見出し画像

夕方6時の景色。そして〝不時着ロス〟

もう少し先かな……と思っていたら、いきなりやってきた緊急事態宣言解除。人間とは順応する動物、もしくは易きに流れる(あくまで私の場合だが)ものなのか、すっかりのんびりムードに馴染みきっている。4分間腹筋を続けてみたり(腹筋があらわれる気配一切なし)、ゆるゆるっと近所を走り回ったりしていたが、あくまで気休め程度。かろうじてコロナ肥りは免れたものの(多少減ったが、また戻った)、BC(ビフォーコロナ※こんな風に略すのか)に比べると活動量は格段に減った。

山に行きたい、旅行に行きたい、外食したいなどと強く思う一方で、StayHome よろしく、夕方6時ぐらいから「夕飯にしようかね」と簡単なつまみやテイクアウトを広げ、ワインを開ける日々。ああ、この感じ、なんだか懐かしいな……。子どもの頃の夕方の風景だ。私は海辺の田舎町で商売をしている家で18年育った。日の出とともに一日が始まり、日の入りともに一日が終わる。町も、人も、それが当たり前として日々が続いていく。まだ明るいうちから「さぁ、ご飯にしよう」と食卓を囲み、大人たちは早々に晩酌を始め、遊び足りない私と弟は夕飯を慌ててかっこみ、走って30秒の海岸で魚やカニをとって遊んだ。特別感もない。お金も必要ない。あるのは、ゆるやかに流れる時間だけ。でも、こうして思い出すと、胸の奥があたたかくなる。幸せな気持ちになる。

正直なところ、最近(BC)のスピードというか、自らを取り巻く状態が怖かった。さらなる幸せを追求するべくパワーを増大させ、拡張させていく毎日……。そうすればするほど、肥大化する人間関係、やってもやっても終わらない仕事、走ることにのめり込んでいく自覚もあったし、なんというか「止まる方法」が見つからなかった。これは、乳がんが見つかる前にも感じていたことで、安易に重ねては不謹慎かもしれないけれど、今回のコロナによる「強制終了」はひとつのストッパーになったのはたしかだ。一呼吸おけた。たすかった。

とはいえ、懲りない私は元通り(BC)の暮らしに戻っていくんだろう。そうなる前に、忘れる前に、得たもの、なくしたもの、必要なもの、必要じゃないもの、やるべきこと、やらなくていいこと、大切なもの、そうじゃないもの、、、せめて記しておかなきゃな、と思う。よりよい、AC(アフターコロナ)をつくるのは私自身であり、それは世界のすべての人にいえることだから。気づきが新たな道を創り、望むべく未来へと繫がっていく……はず。だと、自戒の念を込めて。


***

私のwithコロナを豊かにしてくれたもの。

テレビといろいろ(youtube、Netflix、アマゾンプライム、Spotify…など多数のストリーミングアプリ)をつなぐアレ。いろんな方法があるけれど、早く買えばよかった。この流れで、Google Home(的なもの)を買ってしまいそうだ。

そして、流行にのって「沼」にどっぷりはまってしまった。ACの生活立て直し云々より「不時着ロス」が深刻だ。この流れで「梨泰院(イテウォン)クラス」に突入するべきか否か……いよいよ社会復帰がきびしくなるぞ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?