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【短編】クレバス-2

 大通りに面したオフィスビルの玄関を出ると、夕暮れの中を行き交う人々のスマホの光が蛍みたくチラチラと浮いている。

 人のうねりが途切れるタイミングを見計らい、奏は流れに溶け込んだ。三つ目の角を曲がって大通りを逸れたタイミングでスマホを取り出すと、ジャストタイミングで小さく震えた。

”先入ってるね”

”そうして! もうすぐ着くから”

 すばやく返信して、スマホをしまう。

 そこから300mほど進んだところで、一階はコンビニになっている建物の屋外階段を登ると、木の根元を輪切りにして切り出したであろう、分厚い木に「Alla moda」と焼き印で店名を刻印した看板が見えてくる。

 白い木造りのドアに手をかけると

 コロン コロン

 とカウベルが鳴り、店内に来客があることを告げた。

「いらっしゃいませ」

 すかさず品の良さそうなウェイターが声をかけてくれたが、店の奥から奏に向かって静かに手を振る女性の存在を認め、彼は静かにそのテーブルへの案内に対応を切り替える。

「ごめん、お待たせ」

「ううん、奏は時間通りじゃん。私がちょっと早く着いちゃったんだよ」

「いやいや、タイミングばっちりでビックリした」

「そ、よかった」

 会話を邪魔しない絶妙なタイミングで差し入れられるメニュー表を、一応開くのだが

「ワインのオススメはなんですか?」

「……じゃあ、それをお願いします」

「私も」

 と、お決まりの注文をし、グラスを合わせた。

 律子と会うのは半年ぶりになる。前もこのお店でオススメのワインで乾杯した。同じ県内ということもあり、会おうと思えばいつでも会えるのだが、家庭のある律子をそうそう食事に誘うのも、無作法な気がして控えている。

「気が向いた時に声かけてよ。私、基本合わせるから」

 というルールを敷いて、律子から連絡があった時に、このレストランで会うのが恒例行事となっていた。

「忙しいのに、ありがとう」

 律子の感謝の言葉に

「ううん、声かけてくれてありがとう」

 と感謝し合う。

 お互い、一回の食事で一万以上が飛んでいくようなお店で頻繁に出入りするような身分でもなく、かといって、たまにこういう贅沢もしないと、家庭に仕事に疲れてしまう。このありがとうは、互いの紛れもない本心だった。

「そうだ、忘れないうちに……健人くん、今年から小学校だよね? これ、何かと物入りだろうから」

「え? いいの、ありがとう!!」

 奏が差し出した商品券の包みを、律子は恐縮しながら受け取り、

「この間、制服の採寸行ってきてさ〜」「本当大きくなるのって、あっという間だな〜」と嬉しそうにスマホの写真を見せてくれた。

 前回会った時より、律子は少しふっくらしたみたいだけど、それは元々キリッとして冷たくも見える地顔に柔和な印象をプラスし、目線が、表情が、彼女はお母さんなんだなぁ、と感じさせる。

「二十年ってあっという間だねぇ」

 それは律子と会うと、いつも口にするお決まりの言葉だ。

 高校で同じクラスになって以来、ずっと友情が続いていることを忘れないための合言葉になっている。

「まぁ、お互いの恋愛遍歴も全部知ってるもんねぇ」

 含んだような笑いと共に律子は言った。

「なんか、初めて彼氏ができたのも似たような時期だったよね。私たち」

「そうそう、同じ時期に似たような悩みを抱えてたから、恋愛相談もしやすかったよね」

 律子の言葉が、小さじですくったように僅かに胸を抉った。

 お互い開けっ広げになんでも話す仲だったけど、あの時、恋愛の話題に関しては、奏は嘘を言っていた部分がある。

 何の偶然か、初めての恋人が同じような時期にできた私たちは、それから別れと、別の人との恋愛を経て、また同じような時期に初体験をした。

 その行いは、私たちにとって真逆の価値を持ち、大人に近づき、彼との距離が縮まったと話す律子に対し、私は不躾な絵筆で自分が内側から塗り替えられてしまったような喪失感と不快感を感じた。

 その正直な感想を吐露することが、律子を否定することにつながりそうで、私は自分の感情を飲み込み、彼女に合わせて話をしていたことを思い出す。

 高校を卒業して、別々の大学に進んだ後も、二人の交流は続いていて、帰省の際はお互いの近況を話し合ったり、それぞれの進学先に遊びに行ったりすることもあった。

 自分たちでいうのもなんだけど、私たちはよくモテた。どちらも恋人がいない時期があまりなかったように思える。

 周りから見た状況は同じでも、内に抱える感情は違った。

 恋を噛み締めて、味わい、女性としてステップアップしていく律子に対して、私は恋愛の果てにつきまとうあの行為を、割り切って行かないといけない、という使命感に駆られリハビリを繰り返すような恋愛をしていたと思う。

 傍目には似ていながら、中身は対極の二人が就職を前にして行き着いた結論は意外にも同じだった。

”結婚はしたくない”

 律子は、総合職で内定が決まった商社での仕事に燃えており、海外ビジネスに注力したいという野望を持って社会へ羽ばたいていった。子どもができればキャリアを中断せざるを得ず、そのロスを考えると子どもは持たなくていいんじゃないかと思う、とのことだった。

 恋愛を楽しみ尽くした果てに、自分の理想を追いたいと決意する律子に対して、私は”結婚”によってどうしようもなく自分が変わってしまうことが嫌で、それを避けていた。

 転機があったのは二十八歳の時。海外駐在で、しばらく日本を離れていた律子は四年ぶりに日本に帰ってくるや否や、出会って三ヶ月の男性と結婚を決めたのだ。

 そして、私は同じような時期に、大学終わりから付き合った彼氏にプロポーズをされた。

 私にしては一番長く続いた彼だったが、それは彼が私に多くを求めず、お互いにあまり干渉しないことが理由だった。行為も……まぁ、マッサージみたいなものだ、となんとか割り切ることができた相手だった。

 彼でダメなら、私はいよいよ結婚は無理だろうと思える人だったけど、いざプロポーズを受けた時、嬉しさや感動よりも、その先にある妻としての母親としての変化に恐怖を感じて、私はそれを拒絶した。

「奏は相変わらず、細くて綺麗でうらやましぃ……」

 すっかり酔いの回った律子は、子どもを産んでから下腹部の広がりが戻らないんだよと忌々しそうにお腹を撫でる。

「でも、一般のお母さんに比べたら十分細いじゃない」

「未だモデル体型の奏に言われても慰めになりません〜」

 唇をとんがらせつつも、律子は総じてしあわせそうな空気を崩さない。仕事を辞めて家庭に入ったことは、彼女にとって正解だったのだ。

「アラフォーって言っても、奏モテるでしょ」

「あはは、そんなことないってば……」

 と否定しながらも、三十を超えてから、それまで以上に奏に言い寄ってくる男性は増えた。二十台後半から四十台まで、主に年齢の幅が広がってきたように思う。

 それは、奏の代で終わりを告げることを運命づけられた遺伝子が、奏の意思に反し最後の抵抗を試み、異性を惹きつけ、なんとか子孫を残させようとしているかのような不気味な感覚だった。

(私には、今が正解なんだ)

 自分の中の、訳のわからない何かに言い聞かせるように奏は反芻する。

「今日はありがとうね。また誘うね」

「こっちこそありがとう、いつでも連絡待ってるから」

 向かう方向が逆なので、店先で別れの挨拶を交わし、奏は遠ざかっていく律子の後ろ姿を見ていた。

 疑問なく繰り返していた恒例行事でも、なぜそれをしていたのか、不意に意味が降りてくる時がある。

 今日、未だに私たちが定期的に会う理由がなんとなく腑に落ちた。

 あのまま独身でいたら、あの時プロポーズを受け入れていたら、

 私たちは、きっとお互いが選ばなかった未来の答え合わせをしているのだ。

 そして私たちは、お互いに会うことで自分の選択の正しさを自分に証明している。

 店外の冷えた空気が、酔いで熱った頬を撫でる。

 コートのボタンをもう一つ上まで止め、奏は律子と逆方向へと歩いて行った。

〜続〜

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