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言語はとても面白い。

たいして知らないくせに,そんなこと思ったりします。

母語は日本語,加えて学校で学んでちょっと海外に行ったレベルの英語,かじったどころかうっすい歯形をつけたくらいのフランス語。

それしか知らなくても,言語には底知れぬ魅力を感じます。

英語をひとしきり勉強して,フランス語をちょっとやって思ったのは,「ヨーロッパの言葉って,全部を知らなくても推測で分かることもある」ということ。

綴りが似てるとか,共通する部分があるとか。

最近気づいて興奮したことを書こうと思います。

欧米で撮影された公演映像をたまに観ますが,クレジットにフランス語と英語が併記されていることがあります。照明のところには,フランス語で Lumière とありました。

Illumination という言葉は日本でも割とよく使われているように思います。クリスマスにはいろいろなところでやっています。

"lum"には光とか明かりとか,これらの言葉がもつ本質的な意味合いが詰まっているのではないかと,なんとなく思ったりするわけです。そういうことを体系的に学べる学問分野もあるのだろうと思いますが,残念ながら私には今までのところ縁がないため分かりません。

そういえば,ハリー・ポッターに出てくる Lumos という呪文は,唱えると杖先に光を灯すことができました。おおお。

ハリポタ絡みで言うと,patron という単語があります。支援者だとか,芸術家にお金を出してくれる人みたいなイメージです。それだけではなく,守護聖人といった意味もあるそうです。だから,Patoronus。よく考えられているなあ。


言語の感覚は,母語によって結構違うのかも知れません。言葉は思い,考え,伝えるための道具です。日本語という道具しか持たないまま,全く異なる言語の文章を作り,あるいは解釈しようとするのには無理があると思うのです。

同じ3カ国語でも,英語とフランス語とドイツ語を話す人と,日本語と英語と中国語を話す人では,多言語を操るという感覚は大きく異なるのではないでしょうか。

例えばヨーロッパでは,歴史背景などもあって言語の境界と国土の境界が必ずしも一致しませんから,複数の言語を理解する,あるいは流暢に話すことがそれほど珍しくはありません。そしてそれらは,ある程度類似性があって,ひとつの人間性,ひとつの思考回路をもって行き来することができる言語たちなのではないかと思うのです。

日本語と英語ではそううまくは行かない気がしませんか。日本語で言いたいと思ったことを,英語で自然な文章に書き換えると,語順や品詞が全然違ったりすることってありませんか。もしくは,日本語を話すときと英語を話すときで,キャラクターが変わることってありませんか。

そう思うと翻訳ってものすごく難しい仕事です。英語を日本語に翻訳する場合,ふたつの言語を使いこなせる必要があります。それも母語だから日本語は大丈夫とか,そんなレベルではなく。翻訳の話は,これはこれであまりに奥深いので,ここまでにしておきます。

言語の話は,考えれば考えるだけ,少ない知識を種に想像がどんどん膨らんでいきます。私の知らない,想像の全く及んでいない世界もたくさんあるのだろうと思います。

考えるだけで楽しいな。考えるだけならタダですからね。そして,これから新しく知るであろうこともたくさんあると思うと,その喜びが残されているということもまた,幸せなのかも知れません。

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