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もうしない、絶対に。

僕たちはいつの間にか大人になってしまった。
何でも欲しがるのは子どもじみている、
がまんできないのはかっこう悪い……とか
それっぽい言葉で心の叫びに蓋をして、
けっして冒険することなく、
日々粛々と、淡々と生きている。
誰に頼まれたわけでもないのに。

でも、僕はやめたんだ。

気が済むまでやってみたい……と思うこと、誰しも一つや二つ、いやそれ以上にあるんじゃないだろうか。先日、海辺を散歩している時にふと思い出した。「ああ、服のまま海に入ったのっていつだったっけ……」断っておくが、深刻な方ではない。学生か社会人になりたてか、とにかく若かった。仲間で集まって「あー、服のまま海に飛び込むとか、やってみたかったなー」などと話していたら、その中の一人が「それなら今できるやん!」と言うではないか。急遽、車を走らせ百道浜へ。そして、ためらうことなく「いっせーのーせー!」で海にダイブ! 全身ずぶ濡れ砂だらけでギャハハと笑い合いながら浜辺で水を掛け合いっこ、ああ、青春のワンシーンよ。世界に怖いものなんてない、もはや“無敵”な気分になれたっけ。服が空気を含んでぼわんぼわんと波に合わせてたゆたう感じ、真っ暗な海底に吸い込まれていく感じ、、、20数年の時を経て、その時の感覚が鮮明に蘇ってきた。

たいそう長い前ふりになった。気が済むまで書いてみた。そんなこんなで、気が済むまでやってみたい……食べてみたい……ということで、ちょいちょい一人チャレンジを続けている。コンビニおでんのコンニャクだけ10個、シナチクをどんぶり一杯、うずらの玉子2パック、直近では山菜そばを頼んだもののその量の少なさに愕然とし、業務用スーパーで2kg入りを購入。そばが見えないほど大盛りにしてやった。

ある休日、無性に茶碗蒸しが食べたくなった。「せっかくなら、たくさん食べたいよね」と思い大きめのお椀に入れたが、夫の分と合わせて2つのお椀が蒸し器に入らない。小さいお椀に移しなおそうと思ったが、いや、待てよ。どんぶり一杯のプリンよろしく(これは昔やった。固まらず失敗)、どんぶり一杯の茶碗蒸しもいいじゃないか。

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どーん、鍋幅いっぱい、30cmのどんぶり(平椀)茶碗蒸し、完成。

ざっと5〜6人前といったところか。玉子3個に出汁なんでカロリーもしれている。さぁ、食べるぞー!と思ったところで気がついた。これ、取り出せんやん……。端っこをつまんで持ち上げようとしたが、いかんせん内容量と器の重みで上がらない。気を抜くと火傷しそうだし……と考え込んでいると、野球中継を見終わった夫がふら〜っとやってきて、「つまむやつで持ち上げれば取り出せるんじゃないとー」と言い出した。つまむやつ……韓国土鍋をつまむ器具がある。でも、大きさ的にきびしいんじゃないか……と振り向いた瞬間、

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「あっっ……」

「ぎゃ゛ゃ゛ゃ゛ぁ゛ぁ゛っ゛っ゛!!!  
 これ、作家ものだよ!!! 
 気に入っているお皿なんだよ!!! 
 なんてことしてくれたんやぁーーーーーーっ!!!
 今すぐ、元に戻してよーーーーーーっ!!!
 窯元に買いに行ってきてよーーーーーーっ!!!」

体の力抜けて、膝から崩れ落ちた。言っておくが、私は普段お皿が割れたり、ものが壊れたことに対して怒らないようにしている。覆水盆に返らずではないが、そうなってしまったものはもう元には戻らない。どうにもならないことに対して怒るのはよそう。なにより時間の無駄だ……と長年思ってきた。が、目の前で起こってしまったため、理性がパーンとぶっ飛んでしまった。

何事もほどほどが一番。

二人とも黙りこくった暗い食卓でガラスが散っていない方を食べながら、そう思った。あのとき、小さなお椀に移しなおしていたら、そもそもこんなにたくさん食べる必要もないじゃないか……私はこうして大人になっていくのだな。もうしない、絶対に。

ちなみに、若き日の海ダイブで学んだことは「帰りが悲惨」。全身ずぶ濡れ&砂まみれのまま車に乗って帰らねばならない辛さったら。汚すぎてトランクに入れられて帰る切なさったら。ああ……天国から地獄。そして誓った。もうしない、絶対に。と。

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