見出し画像

アラフォーの地方移住記録③ときおり訪れるフアンは経済的安定とは関係ないのかもしれない。


生きていると、何かしらと不安になることはありますね。具体的な不安から、もっと漠然とした不安まで。
人間は、未来をアレコレ予測してしまう生き物なので仕方ないのですが。

さて、フリーランスになったことで不安は増したのか?というお話しです。
結論からいいますと、特に変わっていない、といえます。

たぶん、将来に対する不安は、どんな状態にあっても抱いてしまうものなんじゃないでしょうか。さいきんは、人間の不安総量というのは、状況にかぎらず、あらかじめ決まっていて、その分は消費することになるのかな、なんて思ったり。

お金持ちで恵まれているようにみえる人でも、色々心配はあるみたいですからね。

フリーランスになって、何が変わったかというと、フアンの質は変わりました。
あ、具体的なフアン・心配でなくて、もやもやーんとした漠然とした「存在論的フアン」の話しです。

公務員だった時のモヤモヤ

わたしは、前は公務員的な仕事をしてまして、まず倒産はないし、クビになることもないという環境でした。
それでも、フアンはありました。
「このままでいいのだろうか・・・」という焦りです。

金銭的に困ることはなかったのですが、仕事が特別に楽しいということもなく、このまま一生、月金で働きつづけていいのだろうか・・・という閉塞感かなと思います。

一人で仕事する方が気楽にできる体質だということもあります。

あとは、お役所的仕事なので、やりがいもそれほどなく、無意味なタスクもあったりして、こうしたことに人生の時間を費やす意味は何だろう?と思ってしまったのです。

いたずらに年をとっていって、気付いたら定年なのかな・・・と。なんだか人生の可能性が閉じてしまったような感触がありました。それと、前回に書いたような、都会で「人々が切り離されている」感覚もありました。自分が属するコミュニティがないなかで、年をとっていくのは、なんだか味気ないなと思いました。独身なので特にそう感じていたかもしれません。

都会よりも田舎で暮らしたいな~という願望もありました。

でも、安定を手放すことも怖かったんですよね。

そこに、2011年の震災。
あれ「安定している」と思った日常が、実は「安定していなかった」。すくなくとも、これから「ずっと安定する保障はない」というのが、ひしひし感じられました。
職場が倒産しないとしても、明日なにが起こるかなんて、分からないんだなあと。

それまでは「安定」と「人生の可能性」をはかりにかけて、「安定」の方が重かったのですが、その「安定」の分銅が、とんでいってしまったような感触でした。

・・・次回に続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?