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【短編】クレバス-3

 奏はフロア奥の会議室で課長と向かい合わせで座った。収容人数は十人程度の部屋なので、二人だけだとガランと余白から音が聞こえてきそうな程広い。

 契約更新の時期はもう少し先なので、一対一で呼び出しがあると何事かと若干緊張してしまう。

 時々おでこをかき上げて横に流し、手櫛に引っかかった髪を弄びながら、奏は課長の第一声を待っていた。

「そんなに身構えなくて大丈夫」

「そうは言っても、一対一だと緊張しますよ〜。何か悪いことしちゃいました?」

「いや、逆だよ」

「あ〜……よかった〜」

「北条さんの働きに皆が助けられてる。とても、ありがたく思ってる」

「お役に立てているなら、何よりです」

 少し照れを滲ませたような……本心とは裏腹の笑顔で、奏は返答する。

 出過ぎず、足を引っ張らず、主張せず、存在感を失くさず、をセルフテーマにしている奏にとって、この評価を得ることは想定内だ。

 前任の課長からも同じ評価を得ていたし、いちいちフィードバックしてもらわなくたって業務のクオリティは維持するから、こんな煩わしい面談なんて抜きにしてほしい、と毎度思う。今回の話も大体先が読めてきてしまい、一人心の中でため息をこぼす。

「今回面談を組んだのは、意思確認のためだ。……社員になる気はない?」

「うーん、私なんかがなっても、足を引っ張ってしまうと思います」

「そんなことはない、北条さんなら営業担当になっても、素晴らしい結果を残してくれると俺は信じてる」

「いえ……、プレッシャーに耐えられそうもありませんので」

 ”なる気がないんだ” と察してくれ、と祈るような気持ちで消極的な回答を繰り返す。

 奏は、心に波風の立たない人生を送っていたい。案件のプレッシャーが双肩にのし掛かる主担当などは真っ平ごめんだった。

「誰だって最初は不慣れで苦労もするだろうけど、俺もサポートするし社員として、この課に力を貸してくれないだろうか」

 上司というのは不遇で迷惑な生き物だと奏は思う。目下とは言え、他者の心という変えられるはずのないものに、自分の野望や熱意をブツけていかなければならないのだ。

 前任の課長は、それ以上シャットアウトされ続けるプレッシャーに耐えたくなかったのだろう、消極的に”自信がない”と繰り返すことで「またその気になったら教えてください」と話を打ち切った。

 今回は……興味を示せば、そのままフォローして一人前に育てていく自信があるのだろう。もしくは課の成績をなんとしても押し上げて、更なる出世を成し遂げたいという野望でも胸に秘めているのだろうか。

 いずれにせよこのオファーの動機は突き詰めれば自分本位に過ぎない。ただ、こういう出世が本懐といったタイプの人は、押しが強く、何より性質が悪いのはステップアップが万人にとっての幸せだ、と盲信していることだ。奏とは根本の考えが違う。

「個を活かすチーム作り、が課長の掲げられたチームスローガンでしたよね?」

「その通りだよ」

 わかってくれたのか、とでもいうような若干の期待の色が課長の目に浮かぶ。

「私の個性は、皆さんのアシストをすることで最大限に活きると思っています」

「でも、それじゃあ勿体ないと思わない? 北条さんほど優秀なら……」

「営業アシスタントは、勿体ない仕事ですか?」

「そういうわけじゃ……ただ、いつまでもそのままのポジションってわけにはいかないだろう。結婚の予定があるとか、そういうことならまだしも……」

「あら、それってどういう意味ですか?」

 (言質を取った)

 奏は満面の笑みで問い返す。

「あ、いや、深い意味は……」

「そうですか。とにかく今は、昇格してやっていける自信がありません」

 笑顔を崩さず、なるべく柔らかく繰り返す。

「……わかった。また、気が変わることがあれば話をさせてくれ」

「わかりました」

 組織の新陳代謝によって上司が入れ替わる度に、似たり寄ったりのやりとりを繰り返す。新たな誰かとは距離を縮めることでなく、適度な距離感を離すことにいつも苦労する。

 上を目指さないかという誘いが煩わしいのであれば、いっそ仕事ができない人間を演じればいいのかも知れないけれど、デキない人と扱われるのを許すほど器用なプライドの持ち主でもない。

 自尊心もまた、上がったり下がったりしてほしくない。そのためには仕事がデキる自分でいなければならない。

 そんなわけで、数年に一度は新たに距離を作るためのやりとりが必須となるわけだが、それはそれで仕方ないかと小さくため息をつきながら奏は思った。

 奏とそれ以外の人。それぞれが立つ大地の間をバリバリと裂け目で隔て、変わらぬ平穏を維持することで、彼女の現在が成り立っている。地殻変動で裂け目が埋まれば、また裂け目を作って距離を取るのだ。

 願わくばその裂け目の中に堕ち、氷漬けになって変わらぬ時間の中を生きていたい。その想いとは裏腹に、前に進め、変わってゆけ、進化せよ、という圧力に世界は満ちている。

 現状維持は向上心がない、なんて捉えられ方をするかも知れないが、なかなかどうして、変わらずにいるというのもエネルギーが要る。


 デスクに戻ると、金城と話をしていた加藤がこちらにやってきた。

「あの、先方との契約、おかげさまで無事に行きました」

「やったぁ、さすが加藤さんです」

 大袈裟に顔の前で両手を合わせ、喜びを表現してみせる。

「細かくサポートしてくれた北条さんのおかげですよ」

「そんなそんな、加藤さんの実力ですってば」

 ポンッとエアーで肩を叩く仕草を見せつつ、話の合間合間に荷物をまとめていく。

 まだ何か言いたそうな加藤を残し

「それじゃあ、本日もお疲れ様でした」

 奏は、さっさとオフィスを後にした。


〜続〜

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