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傘と恋

ある日、傘を失くした。
どこかに置き忘れてしまったのだ。職場か、仕事帰りにいつも寄るカフェくらいしか思い当たる場所はなかったが、どちらにもない。

黄色の傘。黄色の持ち物はあまり持っていないが、雨の日に少しでも気分が明るくなるようにと選んだ色で、お気に入りだった。

何より、好きな人が好きだと言ってくれた色だ。

わたしが思いを打ち明けたあの日。あの日も雨だった。
わたしの気持ちには応えられないこととその理由を、丁寧に言葉を紡いで伝えてくれた。
その帰り際、わたしの黄色い傘を見て「いい色だね」って笑ってくれた。

3年近く秘かに温めてきた思いは、簡単には消えない。なかったことにはできない。
それでも、わたしは気持ちを押し殺したまま友達としてそばにいることを選んだ。
彼がいいねと言ってくれた傘を大事にしながら、友達という立場で彼を大事にしようと思っていた。

その矢先に傘が失くなった。
傘を失くすなんてよくあることで、また新しいのを買わなきゃ、で済む話なのだけど、この時はなんだかとても暗示的に捉えてしまって落ち込んだ。

取り戻したい焦燥感に駆られた。傘への未練はそのまま、彼への未練だ。
黄色の傘を探さなきゃ。パステルカラーで、山吹色に近い、彼が好きだと言ってくれた色の傘を。

でも、同じ傘はもうどこにも売っていなかった。
同じものはもう手に入らない。
ただ彼と一緒に過ごせるだけで幸せだった時間ももう戻らない。

今はだめでも、そばにいればいつか何か変わるかもしれない。そんな幽かな期待の糸が完全に断ち切られたような気がして怖かった。
傘と一緒にこの未練も手放さないといけないのかな。
いやいっそ、傘と一緒に失くなってくれたらどんなに楽になれるだろう。


それから3か月後。突然傘が出てきた。やっぱりいつも仕事帰りに寄るカフェの傘立てに立っていた。
本当に不思議だった。それまでの3か月間、週に2〜3回のペースで通っている。それなのにその日までその傘は見たことがなかった。

にわかに喜んだのも束の間、手にとって再びショックを受けた。外に見えている柄の金属部分は錆び、石突はひび割れていたのだ。これじゃ使えない。錆は落とせるかもしれないけど、石突のひびまでは直せない。使い続けてもすぐに壊れてしまうだろう。

みすぼらしく錆びついた傘が、まるで自分のように見えた。

壊れかけた傘。受け入れてもらえなかった思い。それでもやっぱり手放せない。
あの人を思う気持ちは時が経つにつれて薄れるどころか、ますます痛みを伴ってしつこく付き纏う。自分を一切見ていない人のそばに平気なフリをして居続けるのは本当に辛い。
潮時なのかもしれない……何度もそう思いながらも、壊れかけてもなおまた手元に戻ってきた傘のように、この未練はなかなか消えてくれない。

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