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悪魔の降誕祭 2024/08/06(p.376)#84

横溝正史『悪魔の降誕祭』を読みおえる。角川文庫。表題作「悪魔の降誕祭」と「女怪」「霧の山荘」の中短篇三つを収録、いずれも金田一耕助の事件簿である。はじめて読む作品ばかりで、読みやすいし結末が気になるしでサクサク読んであっという間に読みおえてしまった。金田一は独特の言い回しが癖になる。

「だって、そうじゃありませんか。小山順子さん……ミスかミセスかしりませんが、そのひとがわたしに助力を求めようとしているのは、そういう事件の発生を、未然に阻止したいがためにほかならんのじゃないですか。警部さんはぼくにそれを、阻止する力がないとおっしゃるんですか」

p.13-14

いやそう云いますけど金田一さん、あなた事件を阻止できたこと、ほとんどないじゃありませんか。それどころかたいていは犯人が自殺してしまって、取り逃がしてしまう。

「あっはっは、いやね、久米君、君はこのひとと仕事をするのははじめてだろうが、これが金田一耕助流のヒューマニズムとでもいうのかね。おかげで事件は解決できるが、ホシは逃してしまうということがちょくちょくあるよ。つまり、そのためにこのひとは、最後の瞬間までわれわれに手のうちをみせないんだからね。(…)」

p.161

と云うのもどうやら「金田一耕助流のヒューマニズム」とやらを発揮して、自殺を見逃している、どころか唆している節さえあるのである。

「警部さん、あなたはなにもおっしゃっちゃいけません。ぼくはシリツ探偵ですからかってなことをホザきますが、あなたは目下休暇中にしろ現職の警官でいらっしゃいますからね」

p.351

それもこれも、私立探偵という職業だからこそできることなのかもしれない。少なくとも金田一本人にはそういう自覚があるらしく、警官だとそうはいかない、てことはわかっているらしい。解決はするけど逮捕はしなくてもいい。ポアロもホームズもガリレオも、そういうとこあるよね。探偵小説の自由で面白い処ではある。

およそ世界の探偵小説を読むに、探偵が恋をするなんてことはめったにないが、探偵が恋をしたとてなぜ悪かろう。かれらだって血の通った人間なのである。まして金田一耕助はまだ若いのだ。身を焼くような恋をしたとて、なんの不思議もない筈だ。

p.201

「女怪」は珍しく金田一の恋が描かれる。『獄門島』以来かな。ホームズのアイリーン・アドラーは恋と云うほど発展しないし、ポアロもロサコフ伯爵夫人とのロマンスがあったけれど、ふたりとも自らの恋愛にはほとんど興味がないかんじで、そう考えると金田一はけっこう恋をしていて、人間臭い。美女に弱いし、わりと女好きではあるよね。美女に弱いのはホームズもポアロもいっしょか。いずれにしても、長篇は事件そのものを追いかける面白さがあるのに対して、短篇は探偵の人間性がより垣間見えるようで、愉しい。

「金田一耕助いたるところに犯罪ありですかね。あっはっは」

p.264

それにしても、探偵て行く先々で事件に巻き込まれるよね。金田一は探偵として有名でもあるから、向こうから事件が勝手に引き寄せられる(相談事が舞いこんでくる)というのはあるにしても、ほとんどこのひとこそが犯罪の元凶なんじゃないか、とおもわせるほどである。それもこれも探偵という職業柄なのかもしれないけれど。

この文字の装幀はスタイリッシュでカッコいいのだけど、やっぱりあの昔の装画のほうがおどろおどろしくて、いいよね。


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