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通信の文学部では、何をしていたのだろう

「通信で勉強している」と誰かに話した時、「通信制の大学って、どうやって勉強するの?」とよく訊ねられた。
 基本、家でこつこつだった。テキストを読んで、参考資料を図書館で探し、またそれらを読んでまとめ、レポートに書いて、出して、定期的に試験を受けにキャンパスに行く、だった。孤独といえば孤独で、でも孤独と向き合って黙々と勉強するのは割りと好きだった。通信学生に限らず、通学生だって、おそらく勉強する時に一人黙々と自分の課題に向き合っているはずで、きっと勉強するとはそもそもそういうものだろう。けれども、その年に勉強するテキストの選択から、いつ頃までに科目試験を受けるか、スクーリングでの科目、その年はどのくらいの単位取得を目指すか、などはマイペースで決められたし、自分の予定で計画を立てられた。通信の勉強というのは「自分のペースでできる」ことが最大の良さだった。

 毎日キャンパスに通うわけでもなく、他の学生に会うわけではないため、「他の学生は一体どうしているのだろう」とやっぱり気になった。だから、さまざまな通信大学生のブログを覗いてみたり、読んだりした。皆、個々の記録や発見したことが違っていてとても参考になった。慶應の通信大学生の日記では、勉学中の人たち、卒業してからその勉強過程を記録されている方もいた。

 初めて提出した文章のレポートは『文学』の4単位だった。「これは論文ではなく、エッセイです」とDで戻ってきた。先生との文通(当時はWEB提出などがなかった)が続いた。この文学は一年かかったレポートが合格した後、二年目の春に試験が合格して、晴れて4単位を取得。厳しいと感じていた文学のレポートの講評の中に、「このテーマは卒論になります」という言葉をいただいて、気持ちが明るくなる。この時の文学の先生には本当に感謝だった。通信で勉強する厳しさと嬉しさを同時に感じられた単位だった。

 で、一年かけてやっと取得できた単位は英語の三科目英語1、英語2、英語、各2単位で合計6単位。最初の一年は、英語のテキスト3冊と文学のテキストに取り組んでいる間に終わってしまっていた。この翌年から勉強過程を日記に記録してゆく気力が徐々に出ていた。

当時の日記が残っていた。


文学部の通信学生になっておもうこと。2005/6/16(木) 午前 11:39

 昨年の春(2004年)から学生を始めてゲットした(と思われる)単位はまだ6である。英語だけ。その他レポートはいまのところ、「文学」が合格して科目試験であるが、これ、もう試験の機会を二回見送った。というのも、テキストに「これだけは読みなさい」という参考文献が山のように紹介されていて、読んでいたら半年経ってしまいました。でも、おかげで論文というものがなんなのか、うっすらと解ってきたし、(美大という場所ではレポートはほとんど書かなかったので、現役学生のときは論文の大変さなんか知らなかった)、慶応通信の文学部に出会わなければ、たぶん、日本の古典などは全く読まず、バルザックやモーパッサンにもはまらないで、サンドにも出会わず、狭い読書をしていたかもしれないと思うと、それだけですごく感謝である。そのような「読みなさい」本の合間に、「読みたい」本もみつけるので、それを三度のご飯の合間のおやつ感覚で読んでいると、なかなか科目試験勉強にたどり着かない。とりあえず、慶応通信は十二年間は更新なしで学生ができる。学費もびっくりするほど高くないのがありがたい。下手にカルチャースクールにいって文学や英語するよりもずっと適正価格じゃないかと思う。

 しかし、それはさておき、受験が無いとはいえ、通信大学の勉強内容はけして易しくはない。おそらくどこの大学でもそうではなか。むしろ通学生より厳しいかもしれない。イタいときもある。『国文学』のレポートは、「大学生として恥ずかしくない文章を書きましょう」とアカで返ってきて、そうか、先生、先生はこれを読んで恥ずかしかったんですね? すみません」と思った。あ、恥ずかしいのは自分か。やっぱり今まできちんと勉強してなかったのである。残念だが、「読みなさい」本を読んでいる時間がないので、今回はサヨナラした。 でもレポートで合格点をもらうと嬉しいし、励みになる。英語もいつかやり直そうと思っていたのが、ここにきてしっかりやらなくちゃなんないことになった。科目試験のために教科書をまるまる翻訳してみると、ちょっとだけ翻訳家気分になったりして、翻訳の勉強なんかもしたくなったりする(そのときだけ)。ああ、いいわけを書いてないで勉強しなくちゃ…。


 という具合だった。つまり、国文学の単位は、さよならしたらしい。

 成績表が出てきたので確認してみたら、確かに国文学の欄は無かった。


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