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何も持たざる者が副業を始めるきっかけ

今回は私のことについて書いていきます。

始まりは3年前に遡る。
会社や働き方について疑問を持つようになった。
当時、工場に勤務をしていた。
積極的に残業して休日出勤もしていた。
全てのラインをこなせる多能工になった。(他にこなせる方はいない)
改善提案を提出し、効率化を図り、表彰もされた。
社内サークルではリーダーを務め2位の実績もある。
マニュアルがなかったので、社内標準も作成した。
会社に分かりやすく貢献していた。

でも給料は上がらなかった。

そういうものだと思い込むようにしていた。
よその会社も同じだと。

そんな中、
他部署の同期たちが昇級と、さらに昇進もした。
役職も給料も負けたのである。
悔しかった。
なぜ違いが出たのかわからなかった。

私のコミュニケーションに問題がある訳ではない。
積極的にコミュニケーションは取り、役職、年齢関係なく慕われていた。
各ラインどこでもこなせたので、積極的に他ラインの手伝いをして良好な関係を築けていた。

わからないまま、1年間我慢した。
しかし昇進はなかった。
さらにショックな出来事に他部署の後輩が昇進していた。
置いていかれるだけでなく、追い抜かれてしまったのである。

さすがに我慢の限界に達したので、上司に聞いてみた。
返答はこうだった。
「年数が浅い」
「製造部では10年勤めないと昇級できない」
理解ができなかった。
他部署は昇進しているのに。
この部署は実力ではなく年数で見ている。
頑張っても無駄だと気づいた。
何を頑張っていたのか、何を犠牲にしてたのか。
悔しくて酒に逃げる日々が続いた。

完全にやる気をなくし、電車に揺られる毎日。
ふと思う。
片道1時間40分掛け通勤。
往復で3時間20分。
これは何の時間だ?
朝は5時30分に起き、夜は定時で20時前に帰宅する。
残業すれば当然もっと遅くなる。
自由な時間は1日のうちわずかだ。
これで本当に良いのか?
給料が少ないため職場からは家賃の安い、遠い場所に住むことになる。
全てが負の連鎖である。

そう思い始めていた時に、
コロナ禍になった。
仕事が休みになった。
テレワークが流行ったが、当時の職業は製造業のためテレワークなど皆無だった。
給料がもらえなくなる。生活できなくなる恐怖があった。
何か始めなくてはいけないと思った。
しかし、急には思い付かないものだ。
まずは身近なお金について勉強をし始める。
お金の使い方、守り方、貯め方、株式投資を学んだ。
株式投資はギャンブルという考え方があったが大きく違った。
投資と投機があり、多種多様な投資方法がある。
勉強したかいがあり、
倹約する力と株式投資への知識がついた。
「会社は誰のものだ?」
今と昔では回答が違う。
成長したのだろう。

次に資本主義について勉強する。
税金ばかり取られる。
国の制度は分かりづらい。
しかし、わからないと国から搾取される。
今まで何も知らないだけで搾取されていたことがわかった。
損をしていた。

資本主義というものは、頑張れば金が稼げることはわかったが、
雇用されていても生涯年収を増やすことは難しい。
給料が高い仕事は決まっている。
今からでは医者になるには難しい。
大手総合商社に入るのも厳しいだろう。
最初の正規のレールから外れた私は、違う道を考えなくてはいけなかった。
産まれた時点で違うレールに乗っていたかもしれないが。
違う道は、起業するか投資家になるかだ。
金持ちになるには起業し稼ぎ、投資をする。
この流れになるだろう。
投資は少額でもできる。
ニュースも見るようになり、世の中の流れもわかるようになる。
良い傾向に進むと信じ、まずは株式投資を始めてみた。
中長期で考えれば、株式投資は金を増やすにはとても良い。
金に働かせることを覚えた。
しかし、少ない給料では投資できる額も決まっている。
配当金も小遣い程度にしかならない。

「起業するしかない」
金を稼ぐためには起業するしかない。
雇用されるのは辞めて、起業する道に進むことに決めた。
しかし、金の勉強はしたが、稼ぎ方については勉強していなかった。
起業するにしろ何をする。
何か自分にできることはあるのか。
探したが何もなかった。
会社の中でしか生きられない能力しかなかった。
いくら全てのラインできるようになろうが、その製品の知識があろうが、
それはこの会社でしか活かせない能力であって、
外に出れば何もできない。無駄な時間だけを過ごしてきた。
転職しようにも同じような肉体労働で低賃金の仕事しかない。
絶望だった。
酒に逃げる日々が続く。

少しだけ希望の光が見えた。
1日1時間勉強すれば宅建の資格が取れることを知った。
勉強をして資格を取れば人生が変わると思った。
大学に行かず学歴のない私には、資格は最適解だと思った。
本気で4ヶ月勉強した。
残業して疲れていても最低1時間は必ず勉強した。毎日した。
通勤時間も勉強した。
休みの日は5時間以上は必ずした。

なぜ続けられたかというと、
学生時代に勉強を疎かにしていた私にとって、
大人になってからの勉強は楽しかった。
知識を得ることは最高に楽しかった。

試験当日はワクワクしながら行った。
今日で人生が変わると思っていたからである。
しかし結果は、合格点に僅かに足りず不合格だった。
コロナ禍になり、何か資格取得と私と同じ考えを持った方が多く、合格点がかなりはね上がる年となった。(宅建の試験は相対評価である)
通常の年であれば合格点だったかもしれないが、宅建の勉強はここで終わりにした。
特段、不動産業に転職したい訳ではなかったので、資格を取れば即開業ができる別資格を目指した。
資格の難易度が上がり、勉強が楽しいより苦痛になることが多くなった。
2年間、仕事をしながら勉強を続けたが合格することはできなかった。
しかし、この勉強をきっかけに希望の職種に転職することができた。

時給1200円。
アルバイトだ。

この業界の求人はほぼなく、安い賃金で働いている方が多い。
給料を上げたかったはずが、給料が低くなってしまった。
私は一体何をしているんだ。
ここで転職がしたかった訳ではないと、目的を見失っていることに気づく。
資格が取れたとしても給料が上がる訳でもない。
実際に資格を保有しているが低賃金で働いている方がほとんどだ。
苦痛な勉強に耐え、資格を取れたとしても給料は上がらない。
開業しなければ抜け出すことはできない。
開業してもそこから実務の勉強をする。
また食っていくためにはビジネスの勉強をしなければならない。
時間がかかり過ぎてしまう。
3年かかってようやく資格が取れたとしても、そこからまた時間がかかることに気がついたのである。
遠回りをしていた。

時の流れは早い。
ここでChatGPTの出現である。
実際に使ってみると便利である。驚きだ。
ホワイトカラーの仕事などChatGPTで完結してしまう。
これは一目散に資格など取っている場合じゃないと気づかせてくれた。
ChatGPTを使う側、AIを学ばなくてはと。

そんな中、AI生成のTipsを発見する。

ここが今現在の私の現在地である。

続きは加筆していきます。
副業してどうなっていくのか、どう現状を打破できるかを書いていきます。
ここまで読んでいただき誠に感謝いたします。
引き続きよろしくお願いいたします。

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