【短編】クレバス-1
白い壁と天井に囲まれたフロアに等間隔に並ぶ事務机。その上に同じメーカー・規格のパソコンが置かれ、服装規定に縛られた似たり寄ったりの見た目の男女が各々の仕事と向き合っている。
北条 奏(ほうじょう かなで)が所属する課のスローガンは「個を活かすチーム作り」。半年前に企画部から異動してきた課長の方針だ。
いちいちテーマのようなものを打ち上げて見せるのは、なんとも企画畑出身らしいなと思いつつ、見た目から無個性なこの職場でどうやったら個が活きるのだろうと、奏は不思議に思う。
「あ、金城さん。ネクタイ変えたんですか?」
「そうなんだよ。ちょっとした遊び心を入れてみようかなって」
「へー、個性的で素敵です」
奏の世辞を受け、粘土工作を褒められた幼稚園児のように胸を反らせる金城は、この課では常にトップの成績を修めるエースだ。
この男は、今日のように突然流行りのアニメをモチーフにしたネクタイをしてくるなど、何かと個性を演出しようとするきらいがある。
営業という職業柄、スーツに身を包んだ画一的な格好しか許されぬ中で、わざわざネクタイ一つに個性的でありたいという願望を込めて一体何になるのだろう。
デザイナーもビジネスで使え、それでもオリジナリティを主張できるギリギリのラインを腐心したであろうその柄は、このエクセル上でコピペを繰り返して創ったようなオフィスでは一際異質で、毒を持った虫や魚の警告色に近いものとして感じられた。
本心はどうあれこういう場合、奏は相手が望む言葉をかけることにしている。相手の機嫌がよくてこちらに損なことはないし、わざわざ本音を吐露して摩擦を生むメリットもないからだ。
「北条さんが褒めてくれたよー」
と周りに自慢する金城には、とっくに興味を失い、奏はオフィス奥のコピー機の前へと向かった。
ガチャリ ガチャリ ガチャリ
コピー機は一定のリズムで用紙を吐き出し続けており、先ほど印刷ボタンを押したタスクはまだ完了していないことを示していた。
「あ、ごめんね、北条さん。私、結構ページ数の多い資料印刷しちゃってて」
「あ、いえいえ。全然ですよ」
コピー機に一番近い席に座る須藤は、奏と同じ営業アシスタントで、今は中堅社員の三浦の案件をサポートしている。
新規獲得の案件に向けて鋭意準備中とのことで、まぁ、コピー機の占有時間が長くなるのも仕方ない、と奏は納得する。
「ところで、例の新人君。どうなの?」
「え?」
話のきっかけを得たとばかりに切り出した須藤に、奏は一瞬反応できなかった。
「ほら、加藤くんよ」
「あぁ」
「色々、ミスがヤバいって聞くけど」
「まぁ、入社して半年ですしね。でもいつも努力されててすごいなぁって思いますよ」
「ふーん、まぁ北条さんがアシストするなら、どんなポンコツでも大丈夫でしょうけど」
「いえいえ、私も加藤さんから勉強させていただいてます」
相手が望む回答をする、がデフォルトの奏だが例外がある。彼女はこういったゴシップネタには一切関わらない。
須藤は、仕事がおぼつかない新人を生贄に井戸端トークに華を咲かせたいのだと十分に理解できるが、そこに乗っかってしまえば、何かの拍子に本人の耳に入ることもあるかもしれないし、何よりその新人の営業アシスタントを任されている自分が、彼と仕事をする際に自分の中にバイアスがかかる。
波風なく平穏に仕事をしていたい奏にとって、プラスなことはひとつもないのだ。言われた相手が可哀想だとか、陰口に対して”許せない”と思うような体温のある意志ではなく、あくまでも自分のためを考えた結果、形成された極めて平熱の主義だ。
できることなら、コピー機になりたい。
黙々と書類を吐き出す機械を前に、胸の中で独り言をこぼす。誰かが作ったデータを元に、それを正確に紙の上に再現して見せる。指示を待っていればよく、気配りなんてものも必要ない。
人付き合いは苦手じゃなくてもエネルギーを使う、それも膨大に。
そのエネルギーの消費を極力抑えたいと願う自分の主義の究極系は、実はこの四角い腰丈ほどの機械なのではないかと思えてきた。
ピーーーッ
印刷完了を知らせる音が鳴る。
ほら、こっちが考え事をしていてもお構いなしに、自分の状況を主張するマイペースさ。
無神経で、それでいて誰からも嫌な感情を持たれない。……羨ましい。冗談半分、半分本気で、出てきた書類をひとまとめにして踵を返す。
厚みのある印刷物の束の、最後に出てきたほんの数枚を選び取ると、後は須藤のデスクに
「置いておきますね」
と一声添えて乗せておいた。
内線で別の部署の誰かと業務のやりとりをしていた彼女は、オーバーに熱のこもったジェスチャーと共に
「あ り が と う」
とこちらに感謝を示す。
デスクに戻った奏は、先ほど印刷したチェックリスト(これは新人の加藤のためにまとめた)を、法務から回覧を終えて戻ってきた契約書と合わせ、一つの準備物としてまとめていく。
長年付き合いのある顧客で、契約といっても既存の延長なので、大した難易度のものではないが、それでも彼にとっては最初の契約だ。
互いの署名と押印が必要な箇所へ抜け漏れの無いよう付箋を貼っていく。そして、各フェーズにおける事務処理手続きの一覧表。
早く着いた場合に、予定時間より早く特攻してしまったりしないよう周辺の喫茶店の情報も印刷して挟んでおく。
あとは、交通費立替精算の手順も彼は毎回忘れるので、今回文書に起こして同封することにした。
準備が整い、各々の書類をクリアファイルに詰め終わったところで、測ったように会議室のドアが開く。中から課長との打ち合わせを終えた加藤が、冬だというのに額に汗を滲ませながら出てきた。
「加藤さん、明後日の打ち合わせの資料、まとめておきました」
「あぁ、ありがとう……ございます」
新人にとって上司との面談は神経を削られるものなのだろう。まだ落ち着かない様子だったが、努めて平静を装い加藤は返事をする。
若いといっても責任の重さは、彼の方が上だ。実態がそうであることには違いないが、彼はそれを意識しすぎているきらいがあり、営業アシスタントとはいえ、自分よりだいぶベテランである奏に対し、アシストされる側の威厳を保とうとでもしているのか、いくらか会話がギクシャクする時がある。
「……これが、この書類です。これは、加藤さんくらいしっかりされてる方なら、早めに着いてることもあるかなぁ、と思ったので近くの喫茶店で時間を潰せそうなお店をいくつかピックアップしておきました」
「助かります、ありがとうございます」
なので、奏はあくまでも相手がデキる人間だという扱いをするようにしている。所々で立ててやらないと、いじけたり、やる気を失ったり、強がりや言い訳をしたりと、老いも若きも男という生き物は何かと面倒だ。
「初めてお一人での訪問ですけど、加藤さんなら余裕ですよね」
「いやぁ、緊張しっぱなしですけど、なんとか頑張れそうです」
「何か不備や足りないものがあれば、おっしゃってください」
「はい、ありがとうございます」
そうは言いつつ、抜けのないよう準備をした自負があるし、実務経験の浅い加藤では何が足りないかを判断する余裕などないことも分かっている。
あくまで、相手を立てるためのリップサービスの一環だ。
「あの、北条さん……」
「はい?」
「もし、うまくいったらお礼も兼ねて飲みに行きませんか?」
「わぁ、嬉しい。ぜひ成功させて、美味しいとこ連れていってください」
満面の笑顔で応えるも、実際に誘われたなら奏は全く同じ笑顔で、何かしらの理由をつけてかわすのだ。
奏は今年35になるが、歳を重ねるにつれ衰えるどころか、増すばかりの色香に絆された加藤を残し
「それじゃあ、定時になりましたのでお先に失礼します」
テキパキと荷物をまとめ、オフィスを出て行った。
〜続〜
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