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9章:動物としてのヒト 【自然科学】

動物とヒト

京都大学の総長であり、霊長類の研究者である山極寿一先生は、「人間以外の動物にとって生きることは、食べること」であると言っています。そして、それを実現するために、いつ・どこで・何を・誰と・どうやって食べるかが、それぞれ動物によって違うと言っています。
現代人は科学技術の進歩により、いつでも・どこでも。どんなものでも・好きないように食べることができるようになりましたが、誰と食べるかという課題は技術で解決できるものではないとも言っています。なぜなら、人間の食事には栄養を補給する以外に、他者との関係を維持したり、調整したりする「コミュニケーション」の機能を有しているからです。なぜこんなことを言うかというと、ほとんどの動物は誰かと一緒に食事をしないからです。人間に近いゴリラやチンパンジーには「共食」という状況が生まれることがありますが、サルにはないそうです。また共食と同じく、食べ物を他者と分けるという行動もヒトに近い動物はありますが、それ以外はありません。

また複数の家族を含むコミュニティ(共同体)という考え方は、サルやゴリラ、チンパンジーには見られない人間だけの特徴です。ゴリラは人間の家族と似た小集団を形成します。他の家族が複数集まるということはありません。またチンパンジーは家族的な集団はなく、複数のオスとメスがコミュニティのような大きな集団を作るだけだそうです。なぜなら、家族とコミュニティは原理が異なるからです。家族は見返りを求めない援助と協力によって成立し、コミュニティは集まることで利益を得ることができる互酬性や規則によって成り立つからです。

人間はサルやチンパンジーと比べると多産であり、赤ちゃんの成長が非常に遅いという特徴があります。これは人類の祖先がサルやチンパンジーが住む熱帯雨林の森から離れて、大型捕食動物が多い草原へ出て生活するようになったことと関係があると考えられています。森から草原で生活するようになり、小さい子どもが犠牲になりやすかったので、多くの赤ちゃんを産む必要がありました。さらに進化の過程で、人間は二足歩行で生活するようになって、手を使った行動ができるようになりました。また、人間の脳が大きくなったことで、二足歩行することで骨盤が皿状になって、産道を赤ちゃんの頭が通れなくなったため、生まれてから脳を大きくするようになったと考えられています。生まれた時の脳の大きさは、ゴリラやチンパンジーとそれほど変わりませんが、ゴリラやチンパンジーの脳は4歳くらいで大人の大きさの脳になります。人間の脳は12−16歳くらいで大きくなり、その大きさはゴリラの大きさの3倍になります。また脳はエネルギーを必要とする臓器で、成人の脳は体重の2%くらいしか重量がありませんが、エネルギーの20%を消費します。成長期の子どもの脳は、摂取エネルギーの45%から80%のエネルギーを消費し、身体の成長よりも優先して脳を成長させます。
このように成長の遅い人間は母親だけでは赤ちゃんを育てることができないため、家族やコミュニティを必要とし、共同の育児をするようになったのではないかと考えられています。

1)人間の赤ちゃんはよく泣くし、よく笑う
ゴリラの赤ちゃんは静かだそうです。それは生後1年くらいずっとお母さんに抱かれていて、離れることがないため、お母さんを呼ぶ必要がないから泣く必要がないようです。一方、人間の赤ちゃんは生まれてすぐはお母さんにつかまることもできないし、自分で何もできないため、お母さんに何かの意思を伝えるために泣くのです。また人間の赤ちゃんは生まれたあと、脳を発達させる必要があるため、身体に脂肪をまとっているので重く、お母さんにとって重くてずっと抱っこし続けることができないため、赤ちゃんを置くか、誰かに預けることになります。だから自分にとって不都合や不満が発生した時に、泣いて自己主張するようになっているのです。
笑うという行為はヒト以外の動物ではあまり見られない行為で、泣いて注意を自分に向ける方法以外に、笑うことで他人の注意を向けさせるという方法を人間の赤ちゃんは行います。

2)動物のオスは育児をしない
子どもの世話をするオスは稀で、オオカミなどの肉食動物の一部に限られています。
ではなぜ、人間は父親が子育てをするのか?それは成長が遅く、自立するまでに時間がかかり、子どもが多いから、子育てを行う必然性が発生したからです。
また実は動物の世界では子どもの世話だけをしているだけでは父親とは言えません。母親から信用されて子どもを預かれる関係が必要であり、子どもたちからも頼りにされて初めて父親になるからです。
一方、山際先生によれば、人間の父親は家族だけでなく、コミュニティとの関係があるため、現代の日本では育児をする男性は増えましたが、家族同士の付き合いや共同体での子育てが希薄化しているため、父親という存在になるためには家族、子育てだけでなく、家族同士、コミュニティへの参画が必要であり、パパ友が作れない実情からすると、まだまだやることはありそうです。

3)人間の赤ちゃんの授乳期間はゴリラやチンパンジーと比べて短い
人間の赤ちゃんの授乳期間は1-2年ですが、ゴリラは3-4年、チンパンジーは5年、オラウータンは7年もお母さんのおっぱいをもらっています。人間は多産であるため出産間隔を短くする必要があり、授乳をしていると排卵が起きにくいので、次の妊娠に備えるためには、早いタイミングで離乳する必要があります。

動物の「おっぱい」について

「おっぱい」の研究はヒトよりも動物で進んでいます。哺乳類としてのヒトとの関係からヒトの乳、母乳について考えていきます。

帯広畜産大学の浦島匡先生が「おっぱいの進化史」という本で、いろいろな哺乳類の「おっぱい」について比較しながら説明していて、非常にわかりやすかったので紹介します。

動物によって成長スピードは違い、それは生存のための戦略
哺乳類の動物はある程度成長して生まれてくる動物と未熟な状態で生まれてくる動物がいます。それを評価する基準は2つあり、1つはお母さんの体重と赤ちゃんの体重の比率です。例えば、ヒトの場合、お母さんの体重は50kgぐらいとすると、赤ちゃんは3kgぐらいです。赤ちゃんの体重を基準にするとお母さんの体重は17倍となります。生まれてすぐに自分の足で立ち上げるウシの場合、お母さんの体重は500kgに対して、赤ちゃんは40kgぐらいで、12倍です。また有袋類のカンガルーは生後半年から10ヶ月ぐらい(長いと1年半ぐらい)お母さんの袋の中で暮らします。袋の中には乳首が4つあり、その乳首からおっぱいをもらって育ちます。カンガルーのお母さんの体重が30kgに対して、赤ちゃんは1gくらいで、およそ30,000倍です。
またもう1つの基準は生まれた時の体重が2倍になるまでの期間で考える方法です。ヒトの場合は、生後180日ぐらいで、実は他の哺乳類と比べるかなり時間がかかります。ウサギは6.5日、イヌやネコは10日ほどで体重が2倍になります。ちょっと長めのウシで47日程度、ウマは60日と言うので、ヒトがいかに時間がかかるかがわかります。
動物にとって、小さく産んでじっくり育てるか、ある程度お腹で育ててすぐに自分で生きていけるようにするかは生存戦略であると考えることができます。

おっぱいの成分も動物によって違う
哺乳類のおっぱいの成分の違いを研究している人がいて、「乳とその加工」(足立達他著)にてそれを一覧に整理して説明している資料があります。おっぱいの成分のうち、水分、脂肪、たんぱく質、糖質で比較していて、非常に興味深い結果となっています。

図9-1

(図9-1 哺乳類の「おっぱい」の違い)

おっぱいの濃さが違う
ヒトのおっぱい「母乳」はおよそ90%が水分です。全ての動物のおっぱいには同様に水分がありますが、同じような割合ではなく、それぞれの動物が暮らす環境によって、おっぱいの水分や固形成分の割合が異なります。例えば、クジラ、アザラシ、ホッキョクグマのおっぱいは50%前後が水分で、アザラシのおっぱいは30%ほどしか水分がありません。そして、他の動物と比べると脂肪やたんぱく質が多く、糖質が少ない傾向があります。これらの動物のおっぱいは濃い生クリームのようなおっぱいです。海の中で暮らし時間が長く、体温を保ち、エネルギーを蓄える必要があり、さらに真水を得ることが難しい環境にいるので、あまり水分を出したくないと言う状況から、脂肪が多く、水分が少ないおっぱいへと進化したのではないかと考えられています。
ヒトと同様に水分が多いおっぱいを出す動物は、ウシ、ウマ、サルなどです。これらの動物は糖質が他の動物に比べて多く含まれ、脂肪やたんぱく質は少ないおっぱいを出します。またヒトとウシのおっぱいでも糖質(炭水化物)が異なります。ヒトのおっぱいは乳糖が80%でミルクオリゴ糖が20%で、ウシはほとんどが乳糖です。


赤ちゃんがもつ動物としての力

赤ちゃんがもつ力、生まれながらにして、誰から教えられることなくできることが、いくつかあります。これを「本能」というと、定義が複雑になりそうなので、ここでは生まれつきもっている力として話を進めます。

前述の通り、赤ちゃんは泣いたり、笑ったりすることで、周りの人たちの注意をひくことができますが、これも1つの力です。産後すぐに赤ちゃんに触れたとき、何ができて。何ができないのか全く分からず、1つ間違えると大変なことになりそうな思いで、こわごわドキドキしながら抱っこした記憶は、数年経った今でも鮮明に覚えています。それまでは、他人の赤ちゃんを抱っこするなんて、怖くてできませんでしたが、我が子の時は飛び込む気持ちで抱っこしました。一度、我が子を抱っこしてしまえば、他人の赤ちゃんでも抱っこできるようになりますが、本当に初めての時はドキドキしました。
正直、一度子育てを経験すると、赤ちゃんは少々のことでは大丈夫で、いろんなことが生まれながらにしてできることがわかり、ちょっと気持ちの余裕ができます。

また、少し専門的な言葉ですが、赤ちゃんが生まれながらにしてもっている力を説明するとき、「原始反射」という言葉が使われることがあります。この「原始反射」の1つに、赤ちゃんは母乳やミルクは飲むことができる力があります。これを「哺乳反射」と言います。
「哺乳反射」には、口の周りを刺激すると、刺激した方向へ顔を向けて、乳首を探します。これを「探索反射」と言います。そして、口に乳首や指など柔らかいものを触れると、唇や舌で捉えようとします。これを「捕捉反射」と言います。さらに、口で乳首や指をくわえると、舌を動かして吸う動きをします。これを「吸啜(きゅうてつ)反射」と言います。

水野克己先生に授乳の多様性をテーマに講演して頂いた時、「赤ちゃんは哺乳反射をもっているので、赤ちゃんが生まれてすぐ、お母さんがおっぱいをあげようと必死になって、赤ちゃんにおっぱいをひっつけなくても、自然におっぱいを近づけるだけで、自然に赤ちゃんは自らおっぱいを探し始めて飲み始めます」と説明いただきました。


ヒトも動物として、生きていくためにいろんな力があり、いろんな戦略があります。いろいろ考えすぎて、自分を追い込み、プレッシャーを感じてしまいそうになったとき、赤ちゃんの生まれながらにもっている力を信じ、自然に任せてみるということも大事なことではないかと思います。

参考文献

(書籍)
山極寿一 「ゴリラからの警告「人間社会、ここがおかしい」」毎日新聞出版(2018)
山際寿一「「サル化」する人間社会(知のトレッキング叢書)」集英社インターナショナル(2014)
浦島匡、並木美砂子、福田健二 「おっぱいの進化史」技術評論社(2017)
足立達、伊藤敞敏 「乳とその加工(最新食品加工講座)」建帛社(1987)


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