ピザトーストと、無糖のミルクティー
朝早く起きられた日には、朝活と称して大通りにモーニングを食べに行く。
暗くなれば飲み屋街としてやや治安も悪くガヤガヤするこの通りも、朝8時にはトーンが数段暗くなる。
静かで、グレー色の雰囲気。スピードだって一定で早い。それでいて重たい。
これからきっと出勤なのであろう始まりたての大人が、しゃっきりと、そして少ししっとりとしてさかさかと歩いている。
私は未だに8:00~8:30の間は謎の切迫感に駆られる。きっと学生時代や新卒の職場の名残なのだと思う。5分おきに何かの開始時刻が迫ってくる。時刻だけが記憶にこびり付いていてそれがなんの時刻だったかを思い出せない。
各所の当時の私は、このとき何に追われていたのか。目的地に着くべき時刻だったのか、朝読書を始める時刻だったのか、ラジオ体操の音源を流し始める時刻だったのか、朝礼が始まる時刻だったのか。
毎日毎日繰り返していたはずなのに、記憶も束になってしまえばそれは1つの記憶となってしまって、1ルーティンの項目としてしか思い出すことができない。箱にしまわれたトランプカードみたいで、中身が何かは分かっていても、1枚1枚についた曲がりとか、エースの特殊なデザインの細部だとか、そういうのはもう思い出せるどころかそもそも記憶にもないのかも。
私にとってその辺の自分は毎日必死で、残っている項目を漁ってもとても楽しい記憶とは言えない。
はっきり思い出せないのに、思い出せないからこそ、もう戻りたくないといつも思う。
それでいて、日々が詰まっていたその期間が、今となってはまっさらなもやもやとした空き地になっているのも、嫌ではないのに寂しくはあるのだ。
亡くなった誰かの事を思い出すと、その間、天国でその人の頭上からお花が降り注ぐ
と聞いたことがある。
記憶にも、それ、あったらいいな。
当時の目の前しか見られなかった私に、ひとつでいいから、お花が降りますように。
メルティーキッスでも可。
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