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祝・発見の会『大正 てんやわんや』公演 伊郷俊行さんが語る「発見の会」とその周辺の出来事(1) 〜1960-70年代の話を中心に〜


 「発見の会」とは、明治末期を発祥とする「新劇」の劇団に属した瓜生良介氏らが、1960年代に立ち上げたアングラ劇団です。その会から発展して生まれた音楽集団「渋さ知らズ」の名前を聞けば、なるほどとうなずく人もいるかもしれません。
 60年代後半から、この劇団と楽団とともに過ごしてきた人がいます。池上線の洗足池駅近くで、たこ焼き屋を営む伊藤俊行さんです。
 本公演『大正てんやわんや』にも出演する伊郷さんが、さまざまな表現者と関わり過ごした東京で、どんな人と出会い何を見てきたのか、今とも重なるであろう、混沌とした時代状況の一片を探ります。

本インタビューは、大田区・洗足池にある伊郷さんのお店「たこ焼 笛吹」にて、「発見の会」や「渋さ知らズ」に関わってきた氏が見たこと、聞いたことを、2022年2月ごろから少しずつ伺いまとめたものです。


伊郷俊行さん。元・青線地帯だった大井新地にて撮影

                  

伊郷さん:洗足池に来る前は恵比寿でたこ焼き屋をやってたんですよ。その前は、ニュー新橋ビルの中にあった持ち帰りの個人の寿司屋に雇われました。そのあと、恵比寿で一番小さな寿司屋を任されて。町の寿司屋がどんどん潰れていくんで、そこももうね、先が見えたんですね。それでその寿司屋の主人が店をやめるっていうんで俺が買って、そこでたこ焼き屋を始めたんです。「笛吹寿司」という名前の店だったんだけど、看板の文字から「寿司」を消して「笛吹」にして始めました。恵比寿ガーデンプレイスができたころかな。


渋さ知らズ」(に初めて参加したの)は、あれはもう30年前かな、恵比寿で寿司屋をやっているころ。暇だったんで、不破大輔くんに誘われて関わるようになりました。


演劇関係のやつと知り合ったのはその前で、10代のころだったかな、新宿でうろうろしていたら知り合って。演劇関係っつってもその時代って今みたく、劇団、劇団っていう感じじゃなくて、演劇の中に音楽の演奏家もいて、ごちゃごちゃしてた。その10年後ぐらいに、10代のころの不破くんに会った。

その大もとは「発見の会」っていう劇団ですよ。俺がいたころは演劇って、今みたいなタレントさんの集まりじゃないですからね。俺みたいな素人も出たきゃ出られるっていう感じでした。当時、一番人気があったのは「状況劇場」の唐十郎さんと「天井桟敷」の寺山修司(1935-83)さん。全然それの対抗馬じゃないけど、同じ時代に「発見の会」があった。「発見の会」は、新劇から脱退した人たちが、1964年に作った集団なんですよ。でも、そのときは知りませんでした。

── 発見の会は、瓜生さんという方が主宰者なんですね。

瓜生良介(1935-2012)ですね、もう亡くなっちゃいましたけど。俺より20歳ぐらい上なのに、なんにもしないでよく生きていけるなと思って。そんな人たちが生きてんならそういうとこ行きたいなと思って(笑)。(出会ったのは)築地でバイトしてたころなんですけどね。

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