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海の底の彼女と、タイムマシン

こんにちは、奏葉です。
最近暑いですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

まず、この投稿は以下の投稿の続き(というより番外編?)として書いたものです。
もし良ければこちらも併せてご覧ください。



「もしもタイムマシンがあったら、いつに戻りたい?」
その質問に "戻りたくない" と答えたのは、今まで彼女だけだ。

名前順も遠いし、所属しているコミュニティも違う。
入学してから数年間、彼女とはまともに言葉を交わしたことすらなかった。

線が細い、そんな印象を抱かせる子だった。
白くて綺麗な肌と真っ直ぐな髪。優しそうな笑い方。
彼女には "繊細" という言葉がよく似合っていて、
守りたくなる女の子ってこういう子のことなんだろうな、なんて思っていた。

そんな印象通り、彼女は周りから愛される子だった。
みんなに可愛がられると言おうか、彼女には放って置けない何かがあって、それが周りを惹きつけているように感じた。
可愛くて明るくて、誰とでも仲良くなれる。そんな華やかな女の子達と一緒にいる姿もよく見かけた。

でも、遠目で見る彼女はいつも自信なさげで、どこか寂しそうだった。
あまり自分からは話をせず、微笑みながら周りの話を聞いている。そんな姿が印象的だった。

あんなに周りの人に愛されているのに、一体何が彼女をあんな風にさせるのだろう。彼女の中には何があるのだろう。気付けば随分長い間、そんなことが気になっていた。

転機は、ある実習で彼女と同じ班になったことだった。
しかも私は彼女とペアを組んで行動することになり、彼女との距離は一気に縮まった。
好きな食べ物の話。休みの日の過ごし方。お互いの趣味や、好きな曲。
今となっては必死すぎて恥ずかしいけれど、とにかく彼女のことが知りたくて、次から次へと話題を探した。

そんな日々が過ぎるうちに、段々と彼女も自分のことを話してくれるようになった。
昨日食べたもの。最近聞いている曲。離れて暮らしている家族のこと。
内容はそんなたわいもないものばかりだったけれど、ふとした時の彼女の言葉の選び方が好きだと思った。一見すると気が弱そうな彼女だけれど、大切なものをきちんと大切だと言える、ぶれない一面を持っていることも知った。
彼女にしか出せない空気感や言葉があって、そんな彼女の世界に触れられるのが嬉しかった。でも、彼女の奥にある何かには全く手が届いていない気がして、“ まるで底の見えない海みたいだ ”なんて思っていた。


そんな彼女の海の底に触れることになったのは、それからしばらく経ってからのことだ。
ある日の放課後、コロナ禍で始めたというギターを聞かせてもらえることになり、彼女の家に行った。
スピッツ、Galileo Galilei、ヨルシカ。
彼女が弾く曲は優しくて、でもどこか物悲しくて、彼女の抱えるものが少しだけ分かった気がした。

彼女のギターを聞いた後、気付くと私は彼女に自分の悩みを打ち明けていた。「頑張る」ということでしか自分を肯定できないこと。周りと比べて苦しくなってしまうこと。彼女は急にそんなことを話し出した私に驚くこともなく、黙って話を聞いてくれた。

その日の帰り道、彼女からLINEが届いた。
「奏葉ちゃんが自分を認められなくても、私は素敵だと思っている」ということが綴られた文章の後に、URLが添えられていた。
そのURLを押すと、彼女の日記に飛んだ。

彼女は数年前から日記をつけていると言っていた。
毎日書いているという訳ではなく、何かを書きたいと思ったときだけ書くと。そういえば、最近web上にも日記を書き始めたんだ、なんて言っていたな。そんなことを思い出しながら彼女の日記を開いた。

その中に綴られていた彼女の文章は、凄まじかった。
日々の些細な出来事の中で感じたこと。好きな曲のこと。彼女にとって印象的な記憶。ずっと劣等感を抱えていたこと。寂しくて、悲しくてどうしようもなくなる時があること。毎日が辛くて、早く人生を終わらせたいと願ってしまうこと。

初めて読んだ彼女の文章に、私はぼろぼろ泣いた。
自分が引きずられてしんどくなった訳じゃない。ただ彼女の紡ぐ文章が自分の心に響いて、何かが溢れた。
彼女の文章は苦しかったけど、でも余りにも儚くて綺麗で、“あぁ、彼女はずっとここにいたのか” と思った。

彼女が生きづらそうなことには、少し前から気付いていた。
食べたいって思えない時期があるんだよね、とお昼ご飯を食べない日があること。変な時間に起きちゃった、と真夜中に返ってきたLINE。布団から起き上がれない日があるんだ、と言っていたこと。遊ぶ約束をする時は、調子が悪くなって行けなくなったらごめんね、と付け加えること。
だから、そんなことがある度に「彼女が少しでも楽になれれば良いのに」とこっそり思っていた。

でも彼女の文章を読んでみて、改めて気が付いた。
繊細であることと感性が豊かなこと、それはきっと紙一重だ。
繊細だからこそ彼女は日々傷つくのだろうけれど、きっとそんな彼女でなければあの文章は書けない。
もっと彼女が楽に生きられたら良いのにと思うけれど、そうなればきっと彼女の感性や文章は手放されてしまう。そう考えると皮肉だなあ、と思った。


彼女への返信には、随分時間がかかった。

私は、彼女の感性や文章がとても好きだ。
でもそれは彼女が今も生きづらさを抱えている証拠なのだから、軽はずみに何かを言うことはできないと思った。
私には彼女の苦しみを代わりに引き受けることはできない。だから、「そのままでいて」なんて言葉は無責任だし、言うべきではないのだろう。
でもやっぱり私にとって今の彼女はとても素敵で、そのことだけは伝えたいと思った。

そんなことをぐるぐる悩んで、散々考えた末に

「私が言いたいのは、しんどい中でも生きてくれてありがとうってことなのかも
素敵な文章を書ける人ほどその感性に傷つけられちゃうことが多々あるんだと思うけど、それに負けずに生きて素敵な文章を届けてくれてありがとう」

なんてちょっと格好つけた文章を、彼女に送った。

_ _

実は彼女は次の春、遠く離れた地で就職する。
急な展開に驚いて理由を聞いたら、「ここじゃないどこかにずっと行きたかった」と彼女は薄く笑った。

もちろん彼女と気軽に会えなくなるのは寂しい。
でもどこか遠くに行くことで、少しでも彼女が幸せになれるなら。そうも思った。
だって彼女が生きていてくれさえすれば、どこへだって会いに行くことはできるのだから。


「タイムマシンがあっても、私は過去には戻りたくない。」
彼女がそう答えたのは、今までたくさんの辛さや生きづらさを抱えてきたせいだった。

もしかしたら数十年後も、彼女の答えは変わらないのかもしれない。
でも、たとえ答えは同じでも、その理由くらいはもう少し優しいものになっていてほしいと切に思う。
そして、その時には彼女にとって、世界がもう少し優しいものになっていますように。
そんな風にも思うのだ。



今回は、私の大切な友達の話を書いてみました。
話があまりにも長くなってしまうので、多少省いたり脚色を加えている部分はあるのですが、ほぼ実話です。

この友達に限らず、私が「この人の感性、素敵だな」と思う人は、どういう訳かみんな生きづらそうにしている気がするので
時々、世の中ってほんとに難しいなあ、、なんてことを考えます。

もしかしたら、私が好きな作家さんやバンドの方々、今読んで下さっているnoteの書き手さんなんかもそうなのでしょうか。
もしそうなのだとしたら、大声で「負けずに生きて、素敵なものを届けてくれてありがとうございます」と叫びたいです。


暑い日が続くので、たまにはゆっくり休んでくださいね。(私は暑さに負けて、今日もアイスを食べました 笑)
7月初週、素敵な週末になりますように。





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