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【短編】クレバス-4

  オフィスビルの裏手側、駐輪場へと抜けるドアを開け、奏は自転車のロックを外す。スポーツタイプの自転車はデリケートなので雨の日は電車になるが、それ以外は自転車で通勤している。

 パンツスーツの股を破かないよう控えめにサドルに跨りペダルを漕ぐと、フッと軽い手応え(?)からは想像もできないほど力強く車体が前進する。

 冬の空気が前方から全身を迎え包み込んでくるが、少し暑いくらいに暖房が効いていたオフィスからの落差で熱っていた頬が冷まされていくのが心地よい。

 奏のアパートとは逆方向へ漕ぎ続けること二十分ほど、コートの内側で体が少し汗ばむのを感じながら、自転車のスタンドを下ろす。

 「●●ストア」と書かれた看板の下の自動ドアを潜ると、正面に特売の野菜、右手にパンのコーナー、左手側には、お米や調味料・お菓子といったカテゴリ分けされた陳列棚が連なっている。

 キャベツを持ち比べて重さを確認している主婦、出来合いの惣菜を眺めている若いサラリーマンに、買い物についてきたのだろう店内を縦横無尽に鬼ごっこしている小さな兄弟。

 陳列されている商品と同じくらいバリエーションに富んだ客の間を縫いながら、目当ての棚に近づいては品物をカゴに放り込んでいく。

 じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、肉は

「……牛にしよ、ちょっと高いけど」

 心の中で呟いたつもりが、声が外に漏れていたみたいだ。興味深そうに見つめてくる小さな女の子の視線に赤面しつつ、他にいくつか適当な冷凍食品をカゴに放り込みレジへと進む。

 ハンドルの両サイドに引っ掛けることを想定し、レジ袋は二つに分けてもらった。

 この状態で自転車に乗るのは流石にフラついてキビしいので、手で押して残りの道のりを進んでいく。

 そうしてしばらく進むと ”北条” と表札のかかった一軒家が見えてくる。一人暮らしのアパートと同県内、自転車で通える距離にある実家。ただ、あまりに近いと「いつでも帰れる」という思いから、かえって帰省の必要を感じなくなるのか、思い起こせば一年近く帰っていなかった。

 キーホルダーにかけてある鍵を取り出し、玄関のシリンダーを回す。

「ただいま〜、来たよ〜」

 声をかけると、奥からバタバタと出迎えてくれようとする気配がする。

「いいって、お母さん。松葉杖でしょ?」

 リビングから玄関に向かってこようとしているであろう母に、声をかけてそれを制すると家の奥に進んだ。

「仕事帰りに悪いわねぇ」

「気にしないで。大抵、定時で上がれるのがいいところなの」

 さっきまで立ち上がろうとしていたのを止めたせいだろう。胸に松葉杖を抱えた母は恐縮するように、杖を抱えた両腕にギュウと力を込めたまま礼を言った。

「うわ、これまた派手にやったねぇ」

「そうなのよ。骨折なんて人生で初めてだから、ビックリしちゃって」

「こっちもビックリだよ。けど、思ったより元気そうでよかった」

「まぁ、一週間も経つと松葉杖も慣れるものね。それに骨以外は健康だから」

「それもそうね。わざわざ来る必要なかったかな?」

「何言ってるのよ、この親不孝娘」

 お互い小さくアハハと笑い、買ってきたものを一部冷凍庫にしまい、あとはすぐ使うので台所のテーブルの上に拡げていく。

「手伝おうか?」

 と声を掛けてくる母を

「それじゃあ、お見舞いに来た意味ないじゃん」

「案外動けるもんよ?」

「楽できる時は、楽してください」

 とリビングに押し込めようとしたが、制した手をすり抜けるようにダイニングの椅子に腰を下ろしたので、それでいいかと料理を始めた。

「あ、カレー。いいわね、私大好き」

「簡単で申し訳ないんだけど、これなら何日間か、食べられるからね」

「飽きない味だものね。二日目のカレーはより美味しく、三日目はカレーうどんや、カレー雑炊にしてもなおよし」

「母の教え その1、ね。あ、お父さんは?」

「ちょっと残業で、八時くらいになりそうだって」

「なら、ちょうど出来上がるくらいの時間かな」

「そうね。待たなくていいって言ってたから、出来上がったら先に食べちゃいましょ」

 具材を切り終わって鍋に入れ終わり、しばらく煮えるのを待つ段階になったので奏も母と向かい合ってテーブルについた。

 ふわふわと動きやすそうなスウェットパンツの裾から除く痛々しいギプスに目をやると”まいったなぁ”と照れくさそうに母は顔を伏せる。

「ただの骨折……なんだけど、一日様子を見ましょうってことで、入院したのよ、私」

「お父さんから聞いたよ」

「……頭が変になったと思わないでね。なんだか病院で一晩過ごすとね、あぁ死ぬ時ってこんな感じなのかなぁ、なんて思うわけ」

「気が早くない?」

「なんか、ほら、普段意識しないことが突然リアルに感じられるのよ。それでさ、なんかフと……思っちゃったのよ」

「うん?」

「深い意味はないんだけど……私たちがいなくなった後、奏は独りぼっちになっちゃうのかなぁって」

「お母さん、私……友達くらいはいるよ?」

「そうね……そうよね!」

 私、どうかしてたわ! と、とにかく明るく振る舞おうとする母の言葉に内心ゲンナリした。

 奏が件の彼氏と付き合っていた頃は「孫ができたらおばあちゃんになっちゃうわぁ」と未来を空想し、別れたと知った時はお見合いを勧めてきたりと、何かと娘の将来を案じ、とにかく異性とくっつけようと画策していた時期もあったけれど、ここ数年で奏の想いをやっと理解してくれたのか、それとも諦めたのか、そういうことは言わなくなった。

 ようやく解放されたと思っていたら、今度はそういった形で独りであることをなじられるのか。母の心配に他意はないだろうし、純粋に娘を心配するからこそ出た言葉だったが、奏にとってバターナイフを突き刺されるような、切れ味の悪い、鈍い痛みのある言葉だった。

 私は、ただ変わらずにいたいだけなのに。

 ただ、そんな心情を吐露したところで母親の心を傷つけるだけだ。今日はあくまでお見舞いなのだから。

 複雑な感情は表情に出すことなく綺麗に飲み下し、柔らかい笑顔を作って

「私は、大丈夫だから」

 と言うに留めた。

「ただいま」

 八時より少し早く父が帰ってきたところで、ちょうどカレーが出来上がる。

 久方ぶりに親子三人で食卓を囲み、他愛もない会話、明るい時間が流れていく。

 うん、家族っていいなって思う。でも私にとって家族はこの人達だけでいい。生まれた時から当たり前にいてくれて、今もこうして家族でいるこの人達だけで。

 何も変わらない…………いや、それは嘘。

 父は前よりも頭が薄くなったように思うし、母は頬から顎にかけてのたるみが増えた。

 なぜ年月は、否応なしに変化を強要するのだろう。

 母が視た病院での終末も、いずれ年月がそれを目の前に運んできて、受け取りサインもしないのに勝手に置いていくのかもしれない。

 

 洗い物まで済ませると「明日も仕事だから」と帰り支度を始める奏を、リビングで大丈夫だからと言ってるのに、両親が玄関で見送ってくれる。

 早く去らないと、両親をいつまでも寒空の下に晒すことになる。

 と、急ぎ目に自転車を漕ぎ出しながら

 もし、自分が二度とこの場所に来なければ、両親はあそこから歳を取らず、ずっとここにいるんじゃないか、とありもしない空想をしてみる。

 そんなことあるわけない、と自分を鼻で笑ってみたが奏の本心が望んでいるのは間違いなくそういう世界だった。

 嗚呼、どうして万物は変化していくのだろう。

 空を仰ぎながら自転車を漕いでいて、気を緩めてしまった。

 細い脇道から、少しだけ広い路地に合流するところで、左右確認をせずに飛び出してしまう。

 視界の先にハイビームのヘッドライトがふたつ迫ってきているのを認識し

 ”しまった!” と後悔するのとほぼ同時

 ドンという衝撃が加わり、奏の意識はそこで途切れた。


〜続〜

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