“思い出す”人生

割かし幼い頃からコーヒーゼリーが好きな子どもだったので、そんな頃から漠然と三連のコーヒーゼリーを眺めながら「このひとつのコーヒーゼリーに3個分のコーヒーフレッシュをかけて食べるのが夢」などと宣っていた

ことを現在昨日でも今日でもない狭間の時間に投げ出され(勝手に!)(被害妄想!)(読破を心に決めて本読んでたら思いのほか時間を食っただけの話なのに!)、空腹にひれ伏し、パスタを茹で、和えるだけのたらこパスタソースをかけながら思い出しました

パッケージ裏面ド頭に並ぶ「黄金比」の文字

うめぇ(º﹃º ) と限りなく無意識に近い範囲の意識で思いながら、指示通りに1袋1人前分和えたたらこパスタを食らっています これは本当に美味しい

思ったことは2つ

「黄金比(これでいいのだ)」、「夢(浪漫)」
強い言葉同士の戦いだ
争わない戦いにも趣があるよな
自己で完結する反骨心を持つことって有効で有益なんじゃないか やはり人間凹む前にぷくっと膨らんでおかねばならない
某七つの習慣にもある信頼の貯蓄と同様に(中断)

漫然と歳を食ってきました と言い回っていたけど、今後の人生は「思い出す」ことをどんどん楽しめるようになっていくんだなぁ
勝手に思い出さなきゃいけないものが増えていくから 思い出し放題だなぁ
思い出したくないものとばかり戦っていても疲れますものね、思い出したいものを思い出そうとしてみるのも、いいよね、
今後思い出されるべき物事の母数は確実に増えていく 将来性も投資し甲斐もあるよな

書いていて思ったことは1つ

コーヒーゼリーもパスタも、主体自体をできるだけたくさん食らいたいという欲は、考えれば私にはあまりないかもしれない
大盛り山盛り食べたい
より
ちょっとリッチに食べたい
欲って深さだけじゃなく“幅”があるんだ
なんか、面白いとは思うけどかわいくはないよね(自分のことなので尚更に)
否定とかしないけど 面白いとは思うし

追記
嘘だと思われそうで納得がいかないけれど、本当のことなのに書きたいことの一つや二つ嘘つき呼ばわりを恐れるだけの理由で書けないほうが不健康なのではと思うので、

黄金比に ほぉ などと心をいくらか動かされていた割には、たらこパスタソースの付録(喜びの部分)、刻み海苔をかけ損ねていたこと
それに平らげたお皿をとりあえずシンクに水につけて置いておこう、あっ、お湯のがちょっといいかな(?)と立ち上がった時に気づいたこと

以上2点です

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