客観的歴史
先日、札幌のホステルに宿泊し、韓国の方と意気投合。
お酒を御馳走になった。
韓国の方の身の上話を聴き、立志に感動。
私は、歴史に興味があると自己開示し、た。私の存在は、先代の労苦の末だからと語った。
先代の労苦に話題が移った。
私の父親は、満洲の引揚げ者であり、現地に残されそうになったこと。祖母や叔母は汚い装いで女性であることを隠して移動した労苦を語った。
すると、韓国の方は、女性であることを隠した期間が
日本は1年
韓国は40年
ですよ。と語った。
また、韓国の方はアイヌについても勉強しており、
アイヌは日本人から迫害を受けた民族。韓国人と同じですよ。
と、語った。
私は頭がグルグルした。
韓国の40年って、日韓併合時代?
アイヌって日本人が迫害したの?
日本人代表として反論したかったが、私には論破出来るだけの情報が無く、黙ってしまった。
韓国の方から話題を変え、
私は韓国の歴史が分からない。
新羅、高句麗、百済の3つあったことは分かるが、その後が分からないんですよね…。
と、会話をリードしていただいたが…
国際的な場において、ネガティブな意見は覆したいと思い勉強しているつもりだったが、実践の場では全く歯が立たず、苦い思いをした。
私自身、ポジティブ過ぎる日本の歴史の情報を入れすぎたのだろうか。
乖離しすぎてて、お互いの落とし所を見つけることが出来ず、私は黙ってしまったんだと思う。
物事は因果関係で起きている訳で、勝負の世界や利害関係、善悪関係では、双方存在するはずである。
私はどちらか一方の記録を読んで、歴史を学んでいると自惚れているのかもしれない。
韓国の方は言っていた。
息子に、本を読んで正しい判断を身につけろ。と。
幸い、日本では様々な情報があり、探せば何でも出てくる。正しい判断が身につく環境にいることを感じさせていただいた。
最後に、韓国の方へ読んでいた古典を渡し、御礼の気持ちを伝えた。
凄く喜んでいただいた。
この出来事で感じた。
客観的な情報による歴史を学びたい。
学べる社会が欲しいと。
客観的な情報では、ネガティブもポジティブも感情も無くなり、事実のみになる。
この様な場に巡り合っても、事実のみであれば、落とし所が見つかる。
対立が起きるのは、お互いの利得を主張するからであって、落とし所を探すために、目的と事実をお互い語り、尊重すれば、共存できる社会に繋がると感じる。
私自身、客観的な記述か見極める目を養って、少しでも社会のお役に立てればと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?