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『関西弁で読む遠野物語』その5|災害のあと、これからの話

ーー東日本大震災は地震も大きかったですけど、原発事故っていうのも新しい体験でしたよね。
 
原発って発生地帯は、はっきりしてるじゃないですか。放射能も目に見えへんけど、コロナと違って、どこからきてるっていうのは。安全だ安全だっていうことに対しては、安全じゃないって僕は思ってるし、危険だ危険だっていうのも言い過ぎやっていうくらいのバランスで割と多くの人が平均してる。
福島の問題については、民俗学者ってそういうこと言わないと思われてるかもしれへんけど、帰宅困難地域になってるところに戻る必要はないと思う。かつては、災害が起こって、ここはどうしても復興できない、この地域で生産を続けていけないということになると地域ごと他所へ行く。被災地を亡所(ぼうしょ)にすることもあった。
ニュースなんかでも「故郷に帰りたい」とか、ある種の美談にするような言い方があるけど、日本人は、実は移動する民族だった。先祖伝来の土地に執着したいっていう気持ちもあるけれども、一方で、日本人って、すごく移民してきた。国内移民もそうだし満州にも行ったし、自分の故郷で立ち行かなくなると他所へ行って、元、いてた同じ地名をそこにつけて、なんとか山とか、似ても似つかなくてもそういうことにして住んで。神様も、そこら中にいっぱい分祀してる。神様は持ち運べるんです。結構、平気で合理化して割り切って移民するってことを散々やってきてる。それも実を言うと民俗的合理性だった。
 
ーーこの辺りのお祭りにも「神移し」ってしますもんね。本殿の神様を御神輿に載せてっていう手順があります。
 
そう。日本の祭りのなかには、過去の経験っていうのも次第に組み込んで継承していく、儀式の中に組み込むってことをやってるわけです。それもある種の民俗的合理性っていうか、日本人がもともと持ってる宗教観というか全部そうなんだけど、福島の、あの土地の人たちには、新しい双葉とか新しい大熊を、ちゃんと与えればいい。国はまた、大したことがないように思わせて、報道とかも、そこにある故郷っていうもんが、懐かしいもんだみたいなことを言って帰らそうとする。民俗学者だったら、そんな感傷的なことを言うと思われるけど、そうやない。ちゃんと、その場所に行くという理由も納得して、みんなで行こうと。近代以降もやってた。昔の人はね、結構、合理的なんですよ。地名ごと神様ごと抱えていって神社と一緒に新しく始めたらいい。
 
ーーそういう過去の事例から、これからのことを考える。
 
あのね、民俗学ってね、柳田国男は昭和天皇にも講話してる。「富士と筑波」っていう常陸国風土記って話をする。改元の時に日本の古典から選ぶみたいな話があったけど、そういうのじゃなくて、天皇に一地方の風土記の話を柳田はするんです。それはね、親神様が旅をして富士山に行った。すると富士山は「今日は新嘗祭の日だから、親神様とはいえども泊めることは出来ません」って、拒否するの。それで今度、筑波山に行ったら「今日は新嘗祭の日ですけども親神様がいらっしゃってるのだから」って泊めて歓待したと。そのおかげで、富士山は夏だというのに雪を冠って誰も登らない、寒々しい山になってしまったって富士山をdisる一方で、筑波山はみんなが登って歌をうたう楽しい山になりましたって話を柳田はする。
富士山って日本の象徴でしょ。筑波山は全国的にはローカル。でも、象徴天皇、民主化の時代の天皇に向かって、富士山みたいに仰がれるようなものではなく、筑波山みたいに親しまれるようなものになりなさいよってことを言うわけ。でも、その通りだし、ものすごく分かってる。民俗学者っていうか、柳田ってそういう人なんだよ。
 
ーーお話を聞いてますと、社会のあり方とか国のこれからを考える時に、民俗学的な視点ってすごく重要だけど、自分については全く不足していたというか、繋げて考えられてなかったですね。
 
これは民俗学に含まれる民衆感情史の話やねんけど、改憲云々とかもね。私擬憲法っていうのがあって、大日本帝国憲法ができる前に、ひとつの自由民権運動の中で、みんなで憲法作りましょうって草案をすごくたくさんの人が考えた。国会が開かれる前。憲法草案を練るのに学習会やって、農村でも勉強会をして、みんなで考えて、基本的人権の尊重みたいな、今の日本国憲法のすごい重要な理念も盛り込んで。当時、ヨーロッパでも認められてなかった女性の参政権を認める案を入れてたり、死刑廃止、天皇のリコール権とかね。天皇が国民の利益に反することをした場合は、国民投票で降ろしてもいいっていう草案。その後どうするかっていうと、共和制をとるっていう含みを持した案がある。
死刑廃止とかもね、市井の人が自分の頭で、いろんなところで勉強して、自分たちでどういう国家にしたらいいか、日本国憲法よりも過激なことを考えてたっていうことは言いたい。
昔の、明治維新を乗り越えてる人たち、心と身体はそのまま同じ人が、世の中が全部変わっちゃった時に、じゃあ、これから自分たちの社会を作る、近代化された社会をどう生きるかって自分たちで考えた憲法草案ってすごい文化でしょ、国の行末を考えてさ。それも民俗学の領域なんですよね。
 
ーーありがとうございました。

2020年4月11日

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