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広島高等裁判所の性別変更判断について
性違和を持つ者としてありのまま〝インサイド•トランスジェンダー〟を綴ります。
2024年7月10日、広島高等裁判所(倉地真寿美裁判長)が手術を受けずに戸籍上の性別を男性から女性に変更することを認める決定をしました。報道をまとめると、決定は次の2点に集約されます。
1、外観要件は「比較的幅がある」
2、手術を迫ることは「違憲の疑い」
1点目の外観要件。「必ずしも他の性別に係る外性器に近似するものそのものが備わっていない限り満たされないというものではなく」「近しい外見を有していることでも足りる」という指摘がありました。近しい外観とは何でしょうか。
私自身、性違和診断を得たのち、ホルモン療法を開始して2年数ヶ月が経過し、「陰茎の縮小」「勃起や射精機能の低下」があります。女性への性欲は消滅しました。公衆浴場にも温泉も無理です。自分の体を見せることに抵抗があります。のぞこうなんてまさか。「女らしさは羨望」です。
また訴えをした当事者が「ホルモン治療で女性的な体になっている」と指摘もありましたが、「相貌の女性化」「胸腺の発達」「女性らしい体つき」を指しています。私も嬉しいことにその流れにあります。こうした点を挙げて裁判長は「手術なしでも外観の要件は満たされる」としたのです。
2点目は「手術が常に必要ならば、当事者に対して手術を受けるか、性別変更を断念するかの二者択一を迫る過剰な制約を課すことになり、憲法違反の疑いがあると言わざるをえない」という指摘がありました。
第一に性転換手術のリスクは高い。とりわけ国内では手術症例が少なく、失敗も合併症が起きる可能性も高い。第二に費用の問題です。事実上自由診療の手術で、タイでも国内でもざっと200万円ほどでしょう。トランスジェンダーになって仕事を増やせる人はひとにぎりです。大半は私のように干されて貧乏になりますから、費用の面からも難しいのです。アーメン。
でもほんとうはなんでもしたい。多少の苦痛やリスクはのみこんで女性に近づけるものなら、したいのです。本当の(という意味はむずかしいですが)トランスジェンダーなら不届なことは考えないし、絶対にしない。悪いことはしないのがトランスジェンダーです。
2004年制定の性同一性障害特例法では、「生殖腺•生殖機能がないこと」「変更後の性別に似た外観」であることが要件ですが、今回の判断はこれを否定したことになりますので、今後は特例法の扱いも焦点になります。
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法律は人の心には踏み込めませんから、ある人がなぜトランスジェンダーになろうとするのか、わからないままに(示さないままに)裁判上の判断をします。なぜなろうとするのか?性違和感とは何なのか?ずいぶん書き散らしてきたのでいずれ整理をしますが、今回はひとつ、私の思いを書いておきます。
自分の不浄感から逃れたいのです。
汚れとは孤独感であったり、醜い人間関係であったり、後ろ向きの心であったり、つまり生きづらさです。さまざまな汚れから自由になり、不浄な自分を浄めたいのです。
よくトランスジェンダーは「自分らしくなる」と言います。しかし私のトランスジェンダーは違う。むしろ「自分を殺したい」のです。「自分らしさという仮面」を脱いで、削いで、剥いで、自分なんてなくなっちまえ。こういう気持ちです。なくなったらきれいに生き直したい。きれいとは美しい女ーそれが私にとってのトランスジェンダーです。
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