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児童精神医学の“今”と“これから”

児童を対象とした精神医学の現在位置と今後の可能性について、カウンセラーはどのように理解していくのがよいのでしょうか。
児童精神科医で、国立精神神経医療研究センター精神保健研究所で、ASD児の不安症治療などの研究に従事している、岡 琢哉先生に、カウンセラーが知っておきたい児童精神医学の”今”と”これから”についてご解説いただきました。



はじめに-精神医学、児童精神医学の”今”

精神医学の潮流は全体として大きく変わりつつある。統合失調症や躁うつ病といった疾患同士の関連が生物学的な知見から明らかになり、従来の精神疾患の枠組みのように「カテゴリカル」な診断(境界を定め、定義する診断)で疾病を分類することへの問題が生じており、「ディメンジョナル」な診断(症状の重症度を”無し”から”重度”という評価を記述する診断手法)へと変化することが求められている。

このような流れは児童精神医学の分野にも大きな影響をもたらしている。そもそも、児童精神医学は成人の精神医学の知見が広がる中で発展してきた分野であり、成人に比して未開拓、未知の部分が多かった。しかしながら、児童から成人への疾患の連続性に関する知見も増え、「分離不安症」といった児童期特有の疾患と思われていたものも、成人期の不安症と同じカテゴリの中で考えられるようになった。

児童精神医学に関わる 近年の大きなパラダイムシフトの一つとして、アメリカ精神医学会の発行する診断基準であるDSM-5の各精神障害群の冒頭に「神経発達症」の項目が置かれたことが挙げられる。神経発達症には自閉症スペクトラム(ASD)、注意欠如多動症(ADHD)、限局性学習症(LD)、知的能力障害などが含まれる。このような変更は、幼少期の「特性」が、あらゆる精神疾患の発症に影響し得ることを暗に示している。また、神経発達症の診断基準にも大幅な変更が加えられ、以前の診断基準と比べると、「成人例」に関しても神経発達症の診断を容易に行えるようになったことも大きな変化である。このような事情が、近年の「発達障害ブーム」とも言える状況を引き起こしている背景にあり、「わかりにくい」児童の領域をさらに複雑怪奇なものとしている。

本来は精神疾患の予防、支援の充実を図るためにこれらの診断基準の変更が行われたのだが、精神医学に対する偏見が未だに残り、「こころの問題」と社会との接点に迷い続けている我が国では、精神医学の発展の恩恵が十分に得られていない。そのため、「子どものこころ」を取り扱う需要が急増しているにも関わらず、治療や支援までの明確な道筋が見えず、この領域を取り扱うことが非常に困難となっている。

身体医学における小児医学と同様に、児童は「小さな大人」ではなく、発達過程の途中にあり、質的に異なる個体と捉えなければならない。他の哺乳類と異なり、歩くことすらままならない状態で生まれる我々人間は、乳幼児期には環境による保護を必要とし、環境との相互作用の中で運動面・精神面の発達が進む。生来的な脆弱性と環境による影響のどちらが児童期の心理的発達により強い影響を与えるのかということは繰り返し議論され、器質因を重視した神経発達症を中心とした生物学的研究と、環境因・心因に注目した心理学的研究、両者の発展に繋がった。
また、児童に対する心理治療の必要性に関しては、海外では既に一定のエビデンスが得られているにも関わらず、本邦では未だに「寝る子を起こしてはならない」などという言説も耳にする。

このような「氏か育ちか」、「子どものこころの問題に介入するべきかどうか」という問題を通して、我々が子どもの臨床(アセスメントも含む)に、いかにして関わってゆけばよいのか、考えるところを記した。


氏か育ちか

「氏」(生来的特性・遺伝)の問題なのか、それとも「育ち」(環境要因)の問題なのか。この疑問は子どもの臨床を行う上で常に付き纏う。ASDは、現在では生来的特性として知られるようになったが、Bruno Bettelheimの「冷蔵庫マザー」概念に現れていたように、情緒的な交流を欠いた養育環境が自閉症の原因であるという説が多勢な時代もあった。このような言説によって多くの自閉症児の母親が言われのない非難を受けた歴史を、子どもの臨床にあたっては常に忘れてはならない。現代でもなお「愛着障害か発達障害か」といった議論において、「冷蔵庫マザー」のイメージが、再び亡霊のように、我々の脳裏に蘇るためである(ただし、彼の著作である『性の象徴的傷痕』を読むとBettelheimが治療の対象とし、興味関心を持っていた児童の”行動制御の問題”に対して、母性の問題には触れず、去勢にまつわる文化論的観点から情緒障害の問題を論じており、現代の自閉症概念と母性の問題を直接結びつけていたかどうかについては議論の余地がある)。

一方で、物事はそう単純ではなく、自閉症スペクトラムや注意欠如多動症を「器質論」のみで語ることもできない。両者は単一の遺伝子異常によって定義される疾患ではなく、複数の関連遺伝子のエピジェネティックな変化の組み合わせによって発症するという仮説が現代では通説であり、遺伝素因があったとしてもその後の環境による影響がそれらの発現に関わるとされているからである。

「氏」に関する視点を脇に置き、純粋に育ちの問題、つまり劣悪な養育環境が乳幼児期に及ぼす影響を主張したものが、Bowlbyの提唱した「アタッチメント(愛着)」理論である。近年でも米国で行われた疫学調査、ACE studyでは養育環境がメンタルヘルスのリスクに及ぼす影響の大きさを示している。これらの理論や調査に教えられるところは多いにあるが、他方で、自閉症スペクトラムのような発達上の特性を持つ子どもたちは虐待を受ける高いリスクを持つという事実には、これらはあまり触れていない。自閉症がスペクトラム論で語られるようになった背景には自閉症の特性が診断閾値から正常まで広汎に分布することが明らかとなったためであるが、このような特性自体が親子間の相互交流の障害となり得るため、養育者は困難を感じやすく、乳幼児期の虐待のリスクにつながることは念頭におかなければならない。また、虐待の有無と関係なく、ASDの子ども達に不安症や強迫症といった神経症の併存率が高いことはよく知られている。対人コミュニケーションという、社会との相互作用の入り口となる方法に障壁のある特性自体がメンタルヘルスのリスクであるという事実が、早期発見、早期療育といった支援の必要性を重視する考えにつながるのである。

このように、「氏」の観点から議論を進めたとしても「育ち」の問題を無視することはできず、「育ち」の視点だけでも「子どものこころの問題」を語り、支援のあり方を決めることはできない。従って、我々は「氏」も「育ち」も重視し、常に「複眼的」に子どもの状態をアセスメントする必要がある。これらはもちろん、薬物療法の選択のみならず、心理療法、環境調整などの介入を行うにおいても同様に大切な視点である。


こころの問題への早期介入の重要性

幼児期から成人期までの経過を追った大規模コホートによって、疾患の診断に至るレベルか否かに関わらず、その子供が何らかの精神的不調を抱えていた場合、その後の成人期のメンタルヘルスに影響を及ぼすことが示された。幼少期の「こころの問題」に対する早期介入の必要性が益々注目されている。このようなメンタルヘルスの視点がもたらされたのは、DSMが精神医学の分野にもたらした一つの功績とも言える(負の側面も当然あり、DSM-Ⅳの作成に携わったAllen Frances『〈正常〉を救えー精神医学を混乱させるDSM-5への警告ー』の中でメンタルヘルスの問題の過剰な医療化に対して警鐘を鳴らしている)。

DSMはフロイトが提唱した神経症概念を解体させ、不安症、強迫症といった各種疾患に細分化し、「個人史の中の症状」ではなく「生物学的な身体の引き起こす症状」と理解する視点を強めた。このような視点の変化は「こころの問題」と身体症状を切り離し、「こころ」の問題を「脳神経の疾患」に捉え直すことで、多くの生物学的研究や疫学調査の発展を進めた。不安や抑うつなどもあくまで脳神経の”誤作動”であると捉えることで”症状”を定量化し、”個人の問題”ではなく”生物としての普遍的な問題”としてメンタルヘルスの問題を考えていく素地を作っていった。
ただし、実臨床の中では、患者だけにあるいは患者の症状だけに注目するのではなく、家族とのつながりなどの各患者が営む個別の人間生活に介入することもまた重要である。これは児童の認知行動療法において、児童単独よりも家族を含む集団療法を行うことがより効果を高めるという結果からも裏付けられており、子どもの症状改善には家族という環境への対応は欠かすことができない。実際の臨床場面でも、「不安の強い親子」に対応する際には「保護者の不安」と「子どもの不安」を切り分け、それぞれの「不安の源」を辿っていくことで、両者の行動変容のきっかけや悪循環の仕組みが理解されることは多い。症状自体の意味は不問とし、身体的な反応の一つとして症状を捉えたとしても、家族内の力動を取り扱うことは今もなお、児童の治療上有用な方法の一つである

その一方で、いたずらに家族を責め立てるような姿勢は百害あって一利もないことも、併せて臨床家が肝に命じておく必要がある。このような対応は家族の傷つきを招き、治療や支援からの脱落、家庭での関係性の更なる悪化をもたらすこともある。治療者、あるいは支援機関が子どもと関われるのは、彼らの人生のごく短い時間であり、より多くの時間を共に過ごす家族が「子どもの味方」にならなければ、治療や支援を活かすことはできない。治療者には、家族はあくまでも治療の協力者であるという姿勢が必要である


終わりに

我々「こころの臨床家」はこのような歴史的経緯を踏まえ、様々な現場で出会う児童の生来的な特性と環境の要因の両者を十分に吟味した上で、メンタルヘルスの問題を抱えた子どもに対して何らかの援助を行っていく必要がある。

私は発達障害と不安症や強迫症といった旧来の神経症の両者を学べる稀有な環境の中にいた。通常の日本の臨床場面では、発達障害を中心に臨床を行っている環境では神経症概念が取り扱われることが少なく、神経症の治療をメインに取り扱う臨床家の下では発達障害という観点は持ち込まれないことが多い印象を持っている。

このような、臨床家の趣向や臨床の場によって症例への見方が分断される傾向は、先述した「発達障害」と「愛着理論」においても見られ、さらに観察すれば、あらゆる領域での分類に見出すことができる。児童精神医学領域ひいては精神医学全体ではこのようなカテゴリの分断を統合する流れにあり、一つの専門領域ではなく、いくつかの領域を行き来しながらその理解を深めることが要求されている子供だけの専門家ではなく、成人と児童を行き来し、複数の領域にまたがることで理解が深まる分野でもあることを改めて知っておいていただきたい。


参考文献

神尾陽子(2014)『神経発達症群, 食行動障害および摂食障害群, 排泄症群, 秩序破壊的・衝動制御・素行症群, 自殺関連 (DSM-5を読み解く─伝統的精神病理, DSM-IV, ICD-10をふまえた新時代の精神科診断)』, 中山出版.
加藤忠史ほか(2020)『精神医学の科学的基盤 (POWER MOOK 精神医学の基盤4)』,学樹書院.

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