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日本一周完

 先日11月13日(土)、軽トラ日本一周の旅から無事帰ってきた。正確に言えば本州一周であるが、日本一周に定義なんてないからそこは僕たちの基準で許してくださいまし。今回の旅で得た学び、経験をノートに記録として残しておく。ではいきます。

総走行距離:4,660km
総日数:10日間…11月4日(木)〜11月13日(土)
総出費:¥61,226/2人(ガソリン、食費、宿泊費、雑費)

○1日目(福岡県→山口県→島根県)計407.5km

出発当日、バイトのため早朝5:00からヤマト運輸で荷物の仕分けをした。いつもより目覚めがよく、きもちいい朝を迎えた。待ちに望んだ日本一周への期待と希望が入り混じりワクワクを抑えきれなかった覚えがある。僕の心の中に不安という文字はゼロに等しかった。9:00にバイトを切り上げ、軽トラに荷物の積み込みを行った。忘れ物がないか入念にチェックし、この先長い間、生活を共にする軽トラに喝を入れ、相棒と硬い握手を交わした。距離メーターが0kmをさす一方で僕たちの胸の高鳴りは頂点へと達し、果てしない冒険へのピストルが12:30に打たれ、久留米市を後にした。朝倉市を通り、嘉麻市、田川市と進んでいった。15:30、九州の玄関口北九州市(勝手に名付けた)を通り、福岡に別れを告げ、海を潜り、山口県へ入った。天気は文句なしの晴天で、太陽が僕たちのスタートダッシュを後押ししてくれ、軽トラの調子もよく、幸先のいいスタートを切れた。あまりの天気の良さに、テンションが上がり、ギアを4足から5足に変え、下関市内を爽快に駆け抜けた。予定では、初日の目的地を山口県萩市にしていたが、2人の体調、軽トラの調子いずれも好調だったため、予定を変更し、島根県出雲市にピンを刺した。23:00過ぎ、無事、島根県出雲市内の無料キャンプ場に到着。夕食はカレーを作り、外で食べるカレーはいつもの何十倍、いや何百倍美味しかった。

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〇2日目(島根県→鳥取県→兵庫県→京都府→福井県)
計528km

6:00に起床。朝食は取らず、身支度を済ませ、6:45に平田キャンプ場を後にした。出雲市と言えば、縁結びの神、福の神として名の高い出雲大社である。八雲山を背にした境内には森厳な空気が漂い、数千年の歴史を持つ神殿が厳やかに建っていた。空を突き刺すような本殿屋根の千木を仰ぎ見ると、壮大な神の世界も想像に難しくなかった。日本一のしめ縄を拝観し、相棒の縁結びを祈願した。同時に旅の安全祈願をし、出雲大社に別れを告げた。

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13:00、人生初の鳥取県に突入した。想像通り静かな街で、あたり一面に砂丘が広がっていた。果てしない砂漠を歩き周り、とても刺激的なトレーニングになった。道中、この度初めて声をかけていただき、おばちゃんから1000円いただいた。大切に使うと覚悟を決めた直後、目の前にあった弁当の誘惑に負け親子丼弁当という名のガソリンを体に注入した。その後、2日目の目的地、福井県を目指し日本海沿いをガンガン駆け抜けた。兵庫、京都と通り過ぎ、20:30これまた人生初の福井県に突入した。距離メーターが777.7kmを指し、不意にシャッターを切った。そのまま北上し、田舎特有の通行止めに苦戦しながらも、21:30福井県吉田郡永平寺町に車を止めた。この永平寺町で日本一周生を応援している、2人の方にお世話になった。

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お2人は旅人として日本全国を飛び回った後、おばあちゃん家でもある古民家をゲストハウスとして開業に向け現在準備を行っている段階だ。そして期間限定として無料で食、宿を提供してくださった。久しぶりのまともな食事は一生忘れられない味となり、屋根があるぬくもりを感じながら眠りに入った。ごちそうさまでした!

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〇3日目(福井県→石川県→富山県→新潟県) 計495km

7:00に起床し採れたての野菜、ツヤツヤのお米、愛情たっぷりの味噌汁を頂き宿を出発した。身に染みた。とても暖かいおもてなしありがとうございました。

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その後、福井県のパワースポットであり、世界有数の柱状節理として有名な”東尋坊”に足を運んだ。これだけ大規模な柱状節理は世界的に珍しく、朝鮮半島の金剛山、スカンディナビアのノルウェー西海岸と並ぶ、地質学的に大変貴重な場所らしい。日本海の荒波に耐え、長い年月をかけて作り上げた芸術品である岩々からパワーをもらい、東尋坊を後にした。

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そして石川県金沢市にピンを刺し、ひたすら北上していった。14:30金沢市にイン。21紀美術館で21世紀を感じ、兼六園を少しかじり、金沢市を後にした。金沢市はずっと行きたかった場所であり、もっと観光したかったが時間がなかったため滞在はわずか1時間くらいとなった。金沢市はまた訪れたい場所のひとつだ。15:30金沢市にさよならを告げ、夕陽をバックにひたすら北上していった。23:30新潟市に入り、信濃川沿いの河川敷に車を止めた。夕食は相変わらず、質素な物で野菜スープと白ご飯であった。

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○4日目(新潟県→山形県→秋田県→青森県)計484km

5:00に起床。サッカーJ2アルビレックス新潟のホームスタジアム、デンカビックスワンに少し寄り、シャッターを切る。夜明け前の湾岸道路をひたすら北へ走らせ、僕たちの前にはただ風だけが吹いていた。無性にコーヒーが飲みたくなり、コーヒー片手に日本海を眺めたそがれた。11:30山形県酒田市で高校時代の友達から大量の差し入れをいただき、興味本位で軽トラ旅をしてるだけなのに、応援してくれる人がいることに改めて感謝した。いただいたおにぎりがいつもの何十倍、いや何百倍美味しく感じ、幸せを嚙み締めた。たつやありがとう。

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そして14:30秋田県に突入。秋田美人を横目に元気をもらいながら、最終目的地青森市までひたすらアクセルを踏み続けた。

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ここにきて2人とも疲労がMAXに近かったため、青森市内の一泊1000円ほどの宿に身を寄せた。21:00に到着後、青森市内を散策した。閑静な街並みで、東北美人のキャッチの声が一際際立って聞こえた。唯一満席だった人気店の暖簾をくぐり郷土料理”せんべい汁”をいただきホテルに戻った。また食べたい料理の一つだ。ホテル到着後、強烈な睡魔に襲われ、23:00寝床についた。爆睡。

○5日目(青森県→岩手県)計543km

7:00に起床。半分の折り返し地点、青森県大間町に向けてひたすら北へ駆け抜けた。11:30ついに本州最北端の地、"こゝ本州最北端の地"に到着。天候に恵まれ、ここでは珍しい快晴、弱風とういうベストオブベストのコンディションの中2人で喜びを分かち合った。

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大間といえば、津軽海峡で水揚げさせる本マグロ。キロ25,000円のマグロ丼を頬張り、ようやく大間に来た実感が湧いた。過去には一匹3億3360万円の値でセリ落ちされたマグロもあるとか。マグロ丼をぺろっとたいらげ、また軽トラを走らせた。

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津軽海峡を前に聴く"津軽海峡・雪景色"は特別なものを感じた。軽トラに乗り、煙草片手に石川さゆりメドレーを聴く大学生はおそらく僕たちの2人だけであろう。そんなこんなで青森県を後にし、15:00岩手県に入る。ここは東日本大震災の爪痕が未だに残りすごく考え深い旅路となった。当時の人たちのことを考えると胸が痛くなり、風化させてはならない出来事だと改めて感じた。田舎ならではの、狭い山道や、突然の鹿に苦戦しながらも山越えをしていった。22:00岩手県宮古市の公園に軽トラを止めた。釣りをして夕食を調達するはずだったが、引き潮すぎて結局いつも通りのメニューとなった。23:30ランタンの明かりを消した。

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○6日目(岩手県→宮城県→福島県→茨城県→栃木県)
計596km

『おい、起きろ!』突然の相棒の一言で目が覚めた。目を開けるとじわじわと身体が冷たくなっていくのがわかった。深夜の雨が僕たちの家に浸水してきていたのだ。床上浸水てこれのことか。とか思う暇もなく雨の中テントをたたみ、宮古市を後にした。時計の針は5:00を指していた。疲れと睡魔に襲われながら、薄暗い東方の道を2人で身を寄せて走った。日が明け、天気はあいにくの曇り空だった。街の至る所に、津波浸水区間の看板が。街全体が新しく、10年前テレビを前に見た衝撃の光景の面影が残っていた。実際にその地に足を踏み入れて自然の猛威を肌で感じることができて、絶対に忘れてはいけないことだし、震災の教訓を風化させないことが大切だとより強く感じた。そして13:00宮城県に突入した。ここ宮城県も震災の影響を大きく受けた地であり、被害を受けた、小学校を見学した。当時を経験された管理人の方の話を聞き、あまりの悲惨さに言葉を失った。

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そして、仙台市に入り楽天イーグルスのホームスタジアム、楽天生命パーク宮城を見学し、南下していった。福島県、茨城県を通り過ぎ、23:00、6日目の目的地、栃木県栃木市に到着。流石に野菜だけでは体が持たなくなってきたため、少し贅沢をし学生の味方トライアルで豚肉を買い、野菜と一緒に煮詰めて冷え切った体に流し込んだ。生きる上で肉は欠かせないものだと実感し、”いのちをいただくこと”に感謝した。学びの多い1日だった。24:00、まんまるした月の下で眠りについた。

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〇7日目(栃木県→茨城県→千葉県)計194km

7:30に起床。久しぶりに朝食を作った。昨晩の残り物をあっためて、1日のスタートを切った。10:00日光市に入り、日本を代表する世界遺産、"日光東照宮"を訪れた。平日にも関わらず、修学旅行生をはじめ、大人から子供まで多くの人で溢れかえっており、流石、日本を代表するだけあるなと感心した。徳川家康不在で会うことはできなかったが、パワースポットとしての恩恵を被ることができた。

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日光に別れを告げ、千葉県松戸市を目指し、軽トラを走らせた。次第に車が渋滞し始め、胸が高鳴るとともに、ハンドルをギュッと握りしめ、なめられぬよう気合を入れなおした。17:00無事煽られることもなく、松戸市の目的地に到着。親戚のおばちゃんがサプライズで東横イン宿泊券をプレゼントしてくれた。おばちゃんは祖母の妹で、昔から可愛がってもらい、今でもLINEをやり取りする仲である。おばちゃんに一言挨拶をし、松戸駅前の東横インにチェックイン。夜はコロナを配慮して、駅前のイトーヨーカドーで弁当をテイクアウト。ボリューム満点の弁当でHPが50くらい回復した。その日は、早めに目を閉じた。21:00。

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○8日目(千葉県→東京都→神奈川県→静岡県→愛知県)計426km

7:30に起床し、ホテルの朝食を食べ、もう一度おばちゃんに会い、弁当を持たせてくれた。昔話で盛り上がり、おばちゃんの過去、亡き祖母との思い出話など語り合い、追憶に浸った。そしてまた会うことを約束し、別れを告げた。松戸を後にし、日本の心臓、東京に向けてガンガン飛ばした。想像していたより混むことなく、パワースポットでもある東京タワーの脇に車を止めた。清掃中のおばさんに声をかけ、写真を撮ってもらい、ついに大分ナンバーが大都会東京を制したのであった。

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東京に別れを告げ、江ノ島方面を目指した。12:00江ノ島に到着。おばちゃんからいただいた、おにぎり、味噌の和え物、酢の物、コロッケというこの旅史上最高の贅沢をした。なかでもコロッケは絶品だった。

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江ノ島周辺の海は、その辺の海とは一味違い、強い憧れを抱いた。サザンの街としても有名でサザンの曲をひたすらリピートしまくった。最高な時間だった。将来絶対住むと心に誓い、箱根に向けてギアを上げた。15:00箱根駅伝で有名な箱根の山に到着。これでもか!とゆわんばかりの急カーブを走り抜け箱根峠にたどり着く。この道を走って登る箱根ランナーを改めて尊敬した。そして峠から眺める芦ノ湖、富士山、他の山々が作り出す景色は最高のロケーションであった。そこで、岩手県からキャンピングカーで旅をしている老夫婦からみかんを大量にもらい、箱根の山を後にした。

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駿河湾を左手にひたすら1号線を南下していった。右手には富士山が堂々とそびえたち、文句なしのルートであった。富士山は登る山ではなく、眺める山だと再認識した。(今年の夏悪天候で登り死にかけました。)22:00愛知県岡崎市に到着。拠点探しに苦労したが、山奥によさげのキャンプスポットを見つけ、テントを張った。真横に池があり、不気味な雰囲気が漂っていたが気合と根性で乗り切った。23:30鹿らしき動物におやすみを告げられ就寝。

〇9日目(愛知県→三重県→滋賀県→京都府→奈良県→大阪府→兵庫県→岡山県)計480km

6:00起床。滋賀県を目指し、エンジンをかけた。出発して間もなく、小雨が降り始め、かつ渋滞にハマり、ガンガン萎えた。しかし、雨は一瞬で止み、綺麗な虹が現れた。どよんとした気持ちは一転、まるで祖母が僕たちの旅を応援してくれてるようだった。

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14:00滋賀県甲賀市”MIHO MUSEUM”に到着。東洋と西洋の融合をテーマにした、建物はユニークさ満載だった。入り口までの道なりも大変凝っており、冒険心をくすぐられた。次訪れるときは、もっと美術を勉強してオシャレに来たい。

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滋賀県を後にし、京都をかじり、奈良県に向かった。奈良公園でシカに挨拶するつもりが、まともな食を食べてなさ過ぎて、危うくシカを持って帰りそうになった。中学校の修学旅行ぶりで、懐かしさを感じ、シカに別れを告げた。

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17:00大阪府に入る。なにわのおばちゃんに絡まれそうになりながらも、上手くふりきり大阪を駆け抜けた。18:30兵庫県西宮市の”ラーメン荘 これが好きだから”に到着。ニンニク普通、あぶら、野菜マシマシ、辛め、ガリマヨトッピング400gの家系ラーメンをかきこんだ。疲れた体にこの豪快すぎる一杯はたまらなく美味かった。

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そして、目的地の岡山県まで眠い目をこすりながらハンドルを握った。24:00、無事に岡山市に到着。相棒が体調を崩していたため、この日はホテルにチェックイン。25:00、フカフカのベットを前にバタンキュー。      

〇10日目(岡山県→広島県→山口県→福岡県) 計507km

9:00にチェックアウト。10:00、倉敷市内にそびえたつガールフレンドの実家に立ち寄った。暖かく迎え入れてくれて、クッキーと岡山の郷土料理シャインマスカットをいただいた。その後シャインマスカットは10分足らずで食べ終わり、岡山に別れを告げた。13:00広島県三原市に突入。最終日にして謎に食に対しての縛りが解け、広島名物、広島焼を思う存分食べた。広島焼をエネルギーに変え、福岡に向けラストスパートをかける。20:00山口県に入り、旅が終わる悲しみと、日常に戻れる喜びとが入り混じり複雑な気持ちに陥った。そして、22:15、山口県と福岡県を結ぶ関門トンネルを通りぬけ、ついに福岡県に入る。行きに比べ、帰りはあっという間に時間が過ぎ、24:30久留米市に到着。余った予算を使い、僕たちのホーム、吉野家東合川店で牛丼大盛りをたいらげた。25:00、ついに10日間に及ぶ、軽トラ旅に幕が閉じた。

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