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居場所の未来

居場所は長続きしない。
なんとなく感じていたことだが、改めてそう思ったイベントだった。
もちろんこれは悲観的な意味ではなく。

参加したイベントは「居場所の未来」。
登壇者は家入一真さん、櫻本真理さん、佐渡島庸平さん、東畑開人さん。
イベントテーマといい、登壇者といい自分にとってのどストライクだったので迷わず参加。

そもそもこのイベントは東畑開人さんの新著『居るのはつらいよ』という本がきっかけとなって生まれたイベント。
こちらの本もケアとセラピーという人と向き合う姿勢をもとに、居場所について考えさせてくれる面白い本だった。


「居場所の未来」での学びと考察をまとめておきたいと思う。


・居場所の過去

生まれた家柄によって人生は決められていた。(人生の選択肢がない状態)
居場所は物理的な場所を意味するものに留まっていた。
不自由がゆえ居場所について深く考える余地がなかった。

居場所が「心のよりどころ」的な意味で使われ始めたのは70~80年代頃。
高度経済成長期で豊かになるにつれて選択肢が増えた。
「どこで何をする」の選択が自由化。
一つの生き方ではない、自由だからこそ「自分にとっての居場所」という発想が生まれる。

その結果、人は居場所について考えることが増えた。


・居場所の今

居場所には二つの側面がある。

beの居場所
「いる」ことに価値を感じられる場所。
そこは素の自分でいられる場所。
その場所では傷つけられないので素でいられる。
doの居場所
「する」ことに価値を感じられる場所。
そこは自分に役割がある場所。
その場所では役割があることで自分の存在意義を感じられる。

自分が居場所と感じられるようになる要素として、ふたつの人と向き合う姿勢がある。

それがケアとセラピーだ。
前者が受容的姿勢、後者が課題解決的姿勢ともいえる。

受容的姿勢
相手を受け入れることを優先。
beの居場所との親和性が高い。
受け入れてくれる相手を受け入れるようになる→ケアの循環が生まれる。
課題解決的姿勢
課題を解決することを優先。
doの居場所との親和性が高い。
課題を解決するために自分ができることをやる→役割が生まれる。


ケアに重きを置けば自分にとってのbeの居場所、
セラピーに重きを置けば自分にとってのdoの居場所に近づく。

人によって、また同じ人でも時間や環境によってbeの居場所とdoの居場所のニーズが変わる。
自分にとっての居場所が居場所でなくなることも起きうる。


居場所にはふたつの種類がある。また、自分にとっての居場所は流動的である。

という前提を持っておくことがこれからの居場所との対峙の仕方になるのかもしれない。
居場所の未来の輪郭に触れたような気がしたイベントだった。

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