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生命線の延長

死のうと思っていた。 今年の正月、よそから着物一反もらった。 お年玉としてである。着物の布地は麻であった。 鼠色の細かい縞目が織り込まれていた。これは夏に着る着物であろう。 夏まで生きていようと思った。

太宰治 「葉」

 twitterを始めたばかりの頃、文豪やアニメの名台詞を自動でツイートするbotをたくさんフォローしていました。
 中でも「太宰治」の文章はずっと心に残っています。

 私の母は、かつて文学少女でした。
 当然太宰治についても知っています。
 新社会人の頃、毎晩ウィンナーとビールをつまみに文庫本を読み漁る生活がとても幸せだったそうです。
 母は太宰治の文章を「ジメジメしていて、テンションが落ちている時に読むと気持ちが引っ張られる」と言いました。

 私もそれを聞いた当時は同調しつつ、
 でも昔の人の書く文章ってそもそも読みづらくて、あまり頭に入ってこないなあ……と、自分の気持ちがどうとまで考えたことはありませんでした。
 ただ、自動ツイートされる短い文章の一つ一つは単純に好きでした。


 私生活での話になります。
 私よりも先に適応障害を発症して、ずっと休職している友人がいます。
 彼女はK-POPのアイドルグループとJ-POPのアーティストのファンで、推し活に励んでいます。
 メルカリで推しのトレカと睨めっこしたり、韓国語を勉強しています。
 時々ファン同士の交流や、ファンとして応援することのノルマの多さに悩むこともあるそうですが、好きなものについて話している時の雰囲気はとても活き活きしています。
 その友人は推し活のスケジュールが埋まるたびに「●月まで死ねない」と言います。

これは夏に着る着物であろう。 夏まで生きていようと思った。

 太宰の言葉が頭をよぎりました。

 当事者だからこそ考えていて、その度に説明が難しいなあと思うのですが、鬱病の人は単純に死にたくて死にたいのではないと感じています。
 シンプルに生きていることよりも、生きていて感じる負担の方が重くて、苦しくて、結果的に生まれる言葉が「消えたい、死にたい」なのだと思っています。

 少なくとも私は直球的な死を望んでいるわけではありません。それだと迷惑がかかる。
 でも、生きていると感情がコントロールできなくて、普通の人間を装えなくて、それならいっそ漠然と消えたいと思う時があります。

 でも、そんな中でも趣味や好きなものはあるわけです。
 私は昔アニメや漫画が好きでした(今でも好きです)が、今はスキンケアやコスメの情報をよくチェックします。

 7月にKATEがジャータイプのアイライナーと、透け感のあるピンクリップを限定で出すそうです。

 ジェルアイライナーは5月から情報が出ていたので、とても楽しみにしていました。未来への楽しみに助けられるというのは、こういう事なんだなと感じています。



それから、無印良品でUVカットの麦わら帽子を買いました。

 UVカットの帽子はユニクロで買ったのですが、布製なので通気性が悪く、殆ど使わないまま次の夏を迎えました。
 麦わら帽子なら通気性も良くて、夏に外を楽しく歩けるかもしれないと思いました。

 公式通販ではすでに「在庫なし」で、地元の店頭在庫をネットで調べても全滅でした。
 それでも担当の美容師がいつだか「在庫ゼロでも、意外と残ってたりする」と言っていたので、
「ダメでも落ち込まないようにしよう、死にたくならないようにしよう」と自分に言い聞かせてレジの店員に声を掛けました。
 急に思い出したような表情を浮かべて「展示品がまだ残ってたかも!」と店の奥からベージュの麦わら帽子を持ってきてくれた時、尋常じゃないほどの安堵のため息が溢れました。
 店員さん、本当にありがとうございました。


 死にたいくせに麦わら帽子。わざわざUVカットにまでこだわって。

 変な話ですが、私のクローゼットにはフワフワのフライトキャップもあります。黒い厚手のコートもブーツもあります。
 めちゃくちゃ冬を楽しむ気満々です。

 そして今週、夫と「真冬の北海道に行きたいね」と会話しました。
 冬まで生きようと思いました。
 ただ、もちろん、その言葉だけで簡単に生きられる訳ではなく。
 彼もきっと蜘蛛の糸に縋るように、拠り所にしていたのだろうと思いました。

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