんな苦い失恋を乗り越えた私は
ひとしきり泣いた後、
また新しい物語の幕を上げた。

タルタルソースのたっぷり乗った
エビフライを分けてくれる
ちょっぴり私に甘い彼に出会えるのは
それからまだもう少し、先のお話。

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